
教育事業の原点は「児童虐待をなくしたい」

子どもの頃の純真な夢をかなえる大人は数少ないだろうが、「ロケットや飛行機を造りたい」という幼少期からの夢を実現させた人物がいる。植松電機の社長、植松努氏だ。大学で流体力学を学び航空機設計を手がける企業に就職した後、父が経営する植松電機に入社。34歳で同社を法人化して経営に携わるようになった。
建設機械などに装着するリサイクル用マグネット事業は、国内トップシェア。その本業の傍ら、2004年、カムイ型ハイブリッドロケットを研究する北海道大学大学院の永田晴紀教授の声がけを機に、共同でロケット開発に乗り出した。
以来、09年には国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)と共同でロケットの打ち上げ実験を実施するなど、宇宙開発分野で数々の貢献を果たす。多くの困難を乗り越え夢をかなえた植松氏の人生は、人気小説『下町ロケット』のようであるともいわれ、注目を浴びてきた。

株式会社植松電機 代表取締役、株式会社カムイスペースワークス 代表取締役、NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC) 理事。宇宙航空関連や建設機械関連の事業を展開する一方、全国各地での講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どうせ無理」をなくし、夢を諦めないことの大切さを伝える活動をしている
そんな同社で今、もう1つ伸びているのが教育事業だ。植松氏が教育活動に目覚めたのは04年のこと。青年会議所の仲間からボランティアに誘われて児童養護施設を訪れ、「児童虐待をなくしたい」と思ったことがきっかけだ。
「当時、僕は『売らんかな』の仕事が苦しく、悩んでいた時期でした。親に虐待されていたにもかかわらず、とてもやさしくて穏やかで、もう一度親と一緒に暮らすのが夢だと話す子どもたちと出会い、ふと、自分も加害者になっているのではと思いました。僕が商売でやっつけた相手にも家族や子どもがいたはずで、家の経済が悪化すれば、子どもは捨てられたり虐待されたりする可能性があるからです」
小学生時代に、ある教員から暴力や暴言を受け続けてきたつらい記憶も重なった。その教員の口癖は「おまえらなんて、どうせ無理」。植松氏は飛行機やロケットが好きで、ライト兄弟やエジソンらの伝記を通じて負けない生き方を知ることができたため、何とか暴言に屈せず夢を実現することができたという。しかし、「どうせ無理」は、人から自信と可能性を奪う恐ろしい言葉だと考える。
「後で知ったのですが、その先生は家庭内暴力(DV)の被害者でした。DVの仕返しを、自分より弱い学校の子どもにしていたわけです。暴力は連鎖する。これを断ち切るには『どうせ無理』という言葉の暴力をなくせばいいのではないかと考えました」
そこで、紙飛行機教室をショッピングモールの一角で開いてみるなど、手探りで子どもたちと関わり始めた。そんな中、当時小3だった娘さんのクラスがいじめで学級崩壊。PTA会長だった植松氏は、子どもたちの様子を見て「みんな自信がなさそうだ」と感じ、学校でロケット教室を開催することにした。ペーパーロケットを自力で作って飛ばすことで、「子どもたちの自信を増やすことができるのではないか」と思ったからだ。