日本の文化財・観光政策をはじめ、日本経済の課題解決に関して積極的な提言を行っているデービッド・アトキンソン氏。米金融大手ゴールドマン・サックスでアナリストをしていた時代には、バブル崩壊後の銀行が抱える巨額不良債権をいち早く指摘。業界の批判をよそに、間もなく主張の正しさが明らかとなり「伝説のアナリスト」として一躍有名になった。

その後、国宝や重要文化財などの補修を手がける小西美術工藝社社長に就任。『新・観光立国論』(東洋経済新報社)をはじめ、『日本人の勝算』『日本企業の勝算』(同)など次々と日本経済に関する提言を行い、注目を集めている。現在は、政府の成長戦略会議のメンバーとしての活動も行うアトキンソン氏は、日本の教育改革をどのように見ているのか。

小中高より大学改革のほうが優先順位が高い

――人口減少、少子高齢化が進む中、現在の日本経済の力を将来的に維持できるのか、今盛んに議論が行われています。その中でも教育改革は将来の日本の行方を左右する重要な問題ですが、現在の教育改革の方向性についてどんな評価をされていますか。

将来の日本経済を見据えて、今現在において何をすべきか。その改革のポイントになるのは、まず大学だと私は考えています。通常、こうした教育問題については、小中高がクローズアップされがちですが、彼らが社会の中核人材となるのは30~40年後。確かに基礎教育を行う小中高の改革は重要ですが、国力や生産性の観点からいえば、大学改革のほうが優先順位が高いといえるでしょう。とくに、日本における最大の課題である生産性向上に関しては、小中高の教育よりは、大学教育の良しあしが最も関係しているという分析の結果に注目したいです。

小西美術工藝社 社長 デービッド・アトキンソン

今、問題となるのは「大学で何を教えるべきか」ということです。世界経済フォーラムの分析によると、日本の大卒のスキルランキングは42位と極めて低い評価です。とくに欧米と比べ、日本の大学では「クリティカルシンキング(批判的思考)」教育の重要性に対する意識がないようにみえます。同じく世界経済フォーラムの19年のデータでは、日本の「クリティカルシンキング教育」は141カ国中87位でした。衝撃的な事実だと思います。私は今こそ、日本の大学はクリティカルシンキングを強化するべきだと考えています。

ある研究によれば、物事を論理的に考えるクリティカルシンキングができる適齢期は、子どもの脳の発達成長過程からすれば、18歳以降だといわれています。つまり、脳の発達から考えても、小中高よりも、大学入学時の年齢がクリティカルシンキングを教えるタイミングと合っているということなのです。

――中学生や高校生にクリティカルシンキングを教えるのは早いということですか。

多少の要素は組み入れることができますが、実際には極めて難しいといえます。日本の小中高では詰め込み教育がよく批判されますが、クリティカルシンキングを教えるという意味では、小中高までは基本的に詰め込み教育をする場で、大学はクリティカルシンキングを訓練する場所だと考えています。

私は、オックスフォード大学に入学した初日に教授からこう言われました。「今までの教育とオックスフォード大学の教育は根本的に違う。今までの教育は大学に入学するための教育にすぎない。本番はこれから始まるのです」と。

その日以降、大学でクリティカルシンキングの徹底した教育が始まりました。専攻する科目もクリティカルシンキングを極めるための手段であって、目的ではないのです。教授陣は自らが得意とする科目を使って、クリティカルシンキングを教えているのです。大学で、クリティカルシンキングの授業があるとか、そのやり方を概念的に教えるのではなくて、授業そのものがクリティカルシンキングなのです。

つまり、オックスフォード大学の教育は、入学から卒業までクリティカルシンキングを極めるためのものです。脳の組織が自動的にクリティカルシンキングをするように再構築されます。そのため、社会に出てから知らない人に会っても、どんな話し方をするかで、その人がオックスフォード大学などの卒業生であるかどうかがわかってしまうのです。

集中的に練習を積むことで脳の構造が変わる

――クリティカルシンキングは、どう学ぶのですか。

テーマを与えられた学生が論文を書きます。その論文に関して、先生から、なぜそう思うのか、なぜその結論に達するのか、そこに矛盾はないのか、その結論には十分な検証があるのか、飛躍がないのか、と問われます。クリティカルシンキングとは、ロジックを積み重ねていくことです。オックスフォード大学では、その対話を教授と学生が繰り返し行っていくことで脳に覚えさせていくのです。

それはピアノの弾き方を覚えることと同じであるともいえます。ピアノも最初はできませんが、集中的に練習を積んでいくことで脳の構造が変わって、次第に弾くことができるようになります。思考することもまったく一緒で、クリティカルシンキングを学ばせることで、脳の構造を変えていくのです。それが大学の役目です。小中高の延長戦で、詰め込みを行う場ではないのです。

そのため、オックスフォード大学の卒業生の場合、同じ仮説と前提、データを与えれば、ほとんど同じプロセスで同じ答えを出します。ロジックの構成の仕方がほぼ同じだからです。それは、ある意味では、その訓練を受けた卒業生の脳は、クリティカルシンキングができる機械に変えられているということ。だからこそ、同じインプットを与えれば、その機械は同じ結果を出す。計算機と一緒なのです。

ちなみに理系の人が学ぶ科学的思考も本を正せば、クリティカルシンキングから発展したものです。オックスフォード大学ではリベラルアーツを学ぶのも単に知識や教養を増やすのではなく、ロジックを学ぶための手段なのです。数学が得意な人も、歴史が得意な人も、同じようにクリティカルシンキングを学んでいるのです。

――オックスフォード大学では、クリティカルシンキングを学ぶことを徹底して行っているということですね。

例えば、ゴールドマン・サックスに入社するときも、アメリカの大学出身者はビジネススクールのMBA(経営学修士号)取得が原則必須でしたが、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の出身者は学士号のみで入社できました。

私が大学生の頃も、ハーバード大学の学生がオックスフォード大学に留学してきましたが、同学年で教育レベルが少し遅れているように感じました。確かに優秀ではあるのですが、アメリカでは大学院レベルまで行かなければ、オックスフォードの教育には追いつかないように見えました。

それは、高校までの仕組みが違うからだと思います。イギリスでは16歳で、一般的な幅広い教育から大学で勉強したい項目に絞って勉強します。大学で受ける教育の準備を始めるわけですが、アメリカでは、それを大学1年生の時に行うと聞いています。

大学の制度は欧州から始まっていますが、優秀な大学ほどクリティカルシンキングを学ぶことを徹底させています。大学の成り立ちを歴史的に見ても、大学の使命はクリティカルシンキングを学ぶことにあるのです。

――なるほど。ならば日本の大学はどうすべきなのでしょうか。

英語圏の論文はほぼネットで読むことができます。ネットの普及によって、大学に通わなくても、その膨大な知識にアクセスすることができます。その中に、IQの高低と社会的に成功するかどうかや幸せ度の相関関係は低いという研究成果があります。つまり、IQの高い人が必ずしも社会的に成功するとは限らないのです。

それよりは、クリティカルシンキングができる人のほうが、出世する確率が高く、人生の場面場面で的確な判断をすることができる力を身に付けていることから、幸せな人生を送る確率が高くなって、その相関関係が強いと分析されています。

一方、日本の大学はどちらかといえば、IQを重視する傾向があります。しかし、ここで興味深いことは、クリティカルシンキングができる人はI Qが高い傾向にありますが、ただIQが高いからといって、クリティカルシンキングの能力が高いとは限らないのです。必ずしも同じではないということ。つまり、IQが最も高くなくても、クリティカルシンキングもピアノと同じように訓練すれば、身に付けることができるのです。

オックスフォード大学は、成績だけで入学できる学校ではありません。私は高校時代、5位の成績だったのですが、1~4位の成績の人は皆不合格でした。合格基準は、その人がクリティカルシンキングをできる見込みがあるかどうか。そこを重視しているのです。それさえ教授陣が認めれば、共通試験を受けたかどうかに関係なく、入学することもできるのです。

つまり、IQ的な頭の良しあしではなく、その人が自分の能力をきちんと使えるかどうかが重要であり、その使い方を教えることが大学の役割なのです。その意味で、日本の大学もクリティカルシンキングの訓練学校であるべきなのです。

――クリティカルシンキングは、日本経済にどんな効果を生むのでしょうか。

今から大学改革をしてクリティカルシンキングを教えれば、4年後にはその人たちが社会に出てきます。人口減少で日本経済が伸び悩む中で、いちばん早く効果が出る施策になるはずです。しかも日本の大企業経営者や官僚のほとんどは大卒です。これから社会を動かしていく資格のある大卒者が、クリティカルシンキングができないというのは、決定的な問題なのです。国としての設計ミスだともいえるでしょう。

クリティカルシンキングは、判断しなければならないときに、正しい判断をするために使うものです。知識が豊富でも判断が間違っていれば、成功や成果には結び付きません。どんなに難しい局面であれ、いかに正しく確率が高い判断をすることができるのか。国の経済政策であれ、社会政策であれ、どのように改革すればいいのか。クリティカルシンキングさえできれば、よい方向に向かう確率を高くすることができるはずです。日本経済がバブル崩壊後、30年間低迷したままで、いまだに人口減少の対策を打てていない理由も、究極的にはクリティカルシンキングができていないことにあるのです。

――日本における小中高の教育については、どのように見ていますか。

私は現在の小中高の教育にそれほど問題があるとは思っていません。基礎的な教育は徹底されており、先進国の中でも優れていると思います。それは今の社会を見れば、わかることです。基礎的なスキルは高いのです。

そもそも義務教育は独学の非効率な部分をなくすためにあります。もっと言えば、小中高の教育はこれまで社会が蓄積してきた最新かつ重要な成果を広く教え、その人が生きていくうえでの苦労を減らすことにあります。

その基礎を高校までに構築したうえで、大学でクリティカルシンキングを覚えます。クリティカルシンキングの目的は本質を見極めることです。社会としては、クリティカルシンキングが充実していないと、感覚的な意見、感情的な意見ばかりで前向きな方向に進みませんし、建設的な話もできません。問題の本質を見極め、解決していく。この日本という国を豊かにしていくには、クリティカルシンキングが欠かせないのです。

デービッド・アトキンソン
小西美術工藝社 社長
元ゴールドマン・サックスアナリスト。1999年に裏千家入門、2006年茶名「宗真」を拝受。1965年イギリス生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。92年にゴールドマン・サックス入社。日本の不良債権の実態を暴くリポートを発表し注目を浴びる。98年に同社managing director(取締役)、06年にpartner(共同出資者)となるが、マネーゲームを達観するに至り、07年に退社。09年、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手がける小西美術工藝社入社、取締役就任。10年代表取締役会長、11年同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている

(撮影:梅谷秀司)