起業は研究を社会に還元するための「ロジカルな最適解」
――ジーンクエストとユーグレナでは「個人向け遺伝子解析サービス」という新たなサービスを提供されていますが、この遺伝子検査が浸透すると、社会はどう変わるのでしょうか。
遺伝子を調べれば自分がどんな病気にかかりやすいかという傾向を知ることができ、その予防策を講じることができます。「じゃあいつ死ぬかがわかるんですか」と聞く方もいますが、遺伝子ですべてが決まってしまうことはないので、あくまで自分の手札を知り、よりよく生きる戦略を立てるためのものだと思っていただくといいと思います。遺伝子研究は、まだまだ発展を続ける分野で、このサービスで得られたデータは病気のメカニズムや創薬の研究にも役立ちます。また、日本は超高齢化社会を迎え、医療費の増大が大きな課題になっていますね。個人の健康管理と疾病予防が進めば、国の医療費問題の改善にもつながるでしょう。いずれは血液型と同じぐらい、自分の遺伝子のことも当たり前の知識になると思っています。
――日本初の分野で、しかも大学院在籍中に起業されたことで、いろいろとご苦労もあったと思います。くじけず乗り越えられたのはなぜですか。
はい、最初はとにかく賛否両論でした。「遺伝子を調べるなんて怖い」「予想していない結果が出たら誰が責任を取るのか」「検査を受けたら差別されてしまうのではないか」などと言う方もいて、遺伝子は「遺伝」とは違うし、一卵性双生児でない限りみんな違うものなのですが、遺伝に対する日本独特の過敏さも感じました。
起業はそれ自体が目的だったわけではなく、どうしたら研究成果を社会実装できるかを考えた結果でした。一緒に会社を立ち上げた先輩とも、データを適切に集める方法やサイエンスを社会に実装していく方法について、よくディスカッションをしていました。ロジカルに考えて、どちらも両輪で回すには株式会社が最適なのではということになったのです。
抵抗なく踏み切れたのは、自分のいた環境が大きかったと思います。ビジネスの勉強もほぼしていない状態でCEOになったので、できることはほとんどなかったし、むしろできないことしかなかった。でも、100%理解してくれているわけでもない人たちの反対で諦める必要はないと思ったし、何もできなくても、諦めないでいることぐらいならできるかなと思えたのです。
――起業の判断に至った「環境」はどんなものだったのでしょう。
たまたま私の研究室に、若い時からビジネスをしている人がいました。特別勇気があったわけではなく、そうした選択肢があるという知識があったのです。私はこれは花粉症のようなものだと思っているのですが――花粉症は、その人にとっての許容量を超えて花粉に触れると発症するといいますよね。それと似ていて、10人の起業家の中に1人研究者を入れたら、きっとその考え方の許容量を超えたところで、その研究者も起業すると思うんです(笑)。
また、大学に残って研究を続けると、その後のキャリアはポストに空きがあるかどうかで決まり、行き詰まるリスクもあると思いました。今は複数の共同研究プロジェクトで、一人でやるよりずっと多くの研究に携わることができています。私以外のケースを見ても、研究者のキャリアのあり方も変わってきているなと実感しています。
目の前の学びをさらに広げる「ブリッジ」的な存在が大切
――高橋さんが遺伝子解析に興味を持ったきっかけを教えてください。
私の父は医師なのですが、自分もその道に進むかどうかを考えたくて、病院へ見学に行ったときのことです。その時ふと、「ここには病気の人しかいない」という事実に衝撃を受けました。ヒトはなぜ病気になるのか、病気になる前に防ぐことはできないのかという問いが生まれ、生命科学で予防メカニズムを研究したいと思い、今に至ります。
――ご自身の目で病院を見た経験が、研究に打ち込んだきっかけなのですね。残念なことに世間では、打ち込めること、やりたいことが見つからないという若い人も多いですよね。
日本はとても豊かなので、困ることや不足に感じることが少ないのだと思います。だから興味の範囲も狭まってくる。私の周りでは、他国の貧困を目の当たりにしたり、震災などの災害を経験したり、闘病の経験があったり、そうした「カオス」の体験によって「主観的な命題」を見つけた人が多いですね。
私は5歳から7歳までフランスにいたのですが、私だけが日本人だからといっていじめられることもなかった。違いを「すてきだね」と言ってもらえる環境だったので、反対に帰国してからの日本の教室は窮屈でした。でも、京都大学に入学してからは変わった人も多く、女子学生の一人行動も当たり前で楽になりました。同調圧力は有利に働くこともありますが、今はもうそうした時代ではありません。「みんなと同じ」を脱して変わらなければいけないと思います。
――「主観的な命題」を見つけるには、具体的にどんなことをすればいいのでしょうか。
とにかく必要なのは、知らないこと、やったことのないことを通して経験の幅を広げること。
留学でも職業体験でも、ただ同じ日々を過ごさないことです。身近なところでは、私は書店へ行くことをお勧めしています。ネットだと購買履歴から「読みたそうな本」を推薦してくれますが、カオスな棚の前に立ったとき、目に入った題名のワードをどれだけ知っているかどうか。知らないことばかりだということに気づくと思いますし、偶然の出合いで買った本が、新たな世界を開いてくれるかもしれません。
「絶対にこれをやりたい」と思えることはそうそうないし、たくさんの経験の中からしか見つけられないと思います。だからこそ、そう思えたときには「たとえ最後の一人になったとしても、これを続けたい」という強い意志が生まれるのではないでしょうか。
――子どもたちが興味の範囲を広げるために、学校教育ができることはあるでしょうか。
日本の学校では正解を出すことばかりが求められますが、実社会では自分でよい問いを見つけることのほうがずっと大事です。技術の進化した今日、もはや与えられた問題を解くのは人間でなくてもいい方向に進んでいます。でもどの問いを解くのかという方向性を決めるのは、私たちがどこへ向かうかを示す意志なのです。それはどんな問いを立てるのかということと同じです。日本では大学に進むまで、こうした訓練をいっさいしないのは、とても問題だと感じています。
さらに受験では選択肢を狭めて正解を導き、点数を稼ぎますね。そもそも何のために学ぶかもわかっていないし、言ってしまえばロールプレイングゲームのレベルを上げるような単調な作業です。問いを立てられる人を育てるには、興味の幅を広げて、ほかの分野にも関心をつないであげるような教育が必要だと思います。指導者もただ暗記させるのではなく、その領域の面白さ、学びの楽しさを自ら見せられる人だといいですね。
――「そもそも何のために学ぶか」は、大人にとっても難しい問いです。
「そもそもなぜ教育が必要か」と言い換えることもできると思いますが、生物全体で見れば子どもに教育をしない動物のほうが多いですよね。生きるために必要な基本的な力の情報は遺伝子に組み込まれて生まれてくるので、教育の必要がないわけです。私たちも最低限の言語や数字の概念ぐらい組み込まれていてもよさそうですが、実際はそうではない。それは遺伝子が変化するよりも人間社会の変化のほうが速く、生まれてから学ぶほうが効率的だからです。つまり、時代の変化に合わせて学びを変えていかないということは遺伝子と矛盾しているといえる。私はそう考えています。
――社会の変化に応じて、生きている限り学び続ける必要があるということですね。
そのとおりです。研究者も自分の専門分野だけをやっていればいいわけではないし、学生時代に学んだ知識で乗り切れる時代ではありません。私が今取り組んでいるヒトのゲノムという領域も、私が学校で習った頃にはまだ教科書に載っていなかったことばかりです。私自身も社会人を対象にした生命科学のオンラインサロンを運営していますが、今や学ぶ手段はいくらでもあり、興味を持てば大人も学び続けることができるはずです。仮想通貨が話題になり始めた際は、「儲かるかも」と急にたくさんの人が勉強を始めましたよね。あのときは「生命科学にもこれぐらい関心を持ってもらえたら……」と嫉妬しました(笑)。
一方で「もっとこうしたほうがいい」という改善点がわかっても、それを実際の教育に落とし込むのはとても時間がかかるものです。今学んでいる目の前のことが社会のどんなことにつながっているのか、ほかの分野とどう関わっているのか。そうした学びのブリッジになれるような存在がいると、勉強へのモチベーションも変わると思います。
(文:鈴木絢子、撮影:尾形文繁)