「どうして学校の先生はこんなにも忙しくなったのか?」
「一昔前までは授業で使うプリントもテストも全部手書き。印刷にも時間がかかった。今は電子化され、ICTもそれなりには使われているのに、なぜ忙しいままなのか?」
こういう質問を、たまにマスコミの方から受けることがある。現役の教職員からも似た質問が来ることさえある。学校の多忙の背景、原因は単純なものではないので、端的に答えるのは難しいが、ここでは根拠を基に、なるべくわかりやすく解説してみたい。
先生の働き方は変わったか?
少し前に定年退職した元校長らからは、次のような話もよく聞く。
「私の若い頃は、放課後に職員バレーをしたり、仕事が終わった後スキーに行ったりと、職場にゆとりがあった」
「土曜に授業があった時代のほうが、今よりはるかに時間の流れがゆったりしていたように思う。先生たち同士もよく相談したり、雑談したりしていた。今はもう、みんなパソコンに向かってしゃにむに仕事を終わらせようとしている」
人間の記憶は美化されやすいことが科学的にもわかっているらしいが、こうした声を単なる思い出話として片付けるのはどうかと思う。今後の教職員の働き方を考える真理の一端、ヒントがあるように思うからだ。
ここ5~6年で学校の働き方改革は、それなりには進んだ(後で述べるとおり問題も多いが)。少し前までは6.1%の市区町村しかタイムカードなどによる出退勤の管理をしておらず(文科省「平成28年度教育委員会における学校の業務改善のための取組状況調査」)、多くの自治体が出勤簿にハンコを押すだけというお粗末な状況であった。「労務管理」という概念は、公立学校にはほとんどなかった、と言ってもいいだろう。
夜間や早朝の留守番電話対応も、今では半数以上の自治体で導入されているが(文科省「令和4年度教育委員会における学校の働き方改革のための取組状況調査」)、ほんの5〜6年前までは、「そんなことやっていいのか?」「保護者からクレームにならないといいけど」というのが多くの教職員や教育委員会職員の反応だった。時間で仕事の区切りをつけるという考え方があまりなかったためだ。
こうした学校や教育行政の考え方、慣習は、180度とまでは言わないものの、大きく変わりつつある。ここ数年でほとんどの自治体で勤務時間(在校等時間)をICカードなどで管理するようになった(市区町村の93.3%、前出文科省令和4年度調査)。
時短が目的化している、楽しくない「働き方改革」
だが、「残業を減らせ、勤務時間を短くせよ」というかけ声は、教育委員会や校長・教頭から頻繁になされるようになったものの、当の教職員にとっては、残業抑制や時短プレッシャーが強まるばかりで、ストレスフルだ、という声も少なくない。
仕事が減らないのに、また児童生徒のために重要な仕事は多いのに、「早く帰れ」とか「優先順位をつけて仕事をしましょう」と言われても、「どうしたらよいというのか?」というわけだ。
こうした背景には、多くの自治体や学校で、時短が目的化していることがある。現に、ほぼすべての都道府県・政令指定都市の教育委員会が学校の働き方改革についてプランをつくっているが、ほとんどの場合、メインの成果指標は在校等時間の短縮(平均値ないし時間外が月45時間以内の比率もしくは80時間以内の比率)である。
働き方改革や業務改善、ワーク・ライフ・バランスの推進などと言われても、結局、勤務時間が短くなったかどうかだけで判断・評価されるなら、教職員の多くにとっては、何のためなのかがピンと来ないし、楽しくない。各地で勤務時間の過少申告、虚偽申告が起きているのも、背景は同じだ。
そのうえ、「先生方の意識改革が必要です」などという精神論、あるいは他責的な言葉が教育委員会や校長から幾度となく主張されるものだから、多くの教職員にとって、働き方改革というのは、やらされ感が募るものになっている。「改革疲れ」な状態だ。
ほかの問題も含めて、これまで(あるいは現状維持)の特徴とこれからのあるべき姿を比較したものは、下記のとおり。
昔と比べて、働き方はどこが、どう変わったのか
冒頭の質問にも関連するのだが、時短が目的化していくのは、在校等時間のトータルの数字だけを追いかけており、多忙の要因をきちんと観察・診断できていないことが、根っこの問題として存在する。
長時間勤務の実態の内訳、要因を見ていくうえで、とても参考になるデータがある。文科省が実施した教員勤務実態調査だ。毎日30分ごとに、どんな業務をしたのか記録していくものなので面倒だが、徹底している。直近の2022年実施の速報値が少し前に公表された(関連記事)。
06年、16年にも勤務実態調査は実施されているので、ここ15年余りを比較してみよう。また、昔すぎると感じられるとは思うが、1952年にも文部省(当時)は勤務実態調査を実施しているので、参考値として掲載しておいた(下の図、平日1日当たり)。ここでは小学校教諭のみを対象とする。
この表からわかること、考えられることを5点に整理する。
第1に、ここ15年余りで授業を中心とする教科指導の時間が増加している。1つには、いわゆる「ゆとり教育」への批判以降、学習指導要領の改訂のたびに、授業時間数が増えていること(道徳や外国語の教科も増加)が影響している。加えて、正規の教育課程外の補習や指導(調査項目では「学習指導」となっている)も増えている。
今回、1952年の調査を紹介したのは、この調査が教員定数を決める義務教育標準法ができるときの根拠資料となったためだ。当時も教員の忙しさは問題視され、「教員1人当たりの授業担当時数は1日3時間(45分授業として4時限)、1週24時限程度にとどめる必要がある」と当時の文部省は考えていた(前出の参考資料である井深論文を参照)。当時は週6日授業での話だ。今は週5日なのに、週26コマ以上担当する小学校教員は4割近くもいる(2022年の教員勤務実態調査、0コマと無回答は除いて集計)。
つまり、小学校教員の多くは、義務教育標準法が制定された当初には想定されていなかったような、限られた人手で多くの教科と授業コマ数(補習的なものを含め)を担当し、疲れている。加えて、昨今教員不足が深刻化しているので、欠員が生じている学校では、平均値よりももっと厳しい状況であろうことは容易に想像できる。
第2に、会議や事務が大きな負担となっているわけではない。06年と比べて16年、22年は会議が減り、事務が少し増えているが、大昔(1952年調査)は職員会議や雑談などにもっと時間をかけていた。
もちろん、ダラダラした会議など、非効率な会議をする必要はないが、00年に職員会議が校長の補助機関にすぎないことが明確化された前後以降、教職員同士で対話や議論があまり行われていない現実、いわば「学校内民主主義」が停滞している可能性を示唆する。学校行事をはじめ、これまでの学校の慣習を見直すうえで、教職員である程度納得のいく対話や議論をしていくことは必要なのだが、じっくり話し合う時間が取れていない可能性が高い。
さらに少し飛躍するが、理不尽な校則がよく話題に上る背景にも通じると思う。校内で教職員があまり意見を述べる機会がない(もしくは機会はあっても、対話や議論をしようとしない)ため、子どもの意見表明も軽視しているのではないか。
第3に、保護者・地域対応は大きな負担とはなっていない。ただし、これは限られた調査期間中でのことであり、かつ、平均値の話である。大きな問題がひとたび生じると、多くの教職員が疲弊することとなるので、今回のデータだけで判断するのは早計だ。
第4に、では何が大きな負担となっているかと言えば、前述の教科指導のほかは、生徒指導と特別活動などの教科外指導である。ここ15年余りで生徒指導・教科外指導は減少トレンドであるとはいえ、1日に占める時間は長い。給食、掃除、昼休みの見守りなど(調査項目としては生徒指導〈集団〉となっている)で約1時間かかるだろうから、当然と言われればそうなのだが……。これまでの働き方改革の中で、こうした生徒指導関連にはほとんどメスが入っていなかった。
22年の大きな特徴の1つは学校行事の負担が減っていることである。保護者の期待や見栄えを気にした、派手な学校行事の運営や過度な準備は要らないと思うが、コロナ禍のため、一時的に短くなっているだけという事情もあるかもしれない。
第5に、授業準備と研修が細っている。ここ15年余りで教科数や授業コマ数が増えているにもかかわらず、それほど授業準備時間が増えていないのは、授業準備が薄くなっている可能性を示唆する。
実際、多くの学級担任などから聞くのは「放課後の業務といえば、生徒指導事案や保護者対応が第1で、次に、周りの職員に迷惑をかけてはいけない校務分掌などの事務をします。授業準備はいちばん自分の裁量で進められるし、同僚に迷惑をかけるものでもないので、最後になることが多いです。まあ、手抜きもできると言うか……」といった言葉だ。授業準備が自宅への持ち帰り仕事や土日の業務になっている教員も多いことだろう。
研修は、OECDのTALIS調査から、諸外国と比べて日本の教員は少ないことがわかっているが(調査項目としては「職能開発」)、ここ15年余りでも減少トレンドである。前述の対話や議論が少なくなっているのではないか、ということにも通じる問題で、同僚性やチームワーキングにも影響する。
また、1952年調査では表の一番下のほう、「個人的研究」が1時間近くあった。具体的な内容は不明だが、おそらく教員には自己研鑽や探究的な時間があったということだろう。こうした豊かな時間が専門職としては重要だが、2000年代以降、おそらくほとんどの教員にとって、こうした「ゆとり」はない。
何が必要か
以上5点に整理したが、こうした診断、ごく簡単な分析をベースにしても、これからの働き方改革を考えるうえで、必要なことが見えてくる。いくつか例示しておきたい(番号は先ほどの5点に対応)。
1. 教科指導の負担軽減のため、正規の教員を増やして、1人当たり持ち授業数を減らすこと。あるいは学習指導要領の見直し(内容の精選、標準授業数の削減など)や補習の削減などを進めること。
2. 会議の精選や効率化は必要だが、忙しい日々を少し立ち止まって、教育活動などを根本から見つめ直す場は大切にすること。
3. 保護者などからの理不尽なクレームや要請については、学校任せばかりにせず、第三者的な機関が支援・仲裁できるようにすること。
4. 生徒指導(集団)とカテゴライズされているような生活指導、見守りについては、教員免許が必要なものではないので、教員以外のスタッフと分担できるように、増員を図ること。学校行事をはじめとする特別活動は、協働的な学びなどの点で重要であるが、意義や必要性、優先順位を各校で検討して、精選すること。
5. 勤務時間の中で無理なく授業準備や職能開発ができるような教職員定数などの体制づくり。ただし、個々の学校、学級で従来のような授業がどこまで必要なのか、動画教材などの活用なども含めて、国や研究校などであり方を模索していくこと。
1950年代までさかのぼるのはやりすぎだったかもしれないが、データを見ながら、何が多忙の要因となっていて、何が必要なのか、今一度冷静に考えていきたい。
(注記のない写真:megaflopp / PIXTA)