この表からわかること、考えられることを5点に整理する。
第1に、ここ15年余りで授業を中心とする教科指導の時間が増加している。1つには、いわゆる「ゆとり教育」への批判以降、学習指導要領の改訂のたびに、授業時間数が増えていること(道徳や外国語の教科も増加)が影響している。加えて、正規の教育課程外の補習や指導(調査項目では「学習指導」となっている)も増えている。
今回、1952年の調査を紹介したのは、この調査が教員定数を決める義務教育標準法ができるときの根拠資料となったためだ。当時も教員の忙しさは問題視され、「教員1人当たりの授業担当時数は1日3時間(45分授業として4時限)、1週24時限程度にとどめる必要がある」と当時の文部省は考えていた(前出の参考資料である井深論文を参照)。当時は週6日授業での話だ。今は週5日なのに、週26コマ以上担当する小学校教員は4割近くもいる(2022年の教員勤務実態調査、0コマと無回答は除いて集計)。
つまり、小学校教員の多くは、義務教育標準法が制定された当初には想定されていなかったような、限られた人手で多くの教科と授業コマ数(補習的なものを含め)を担当し、疲れている。加えて、昨今教員不足が深刻化しているので、欠員が生じている学校では、平均値よりももっと厳しい状況であろうことは容易に想像できる。
第2に、会議や事務が大きな負担となっているわけではない。06年と比べて16年、22年は会議が減り、事務が少し増えているが、大昔(1952年調査)は職員会議や雑談などにもっと時間をかけていた。
もちろん、ダラダラした会議など、非効率な会議をする必要はないが、00年に職員会議が校長の補助機関にすぎないことが明確化された前後以降、教職員同士で対話や議論があまり行われていない現実、いわば「学校内民主主義」が停滞している可能性を示唆する。学校行事をはじめ、これまでの学校の慣習を見直すうえで、教職員である程度納得のいく対話や議論をしていくことは必要なのだが、じっくり話し合う時間が取れていない可能性が高い。
さらに少し飛躍するが、理不尽な校則がよく話題に上る背景にも通じると思う。校内で教職員があまり意見を述べる機会がない(もしくは機会はあっても、対話や議論をしようとしない)ため、子どもの意見表明も軽視しているのではないか。
第3に、保護者・地域対応は大きな負担とはなっていない。ただし、これは限られた調査期間中でのことであり、かつ、平均値の話である。大きな問題がひとたび生じると、多くの教職員が疲弊することとなるので、今回のデータだけで判断するのは早計だ。
第4に、では何が大きな負担となっているかと言えば、前述の教科指導のほかは、生徒指導と特別活動などの教科外指導である。ここ15年余りで生徒指導・教科外指導は減少トレンドであるとはいえ、1日に占める時間は長い。給食、掃除、昼休みの見守りなど(調査項目としては生徒指導〈集団〉となっている)で約1時間かかるだろうから、当然と言われればそうなのだが……。これまでの働き方改革の中で、こうした生徒指導関連にはほとんどメスが入っていなかった。