2016年7月22日午前4時ごろ、富山県滑川市の中学校教員Aさん(男性)は、自宅でくも膜下出血を発症して救急搬送された。昏睡状態に陥り、そのまま目を覚ますことなく、8月9日に死亡した。
3年生の担任を2年連続、強豪の女子ソフトテニス部の顧問などを務め、毎月の時間外勤務が約120時間に及ぶ激務の末の過労死。土日も試合などでほとんど休みはなかった。当時42歳という若さだった。
それから約7年後の23年7月5日に富山地裁は、校長ならびに滑川市、富山県の責任を認め、合わせて8300万円余りの支払いを命じる判決を言い渡した。
ここでは、この過労死事案の教訓について考える。
避けられたかもしれない死
2016年というと、学校の働き方改革が大きな動きとなる直前である。
OECD(経済協力開発機構)調査で世界一日本の中学校教員が多忙であることが確認されるなど、当時も学校の過重負担は注目されていたし、文部科学省も一定の働きかけはしていた。だが、全国で6.1%の市区町村しかタイムカードなどによる出退勤の管理をしておらず(「平成28年度教育委員会における学校の業務改善のための取組状況調査」)、多くの自治体が出勤簿にハンコを押すだけであった。
本事案の滑川市にも当時、勤務実態を示す記録はなかったが、Aさんは業務終了後にパソコンをシャットダウンする習慣があったことから、パソコンのログを基に勤務時間を推定したものが裁判でも参照された。
勤務実態調査の結果が出て、中央教育審議会で学校の働き方改革の審議が始まったのが17年。休養日を設けることなどを定めた、部活動のガイドライン(スポーツ庁、文化庁)ができたのが18年である。こうした動きがあと2、3年早ければ、Aさんの死は防げた可能性があったかもしれない。
今、すぐそばにある危険性
一方で、本件のようなことは、今後は起こりえないことだろうか?
この瞬間も、Aさんのように過酷な状態で懸命に働いている先生は全国各地にいる。先日速報値が発表された2022年実施の教員勤務実態調査によると、週60時間以上勤務の人(月換算すると、時間外が80時間を超える)は、小学校教諭で約14%、中学校教諭は約37%おり、いずれも16年調査と比べて20ポイントほど減少している。文科省も、主要メディアもこの比率に注目しているが、過小評価している可能性には皆、沈黙している。
なぜならば、上記のデータには持ち帰り仕事が含まれていない。持ち帰りを含めた分布は公表されていないので、現時点では不明だが、週の実仕事時間として週55~60時間未満の教諭も、過労死ライン超である可能性が濃厚と推定しておいたほうがよいだろう。週55時間以上の人(≒月当たりに換算すると過労死ライン超の可能性)は小学校教諭の約34.2%、中学校教諭の約56.9%である(関連記事)。
16年時点よりは減っているとはいえ、6割近くの中学校教員がいまだ、過労死リスクの高い水準にいるというのは、異常な世界。それが、子どもたちに命の大切さを説く教育現場である。しかも、文科省の実態調査は10月、11月と1年間で平均的な時期のデータを参照している。Aさんがそうであったように、4~6月の学校の繁忙期には、いっそう過酷な日々となるケースが多い。
健康を害する危険のある勤務実態なのか、そうではないのか。それを考える際に、「1年のうち平均的な月のデータはこうです」とか「教員の勤務時間の平均値は下がってきました」「自宅仕事は正確に把握するのは難しいので、モニタリングに含めません」と言うのは、ナンセンスである。多くの教員は、夏休みまで持たない。ある者は倒れ、ある者は休職している。
校長に責任はあったのか
こうした現状認識のうえで、改めて、今回の裁判で争点となったことは何か、そして富山地裁がどう判断したのか、見ていきたい。
なお、最高裁判例などではなく下級審の判決であること、裁判は個別具体的な事案についての判断であることから、各地の校長や教育委員会、また文科省からすれば、「この件はこの件で気の毒なことだけれど、自分たちにはあまり関係ない」という態度を取ることも可能だ。だが、本当にそれでいいのだろうか。今日に通じる教訓から学ぶことができるのかが、問われていると思う。
今回の訴訟のいちばんの争点は、使用者である校長(ならびに市・県)にAさんの過労死を引き起こした責任があるのかどうかであった(以下、カッコ書きは判決文より引用)。使用者は「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務」(安全配慮義務)を負うのは、最高裁判例をはじめ、これまでも認められてきた法理だが、本件で校長に安全配慮義務違反があったのかどうかが争われた。
公立学校の教員の場合、給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)という特別法によって、災害時など、いわゆる超勤4項目で、臨時または緊急のときを除いて、校長は時間外勤務命令を出せない。ほとんどの時間外の仕事が教員の自主的、自発的なものと解釈されている。
そこで滑川市は、「部活動指導が超勤4項目に含まれず、これを担当する各教員の広範な裁量に委ねられていることをもって」、安全配慮義務に「違反したとされるのは、その監督する教員に外部から認識し得る具体的な健康被害又はその徴候が生じていた場合に限られる旨主張」し、本件では校長はそうした兆候を認識しうる状況になかったことから、責任はないと、抗弁していた。
これに対して、裁判所は、「部活動指導が当該学校の教員としての地位に基づき、その業務として行われたことが明らかな場合にまで、部活動指導とそれ以外の業務を区別して校長の上記義務の内容を画するのは相当でないし、過重な長時間労働が労働者の心身の健康を損ねることが広く知られていることに照らせば、本件において、校長の予見義務の対象を外部から認識し得る具体的な健康被害又はその徴候が生じていた場合に限定すべき理由は見出し難い」。「顧問としての業務が本件中学校の教員としての地位に基づき、その業務として行われたことは明らかであり、その内容及び時間を部活動指導業務記録簿や特殊勤務実績簿等で把握できた以上」、「校長に予見可能性がなかったとはいえない」と判断した。
校長(ならびに服務監督権者もしくは任命権者である教育委員会)の責任を認める判決は、ここ数年相次いでいる。
2014年に自死した新任教諭、嶋田友生さん(当時27歳)の事案では、19年に福井地裁は、校長が過重な勤務を軽減するなどの措置を取らず、安全配慮義務を果たさなかったと判断して、損害賠償を認めている。17年に適応障害を発症した大阪府立高校教諭の西本武史さんの訴訟でも、22年に大阪地裁は校長の安全配慮義務違反を認定した。
いずれも地裁の判決ではあるが(本件も含めて、いずれも控訴しなかった)、これらの裁判に共通するのは、校長が超過勤務命令を出していたかどうかは関係なく、実際、過重な業務負荷があったこと、心身の健康を害しかねないことを校長は認識しえたのだから、安全配慮義務を果たすべきであった、という判断である。
校長には教職員の命を守る責務があるということであり、「定額働かせ放題」ではない(関連記事)。
くれぐれも、今も過酷な状況で働いている教職員の方(教育委員会職員らも含めて)は、注意してほしい。在校等時間が長いと、校長や教育委員会からガミガミ言われるかもしれないが、勤務時間の過少申告や土日の部活動などは記録しない、手当を申請しないといった行動を取るのは、やめてほしい。校長などは過重負担を認識しえなかった、健康を害する予見可能性はなかったと裁判などで判断されてしまうかもしれないのだから。
人が死んでも、調査もしない、検証しない、学ばない
Aさんが亡くなった当時、妻は2人目を妊娠中でもあった。子育てもあり、夫の死を追体験しかねない、過酷な裁判を起こしたのはなぜか。それは、人が亡くなっても、校長も、教育委員会も、誰も、責任を取ろうとしないからではないか。
児童生徒がいじめなどによって自死することも、毎年のように起きている。そうした場合、まだまだ内容やスピードで十分ではない点も多々あるとはいえ、背景や原因について調査が入ったり、第三者委員会で一定の検証がなされたりする。そのうえで、学校側や教育委員会側が適切な対応を取らなかったと認められる場合には、しかるべき処分が関係者に下される。
ところが、教職員が過労死などにより亡くなったり、重大な障害を負う事態になったりしても、裁判で争われた場合など一部の例外を除いて、背景や要因が調査されることはほとんどないし、検証されることもない。
教育委員会から関係者へ多少の聞き取りなどは入るだろうが、調査報告書が出されることは非常にまれだ。Aさんの妻と同じく、中学校教員の過労死の遺族である工藤祥子さんと一緒に私が100件近い過労死等事案を調査した限り、検証報告書が出ていたのは、郡上特別支援学校において講師が自死した事案、1件のみである※。
そして、責任の所在はあいまいなまま、「お気の毒さまでした」「生徒思いの熱心な先生だったのに」といったことで、幕引きとなる場合がほとんどだ。管見の限り、文科省も積極的に調査や指導に動いたことはない。そもそも過労死等の件数すら、誰も把握できていない。
文科省はしきりに、教育行政には「PDCAサイクルが必要」「エビデンスが重要」などと述べているが、過去に起きたこと、事実から学ぶという姿勢が、校長にも、教育委員会にも、文科省にも決定的に欠けている。
本件でいえば、滑川市と富山県は、この事案の反省点と教訓は何なのか、再発防止のために何が必要なのかという報告書を出して、全国の自治体と文科省に配ることが、誠実な態度なのではないか。
本件のような事実に向き合うのは、つらく、しんどい部分はある。だが、戦後の日本の教育が戦争の反省からスタートしたように、私たちはもっと学び、今ある危機に対処していくことができるはずだ。
※妹尾昌俊・工藤祥子『先生を、死なせない。教師の過労死を繰り返さないために、今、できること』(教育開発研究所)
(注記のない写真: iStock / Getty Images Plus)