この瞬間も、Aさんのように過酷な状態で懸命に働いている先生は全国各地にいる。先日速報値が発表された2022年実施の教員勤務実態調査によると、週60時間以上勤務の人(月換算すると、時間外が80時間を超える)は、小学校教諭で約14%、中学校教諭は約37%おり、いずれも16年調査と比べて20ポイントほど減少している。文科省も、主要メディアもこの比率に注目しているが、過小評価している可能性には皆、沈黙している。
なぜならば、上記のデータには持ち帰り仕事が含まれていない。持ち帰りを含めた分布は公表されていないので、現時点では不明だが、週の実仕事時間として週55~60時間未満の教諭も、過労死ライン超である可能性が濃厚と推定しておいたほうがよいだろう。週55時間以上の人(≒月当たりに換算すると過労死ライン超の可能性)は小学校教諭の約34.2%、中学校教諭の約56.9%である(関連記事)。
16年時点よりは減っているとはいえ、6割近くの中学校教員がいまだ、過労死リスクの高い水準にいるというのは、異常な世界。それが、子どもたちに命の大切さを説く教育現場である。しかも、文科省の実態調査は10月、11月と1年間で平均的な時期のデータを参照している。Aさんがそうであったように、4~6月の学校の繁忙期には、いっそう過酷な日々となるケースが多い。
健康を害する危険のある勤務実態なのか、そうではないのか。それを考える際に、「1年のうち平均的な月のデータはこうです」とか「教員の勤務時間の平均値は下がってきました」「自宅仕事は正確に把握するのは難しいので、モニタリングに含めません」と言うのは、ナンセンスである。多くの教員は、夏休みまで持たない。ある者は倒れ、ある者は休職している。
校長に責任はあったのか
こうした現状認識のうえで、改めて、今回の裁判で争点となったことは何か、そして富山地裁がどう判断したのか、見ていきたい。
なお、最高裁判例などではなく下級審の判決であること、裁判は個別具体的な事案についての判断であることから、各地の校長や教育委員会、また文科省からすれば、「この件はこの件で気の毒なことだけれど、自分たちにはあまり関係ない」という態度を取ることも可能だ。だが、本当にそれでいいのだろうか。今日に通じる教訓から学ぶことができるのかが、問われていると思う。
今回の訴訟のいちばんの争点は、使用者である校長(ならびに市・県)にAさんの過労死を引き起こした責任があるのかどうかであった(以下、カッコ書きは判決文より引用)。使用者は「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務」(安全配慮義務)を負うのは、最高裁判例をはじめ、これまでも認められてきた法理だが、本件で校長に安全配慮義務違反があったのかどうかが争われた。
公立学校の教員の場合、給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)という特別法によって、災害時など、いわゆる超勤4項目で、臨時または緊急のときを除いて、校長は時間外勤務命令を出せない。ほとんどの時間外の仕事が教員の自主的、自発的なものと解釈されている。