本当に「例年通り」でいいのか

学習指導要領では学校行事の目標は、「学校行事を通して、望ましい人間関係を形成し、集団への所属感や連帯感を深め、公共の精神を養い、協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てる」とあります。

文化祭や学習発表会などの文化的行事については「平素の学習活動の成果を発表し、その向上の意欲を一層高めたり、文化や芸術に親しんだりするような活動を行うこと」。

まあ、学習指導要領だから幅広な目標になっています。個々の学校では、学校経営の最上位目標である「学校教育目標」や児童生徒の実態、地域の特色などを考えて、「この行事でどんな成長の機会にしたいのか」とか考えて企画し実行します。

とはいえ、おおむね「例年通り」の内容に落ち着く学校も多いです。この「毎年同じ活動」は、これまでの成果の蓄積があるので、完成のイメージがつかめる。毎年壁画を描いている学校では、過去の作品が校内に展示されていたりして、早い時期から「自分たちもこんなの作るんだ」とわかるし、合唱や演劇などのステージパフォーマンスにしても、動画記録などを授業の中などで見る機会があればゴールイメージが持てる。

指導する側も、前年度の資料などを参考に、反省点があれば改善して提案することができる、という利点が挙げられます。

新しいことを始めるのは大変。だから毎年同じ内容のほうが指導者側も負担感が少ないのも事実。参観に来られる保護者や地域の方々も、毎年恒例の出し物を楽しみにしてらっしゃるだろうと思うと、大幅に変えるのもためらわれる。だけど、忘れちゃいけないのは「子どもが主体となった学びの機会か」という視点。

行事の当事者はどう思っているの?

毎年やってくる学校行事に子どもたちはどんな思いを持っているのでしょう。実は、体育大会や文化祭が苦手という生徒も多いのです。これまで学校行事は、「個人」よりも「学級集団」としての協力・連帯感をもって成し遂げさせることが重視されがちでした。

例えば合唱コンクールでは合唱の出来栄えが学級のまとまりの結果のように評価されがちだったり、教員も合唱をよく仕上げることが、よい学級づくりにつながると考えていたりする人もいました。

この時期、学校を訪れると、生徒一人ひとりがプリントに「行事への意気込み」を記し、全員分を廊下に掲示している学校もあります。「金賞をめざそう!」とか「勝って学校代表になり市内の発表会に出場しよう」などと書かれているものがずらりと並ぶと、「なんだか昭和のモーレツサラリーマンみたい。これがしんどい子どももいるだろうな……」と感じます。

賞を目指さないと真面目に取り組まないのではないかと考え、コンクール形式にこだわったり、外からの評価に価値を見出したりしてしまうこともあります。子どもたちも多様ですから、行事に向かって一体感を持って頑張ることに乗り切れない子もいるでしょう。

制限が多かったコロナ禍の頃を思い出してみる

もうすっかり遠い過去になったように思われがちなコロナ禍の頃、人との距離を取る、集まらない、喋らない、飲食をしない、などの感染防止策で、多くの学校で従来型の行事ができなくなりました。外部の人が学校に来ることも不可です。

でも、逆に考えると、条件をクリアできるなら、新しい視点で行事を組み立てようと考えるチャンスとなりました。当時の勤務校の様子を思い出すと、職員から次々と新しいアイディアが生まれ、トライアルが続きました。

人との距離を取る必要があるなら、大きいホールを借りてみようか。飛沫が飛ぶから合唱や合奏ができないのであれば、全員でハンドクラップを楽しもう。オンラインとリアルの併用など、それまでの「学級ごとの連帯感」から「学校のみんなで楽しもう」に移っていきました。

「パフォーマンス・デイ」のすすめ

今はこのような取り組みが少しずつ広がってきているのかもしれません。当時の文化祭の一部を生徒のパフォーマンス・デイにしました。これは、ステージパフォーマンス、作品展示、デジタル機器上のいずれかで、個人または任意のグループでやりたいことをやる企画です。

クラス単位、学年単位という枠も外しました。隣のクラスの特定の子としかコミュニケーションを取れない生徒は、学級単位が苦しいこともあります。

森万喜子(もり・まきこ)
青森県教育改革有識者会議副議長、文部科学省CSマイスター、元北海道公立中学校長
校長在任中に、シンプルに本質を問う学校改善に取り組む。前例踏襲や同調圧力を嫌い、「ブルドーザーマキコ」というニックネームで呼ばれる。雑誌、新聞等で執筆活動、全国で講演活動や、地方教育行政へのアドバイザーとしても活動を行っている。著書に『「子どもが主語」の学校へようこそ!』(教育開発研究所)。北海道小樽市在住
(写真:本人提供)

異学年が交じり合う部活動などの集団で、1人で描きためたイラスト作品を掲示する、校内の一角を装飾する、黒板アートを描く、自分で作った衣装を展示する、展示見学タイムにはその衣装を着て校内を歩くなど、さまざまなパフォーマンスがありました。ステージパフォーマンスで人気なのはダンス、歌、漫才やコント。先生とピアノ連弾を披露する生徒もいました。

条件は学校教育目標の「自律・承認・創造」に合っていること、つまり他者を貶めない、観る人がみんな楽しめるようなものを目指す、環境に配慮するなどのシンプルなものでした。

結果、大人が心配するようなことは起きませんでした。つまり、何もしたくない、何をしていいかわからない子がぞろぞろ出るのではないか、準備期間に手持ち無沙汰で遊んだりさぼったりするのではないかなど、そんな心配は必要なかったのです。賞も付けませんでした。

生徒の間で「これすごいね!」「おもしろかったよ!」という声かけや大きな拍手や声援が起こったから。そして他者評価がなくても「来年もできるなら、こんな風にしたいな」「ここはもっとこうすればよかった」などと前向きな自己評価ができていたから。

終了後のアンケートでの満足度は96%程度でした。残りの4%は合唱してみたかった、とか吹奏楽部の演奏をできなくて残念、もっといい作品に仕上げたかったなどでした。

教員の働き方改革だけでなく子どもたちの負担軽減も

お叱りを受けるかもしれないけど、学校行事における教職員の「働き方改革」「負担軽減」という言葉が聞かれますが、子どもたちはどうでしょう。

文化祭は「平素の学習活動の成果を発表」するよりも「文化祭のための活動」を一生懸命にやって発表する日になっています。そして、意欲もスキルもある子は一人何役もの仕事を担うことがあります。

実行委員会の中心メンバーで、合唱コンクールのピアノ伴奏、さらに総合的な学習の時間の発表会のリーダーで、閉会式の司会もやります、みたいに。もちろん学校の授業も放課後の塾や習い事もあるので家に帰ってからもやることがいっぱい。

よいものを作りたいという気持ちは誰もが持つけれど、他者から褒められることをゴールにしない。子どもたちの「好き」を大事に「この学校の誰もが楽しめるもの」を1人ででも、友達とでも考えて表現してみる場にしてみる。大人は教えようとせずに、子どもたちのトライ&ラーンの時間を作ってみては、どうでしょう。

音楽も美術も、演劇もスポーツも、怒鳴られたり怒られたりしてやるのは悲しいです。完璧主義じゃなくていいと思う。子どもたちはこの行事を楽しんでいるかな、やりたいことがやれているかな、とぜひ一度立ち止まって考えてみてほしいです。

(注記のない写真: masa1350 / PIXTA)