色の溢れる鮮やかな学校生活
桐朋女子に入学すると、「紫のみなさん、ご入学おめでとうございます。」というように、学年色が代名詞になったかのように挨拶される。初めて会った先生や他学年には「紫の○○です。」というように自己紹介をする。上履きには学年色と名前を書く。提出物には当たり前のように学年色を記入する欄がある。これらは学年色があるからこそ行っていることであり、傍からみると不思議なことかもしれない。だが、このように身近に学年色のある生活することで、自分の学年色を、学年のことをより好きになり、学年の絆をつくりあげることができる。
学年色が紫である私は、買い物へ行くと気づけば紫色のものを選んでしまう。紫色のものを見ると、ふと同級生の顔が浮かんだりもする。また、新年度になると自然科学部生物班が、学校の花壇に新入生の学年色の植物を植え、歓迎する。この学年色の影響は、生徒だけでなく先生方にも及ぶ。先生方は年度ごとに付く学年が変わるが、新たな学年色の学年に付いたとき、その学年色のTシャツやネクタイなどを探す方もいる。体育祭などの行事では、先生方も自分の担当学年カラーを身につけ、生徒とともに活動するのも魅力的な特徴であると思う。
色と色のぶつかり合い!白熱する世界一の体育祭
毎年5月末に行われる体育祭。6年間体育祭の経験を積んだ高3から入学間もない中1までがハンデなしに真剣勝負をすると聞いて、どう思うだろうか。体格差や経験値など、不平等でおかしいと思うかもしれないが、学年対抗で戦うのが桐朋女子の体育祭だ。
この体育祭に向けて、私たちは学年の勝利のためにたくさんのエネルギーを注ぐ。学年色をチームカラーとして、選手選考から練習計画、朝練、昼練、自主練など、学年全体で協力する。時には、授業のことよりも体育祭のことばかり考えてしまうときもあるほどだ。学年のためを思い、駆け抜ける体育祭までの日々を過ごすことで、私たちは仲間とともに協力することを学び、仲間との絆を強くしていく。
私たちの体育祭の醍醐味は、なんといっても「応援交歓」。学年全員で心を合わせ、表現力を競う5分間の演技である。自分たちで演技構成を考え、学年色を取り入れた演技を創り上げる。入学直後の中1には、学年色を受け継ぐ後輩のために、卒業した先輩が練習のサポートに駆けつけたりもする。これはまさに自分の学年色を愛する気持ちの表れであると感じる。体育祭本番では、各学年が自分の学年を、他学年をたたえあい、工夫を凝らした応援交歓が繰り広げられる。
このように、たくさんの桐朋生の熱量のこもった体育祭はまさに「世界一の体育祭」と言えるだろう。
「桐朋会」で卒業後も母校とのつながりを
1945年から続く「桐朋会」は、高校卒業後に全員が入会する同窓会である。年に一度総会が開かれ、各期の幹事が集まる。また、桐朋会役員の協力により会報誌「みずぎり」も発行される。特徴的なのが同期会名だ。卒業して新入会員が入るときには、その期の学年色にちなんだ同期会名をつける。例えば、紫の学年であれば「なすびの会」、青の学年であれば「瑠璃の会」などだ。長年続く学年色の歴史の中でも、この同期会名があれば、すぐにその学年を特定することができる。
桐朋会があることで、同期の友人、部活動などで関わった先輩、後輩など、思い出の人に会うことができる。在学時の思い出や、互いの近況などのおしゃべりでとても盛り上がるそうだ。また、在学時は接点がなかったが、卒業してから桐朋会で初めて出会う桐朋生もいる。これは歴史ある同窓会が成り立っているからこそできる「つながり」であり、そこからまた桐朋生の輪が広がっていく。
学校外で桐朋生にばったり出会うことがあると、桐朋生は必ず互いに「何色ですか?」と聞く。その学年色と顔姿から年齢が予測できたりもする。自分と同じ学年色の人に偶然出会ったときには、在学時に関わりはなくとも、同じルーツを持っているということに感動し、親近感が湧き上がるものだ。
卒業後の自分を想像したとき、充実した生活を送った中高時代の親友たちと卒業後も桐朋会という形でつながれることがとても嬉しい。それぞれの夢に向かって別々の道に進むことになるが、桐朋会があることで、桐朋生としての誇りを持ち、どのような壁にも立ち向かっていけるように感じる。
(写真:本人提供)