7月30日に、学校の先生が中心となって「みんなの社会共創対話」という会が開かれ、私も参加してきました。170名近くの参加者のうち半分が現役の先生というこの会で、どんなことが話されたのか、主催者はどんな思いでこの会を開いているのかをリポートします。
現役教師たちの小さな一歩から始まる希望ある未来
「かつてないほど混沌とした時代のど真ん中を生きる私たちは、いったい、これからの時代をどう生きていけばいいんだろう?」
「われわれは、子どもたちに何を伝えていけばいいのだろう?」
「これまでと同じような教育をしていて、本当にいいのだろうか?」
と子どもを前にして、問題意識を持った現役の教師たちが中心となって、これからの学校教育について、何度も何度も、思いの丈を語り合い、対話を通して生まれたのが、「社会共創プラットフォーム」です。
その中心メンバーですが、2人は現役教師の小金井市立小金井第一小学校に勤務する松本将吾さんと、北区立王子小学校に勤務する小甲圭悟さん。そして、元教師で現在はメンタルコーチとして教師をサポートする中楯浩太さん。さらに、元ソニーで現在はミライプラスという教育事業を行う小林誠司さんとベネッセコーポレーション勤務の須藤淳彦さんです。今回は、松本さんと中楯さんに話を聞きました。
もともとは社会科を専門とする先生たちが、社会科の授業研究を行う「社会科教育連盟」で知り合い、社会とつながる社会科の授業を探求してきた中で、「社会課題について授業をする自分たちが、社会とつながっていない」という課題意識を持ち、「私たちにもできる、何か小さな一歩があるんじゃないか!?」「教師と社会を対話を通してつなげたい」という思いから「みんなの社会共創対話」を開催することになりました。
共創対話とは、さまざまな立場の参加者が、対話しながら、参加者同士で価値観を共有するとともに新しい価値を生み出していくことです。
「これまで、本当に寝る間を惜しんで、研究をしまくってきた」という中楯さんは、19年間現場に立ちながら、暗記科目ではなく考える社会科、社会とつながる社会科の授業探究を行い、小学校で実践を積み重ねてきました。
しかし、結局、中学・高校と上がるに連れて、ひたすらワークシートの穴埋め問題をこなす授業になっていく様子を見続けて、「いくらわれわれが命を懸けて授業研究をしても、日本全体は何も変わらない。先生だけで教育を変えていくのは苦しい」という思いを抱えるようになったそうです。そこからもっと社会全体にアプローチしたいと、学校外のあらゆる研修に参加し、教師だけでなく、さまざまな世界の人たちとつながってきました。
そんな中楯さんと社会教育連盟でつながり意気投合した小甲さんや松本さん。対話を通して生まれた言葉が、「教育が社会をつくり 社会が教育をつくる」でした。
やがて、彼らの熱い思いに共感した小林さんや須藤さんが加わり、さらに20名近いサポーターの方たちが、運営を手伝っています。まさに個人の思いや行動が隣の人を動かし、遠心状に輪が広がっていっているようです。
思いを持って活動している人の話に心を動かされる
この会の特徴は、必ず学校外で思いを持って活動している方をゲストスピーカーとして招き、その方々の話を聞いて、心が動いたこと、感じたことなどを参加者同士で対話をする。そして、あえて結論は出さなくていいという2つです。
2回目となる今回の共創対話のゲストは、次の4人。
落語教育家の楽亭じゅげむ(本名:小幡 七海)さん
ヤマガタデザイン代表取締役の山中大介さん
「平和をつくる仕事をつくる」をコンセプトに事業創造をする住岡健太さん
そして、元・文部科学副大臣で東京大学教授の鈴木寛さん
です。
じゅげむさんは、自殺やいじめが蔓延する学校で、正しい笑いの使い方を学ぶ授業をしたいと、全日本学生落語選手権優勝と小学校教員の経験を掛け合わせた落語教材を独自に開発し、落語を通して「はみ出し者を面白がる落語思考」を世に広める活動を行っています。
今、子どもたちは失敗を許されない、窮屈な環境の中で苦しい思いをしているけれど、落語には、人の弱さや欠点を否定せず、笑いに変えて受け入れる文化がある、だから、落語の笑いの世界に触れながら、正しい笑いの使い方を子どもたちに伝えているのです。そんな話を聞いた後に、「正しい笑いとは何か」をテーマに対話しました。私が加わった対話では、「子どもだけでなく大人もそんな苦しみの中にあるのではないか」という声が上がりました。
続いて、山形市で田んぼに浮かぶホテル「スイデンテラス」や有機農法のお米の販売など、いくつも事業を成功させている山中大介さん。最初はたった一人、資金もない中、縁もゆかりもない土地で周りを巻き込み、事業として成り立たせていったストーリーを聞き、対話を始めました。
個人的には「地域都市のあらゆる課題は未来の希望に変えられる!」という言葉に感動したのですが、その後一緒に話をしたお一人が、会社員から有機農法の農家に転職された方で、日本の食料生産の危機的な現状を伺いショックを受けると同時に、教科書には決して載らないこんな現場の話こそ、子どもたちに伝えなければいけないことだと感じました。
次に、広島市出身の被爆3世の住岡健太さんからは、被爆体験を語り継いでいくための活動について話を聞きました。幼少期から祖母の被爆体験を聞き「どうすれば世界が平和になるのか?」が大きな問いとなったという住岡さんは、世界を周った後に「平和をつくる仕事をつくる」をコンセプトに事業化。ボランティアという意識が強い平和ガイドの有償化やテクノロジーを活用した平和活動などに取り組まれている話を聞きました。
核の脅威が身近になっている昨今、平和をつくるってほんと簡単じゃないけれど、語り継がれたからこそ、こうして次の世代が動けるという事実と若い人の行動に感動するとともに、私は何ができるだろうと問いが立ちました。
最後に登壇した鈴木寛さんからは、「卒近代」というテーマで、日本の現状とこれからについて話がありました。「富国強兵の教育は成功し社会は豊かになったけれど、もうそこから卒業する時期だ。今、時代が変わり、人類にさまざまな課題が突きつけられている。日本は次のステージに行く時であり、そこでのテーマはウェルビーイングだ。これまで『ちゃんとしなくては』という“ちゃんと教”にとらわれてきたが、これからの世の中を救うのは一人ひとりの心から湧き上がる思いだ」というお話に、これからの学校教育が目指すべき道が示されていると感じました。一緒に話した方からは、「もう限界に達しているのだとしたら、ここから始めていけばいいんだと逆に勇気をもらった」という前向きな言葉がありました。
こうして、多様な登壇者の話を聞いて対話をする中で、参加者一人ひとりの心の中に、何かしらの思いが湧き起こっていったに違いありません。
巻き込み・巻き込まれ・巻き起こす
実際、「自分たちも何か始めようと相談し始めた」とか、「校内で管理職をしているが、校内研修で対話の場をつくりたい」というような声がすでに上がっているようです。この場をつくった松本さん自身も、「こういう場を、例えば勤務校の職員室や地元の教育研究会、何よりクラスの子どもたちと開いていきたいと思った」と言います。
「みんなの社会共創対話」は、研修の場ではなく、参加した人が自分らしくあっていいんだと実感すること、その人たちがつながること、さらに次は隣の人を連れてきたいと思う、そんな場所になってほしいと思って開いたという主催者の思いは、確実に参加者の人に伝わっていたようです。
私も10年前に、デンマークで見てきたことを伝え、みんなで考えたいと思って、これからの教育フューチャーセッションという対話の場を開いていたことがあります。その時の合言葉が、「巻き込む・巻き込まれる・巻き起こす」で、教育に課題意識を持つ一般の人たちが多く参加されていて、今それぞれの立場で事を起こしています。
でもその時には残念ながら先生の参加は少なく、先生は忙しくて学校外の人とつながる余裕はないといわれていました。
しかし、今回の共創対話には多くの先生が参加され、学校以外の参加者とつながり合っている姿を見て、「確実に変化は起きている」と思いました。これは、一人ひとりの小さな動きかもしれませんが、やがて確実に現実を動かす大きな力になるはずです。
前回の私の記事で、小学校の授業を見て感じた違和感について書きました。それは、一方的に大人が用意した正解に合わせていくことを覚え込まされていくことへの違和感からでしたが、そのことについてもさまざまな反応をいただきました。
でも、混沌とした未来を、自分の力で生きていかなくてはならない子どもたちに教えるべきことは、1つの正解ではなく、自分で考えること。そのときに、どうしたら自分も相手も大切にしながら、コンフリクトを超えてつながれるのかということを小さい時から、経験を通して考えさせていく場をつくることではないでしょうか。
今回の共創対話は、まさにそういう場を大人同士が体験し合う機会になったと思います。
教育改革について、さまざまな方がそれぞれの立場で真剣に取り組んでいらっしゃることは私も知っています。でも、いくらよいシステムを作っても、それを動かすのは人です。しかも今は過渡期。これまでのシステムで決められたことをする方が楽だし、変化を起こすにはエネルギーも要ります。だからこそ、立場や考えの違う人たちが安心して対話ができる環境が必要です。きっと一人ひとりの先生は、みんな子どもたちのためによかれと思って、それぞれの仕事をしているはずだからです。
最後に、教師だった住岡さんのお父様が急逝された時に、弔問に訪れる教え子たちの長い列ができ、交通整理に警察が出るほどだったという話を紹介しましょう。住岡さんは「父は名もない一人の教師だったけれど、この時に父の生きざまを見た気がした」と言います。生徒たちに伝わったのは、ノウハウではなく、一人の人間としての生きざまだったのです。
これこそがきっと先生という仕事の矜持ではないかと私は思いました。
(写真:すべて中曽根氏提供)