小学1年生の授業を見て感じたこと

先日、近所の公立小学校で公開授業があったので、行ってきました。見せてもらったのは、1年生の国語の授業。説明文を読みながら、登場人物ごとに、誰のことについて説明している文章なのかを、段落ごとに色分けしながら数字を振って、文の構造を見ていくというような授業でした。

久しぶりに授業を見せてもらって、小学校に入学してまだ3カ月の子どもたちが、結構難しいことを勉強しているんだなぁと感心したのですが、当然のことながら、1年生の子どもにとって、45分集中して先生の話を聞くというのは簡単ではありません。

見ていると、しっかり授業についていけている子は一部で、先生の質問に対して、手を挙げる子は決まった子。その子の答えに対して、「どうですか?」と聞かれて、一斉に「同じです」と答えるという、昔ながらのお決まりの授業進行。タブレットとモニターを使っているだけで、相変わらず正解を教える一斉授業ではないかと感じたのです。

とくに気になったのは、問いに当たる文章について、「これは何でしょう?」という問いかけに、「クイズ!」と答えた子どもの発言が、無視されていたこと。

その時に先生が無視した意図はわかりませんが、「クイズという答えも、問題文のことを別の言葉で表現しているわけだし、先生はここを拾わずに問題文が正解と教えていくのか。あー、こうやって子どもたちは、1つの正解に合わせていくことを学んでいくんだなあ」と感じたのでした。

もちろん、1人で35人を相手に授業をする先生のスキルはすばらしいですし、この先生を批判しているわけではありません。でも、これからは先生の役割も変わっていくという有識者の方々の話をずっと聞いてきたので、余計に現場との乖離を感じたのです。

中曽根陽子(なかそね・ようこ)
教育ジャーナリスト/マザークエスト代表
小学館を出産で退職後、女性のネットワークを生かした編集企画会社を発足。「お母さんと子ども達の笑顔のために」をコンセプトに数多くの書籍をプロデュース。その後、数少ないお母さん目線に立つ教育ジャーナリストとして紙媒体からWeb連載まで幅広く執筆。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエーティブな力を育てる探究型の学びへのシフトを提唱。「子育ては人材育成のプロジェクト」であり、そのキーマンであるお母さんが幸せな子育てを探究する学びの場「マザークエスト」も運営している。著書に『1歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)、『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)などがある
(写真:中曽根氏提供)

現場の先生に聞いて出てきた本音、最優先事項は横並び?

この話を複数の学校の先生にお話ししたところ、「この場合は、『手挙げのルール』を破っているので、そこでその言葉を拾ったら、ほかの子どもも勝手にしゃべり出す。とくに1年生の場合、そこから授業が崩壊する危険もあるからよほど力のある先生でないと拾えない」と言われました。

なるほど、そうなのか……とは思いましたが、それが今の学習指導要領で求められているはずの「主体的・対話的で深い学び」につながっていくのだろうかという疑問も湧きました。

先生は授業を前に進めなくてはいけないので、そうせざるをえないのかもしれないのですが、せっかくワクワクした気持ちでランドセルを背負って入学した子どもたちが、先生の言うことを聞いて、正解を覚えていくことが勉強だと考えるようになってしまうのではないかとモヤモヤしたのです。

そんなモヤモヤが消えず、子どもたちが「勉強するってこんなに楽しいことなんだ!」と思って、授業を前のめりで聞けるようにするには、どうすればいいのだろう。ほかの学校ではどうなのか、さらにちまたで言われている「主体的・対話的で深い学び」や教育改革について、現場ではどう受け止めているのか、現場の状況はどうなっているのかを複数の先生に聞いてみることにしました。

今回話を聞いたのは、ご縁をいただいた次の方々。東京都の公立小学校に勤務する宮澤弘道先生と二川佳祐先生、岡山県の公立小学校に勤務する山口育恵先生。そして、東京都の公立小学校で担任として勤務後、現在は世田谷区と新宿区で非常勤講師として働きながら、子育て教育コミュニティー「つみき」を運営している古内しんご先生。全員勤務歴15年以上の経験を持つ先生です。

私の課題意識を聞いて、その授業はある意味成功しているし、その先生は力のある先生として評価されているだろうという意見が多かったのは驚きでした。「統制的と思ったかもしれないけれど履修主義が重視され、教科書準拠の授業が前提の現状ではそうならざるをえないし、自分もそういう授業をしている」。また、「今の教科書は誰が教えても、そのとおりやれば授業が流れるように作られているので、そうなる」という意見もありました。

さらに、日本の学校では「学年で進度の差はつけられない」という意識が徹底しているから、先生の最優先事項は、決まった範囲を決まったコマ数で消化していくことに置かれていて、自由度が低いという事実。

なのに、新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」という観点が加わり、さらに「個別最適な学び」という文言とともに1人1台のタブレットが配布された。しかもコロナ対策に追われた数年がやっと終わったところで、とにかく現場は混乱しているというのが、先生たちの置かれている状況なのだと、よくわかりました。

理想が打ち砕かれる毎日、学校が「守り」にならざるをえない事情

前回書いたように学校では、定年によるベテラン教員の大量退職に加えて、病気などでの中途退職者の増加による人員不足が深刻です。さらに現場では経験の浅い若手教員が増えており、指導力もあり新しいことにもチャレンジする意欲のある中堅の先生は、そのフォローもしなくてはならず、自らの授業研究をする余裕もない。

加えて、物言う保護者からのクレームに学校は防御の姿勢を取らざるをえず、管理職による管理もきつくなりがちで、新しいチャレンジがしにくいという声が多く上がりました。

その点について、「教師は、子どもと向き合える先生でいたいという理想を持って先生になる。子どものために授業を工夫し、挑戦したいと思っていても、毎日のようにそれがくじかれるような出来事がある。管理職から指導され、保護者からの要望を受け、異様なほど足並みをそろえないといけないとおびえていき、どうせ理想の授業なんてできないと、挑戦しないマインドが定着していく先生も少なくない」と言うのは古内先生。

こういう経験を経て、自分の中に哲学を持っている先生は、たとえ保護者のクレームや管理職の指導があっても、それを受け止めることができるが、経験の浅い先生は心が折れやすいのだと指摘します。病欠の先生が増えている理由は、多忙のほかにこういうこともあるのです。

職場環境は、学校によっても違うとは思いますが、全体的に職員室は、心理的安全性が保たれていない場所になっているという印象を受けました。

その中で、これまでの教育を踏襲していけばいいわけではないことは、ある程度わかっているけれど、「自分たちが経験したことのないことをやれと言われても、そう簡単ではない」というのが先生の本音のようです。

楽しくはないが、できるようになることが優先される日本の教育

実際、教員向け研修も行っている宮澤先生は、研修で図のようなマトリックスを示し重要度を聞くそうです。もちろん「楽しくてできるようになる授業」がいちばんだけれど、次は「楽しくないけれどできるようになる授業」が重要という答えが9割を占めるといいます。

出所:宮澤先生への取材を基に中曽根氏作成

しかし実際は、「楽しくはないけれどできるようになる勉強をしている」とどこかで行き詰まる。逆に、「わからないけれど勉強は楽しい」という経験をした子どもほど後で伸びる。できない子でも、学びに向かっている過程を認めてもらうことが、とても大切だと宮澤先生。

これは、心理学でもいわれていることで、さらに言えば、できないところより、できているところを見てもらい、努力している過程を認めてもらえると、さらに挑戦しようという気持ちになることもわかっています。

しかし現実は、テストでよい点を取れる学力をつけることが求められているし、できないところをできるようにするのが教育だと、多くの方が思っているのではないでしょうか? だから、面白くなくてもできるようになる授業が優先されるのでしょう。

教職員向け研修をする宮澤先生。道徳の教科化に関する著書もある
(写真:宮澤先生提供)

しかも、学校の成績評価の観点は以前より厳しくなっていると指摘するのは山口先生。「以前は、1. 知識・理解、2. 技能、3. 思考・判断・表現、4. 関心・意欲・態度の4観点評価だったものが、1と2が合体した3観点評価に変わったことで、頑張っていても結果が出ないと◎はつけられなくなった。これは、指導観を変えて、深い理解を子どもに促す主体的な授業を教員に働きかける処置なのですが、こうした観点の違いを知らない歳の離れた兄弟のいる保護者は、下の子は上の子より勉強ができないと誤解するかもしれない」といいます。

自由度が低い中でも、理想の教育を実現しようとする教師たち

ここまで4人の先生の話を聞いて、理想と現実のギャップにため息も出てきましたが、誰のため何のための教育なのかを考えると、やはり今の状況で仕方ないとは言えません。

ただ、希望の灯火はあちこちに灯っていて、先生の学び合いの場所もたくさんできていますし、意欲ある先生は現状を変えていこうと努力されていることを私も知っています。

今回話を聞いた先生方も、今できる中で、学校をよりよくしていこうと努力されていたので、その実践を紹介しましょう。

通常の授業では、なかなか主体的な学びはできないけれど、年間70〜105時間ある総合的な学習の時間を使って、自分色の学習デザインを実践しているというのは二川先生です。

講演など校外でも積極的に活動をしている二川先生
(写真:二川先生提供)
ユニクロと、隣の東京都立石神井特別支援学校との共同プロジェクト。全校に呼びかけ、1159枚もの古着が集まった。ポスターは1人1台端末を使って児童が作った
(写真:二川先生提供)

子どもたちが主体的に決めたテーマに基づいて探究活動を行いチームでプレゼンテーション。最後は「自分はどう生きていきたいか」を小学校版「TED」として1人ずつ発表するという年間を通したプロジェクト学習を、他クラスの先生にも話して学年として行ったそうです。

ほかにも、SDGsの学習では3つのプロジェクトに分かれて協働的に学びました。子どもたちは環境問題からLGBTQまで、多種多様な課題を取り上げ、自分たちなりに探究し、立派に発表をしていました。ほかにもZoomで南アフリカの現地の日本人の先生とつなぎ、人種差別について意見を交換したりもしたそうです。

特別支援学級の担任や、特別支援コーディネーターを担当する山口先生は、以前紹介した方眼ノート(関連記事)も学び、さらに脳科学・ウェルビーイング・言葉を意識した授業を探究。この夏も岡山から、「教育は楽しい!かっこいい!」と思えるようになる、新しい教育の魅力が体験できる教育研究に参加。今夏も謎解きのような国語の公開授業を行います。

春に行われた「教育クリエイターフェスSCHOOL」に岡山から初参加した山口先生。夏の「Tokyo Education Show」でも授業を行う
(写真:山口先生提供)

また古内先生は、いったん正職員から身を引き、非常勤講師として現場に身を置きながら、残りの時間で、「子育てを“孤育て”にしない! 教育を“学校だけのもの”にしない! 子育て教育を多くの人の自分事に」という理念の下、《学びあい 育ちあい》の社会を目指して、子育て教育コミュニティー【つ(繋ぐ)み(皆を)き(教育で)】という団体の活動を通して、子育て教育をみんなでつくっていく社会を目指しています。

古内先生は、学校を飛び出し、みんなでつくっていく社会を目指して、「つみき」の活動を行っている
(写真:古内先生提供)

子どもを真ん中において学校と保護者が手を携えることから

どの先生も、子どもたちのためを思って活動をしています。こうしたそれぞれの先生の思いが、やがて管理型の学校教育という岩盤を突き崩し、子どもを真ん中に置いた学校教育が実現していくと信じたい。ただそれを妨げる、さまざまな課題があることも今回の取材でよくわかりました。

最後に、日本も批准している子どもの権利条約の4つの原則を紹介しましょう。

生命、生存および発達に対する権利
(命を守られ成長できること)

すべての子どもの命が守られ、持って生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障される。

子どもの意見の尊重
(意見を表明し参加できること)

子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、大人はその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮する。

子どもの最善の利益
(子どもにとって最もよいこと)

子どもに関することが決められ、行われるときは、「その子どもにとって最もよいことは何か」を第一に考える。

差別の禁止(差別のないこと)

すべての子どもは、子ども自身や親の人種や国籍、性、意見、障害、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障される。

この4つの原則は、2023年4月に施行された「こども基本法」にも取り入れられています。

しかし、多くの先生はこの内容をちゃんと理解していないのではないかと宮澤先生は言います。「この条約の前提は、子どもは自分で意見を形成する能力があるという前提に立っている。つまり、子どもたちがその力を伸ばしていける引き出しを用意することが、教員の役割だ」という言葉が印象的でした。

今盛んに言われている探究的な学びは、指導者の力量が問われることもあり、横並び意識が強い日本では、結局型どおりの授業を行わざるをえないという状況があるというのもよくわかりました。でも、時代は大きく変わっていくのですから、学校教育の意味と目的を前提から考え直す時期に来ているのは確かでしょう。

けれども、それは学校だけで決めることではなく、そこに子どもを預けている親も一緒になって対話をしていくことが必要です。保護者は要望を出すだけではなく、トライ&エラーがあってもそれを寛容に受け止め一緒につくっていくくらいの気持ちがないと新しい教育への挑戦は先生もできませんね。

好き勝手に突進し、何か(誰か)にぶつかったら方向転換する「ルンバタイム」に興じる子どもたち。雑巾がけも楽しい体験になる
(写真:宮澤先生提供)

制度としては、学校運営委員会やコミュニティ・スクールなどがありますが、機能しているかというと怪しい。しかも、学校教育は、ある意味サービス業になってしまっているという指摘もありました。学校は保護者からクレームが出ないように守りの姿勢が強くなっているのだとしたら、お互いに信頼関係を築いていくことが、学校をよい場所にしていくためには欠かせないでしょう。

逆に言えば、子どもを真ん中にして子どもたちが幸せであるために何が大切なのかを対話し、協力し合えたら、学校という場所も変わっていくのではないでしょうか。

そのときに大切なのは、子どもを一人の対等な人間として尊重する、その意識を先生も親も持つこと。そして、子どもを育てる仲間として、お互いをリスペクトする関係づくりが、何よりまず必要なのではないか。そんな思いを抱いた取材となりました。

(注記のない写真:Ushico / PIXTA)