先生も生徒もみんな幸せになる「ウェルビーイング教育」とは?

生徒と先生のウェルビーイングを高めるために、ポジティブ心理学のエビデンスに基づいたウェルビーイング教育を取り入れると、先生も生徒も幸福度が上がるだけでなく、実は生徒の学力までも上がるというエビデンスがあることを、以前こちらの記事で書きました。

このところ、日本の教育現場のさまざまな課題について触れることが続いていましたが、今回は日本にもウェルビーイング教育が芽吹きつつあることを紹介したいと思います。新渡戸文化学園(東京都中野区)の取り組みです。

8月31日に首都圏模試センター主催で、「ウェルビーイング教育セミナー〜全員が笑顔!ウェルビーイング教育で学校全体を幸せに〜」が新渡戸文化中学校・高等学校で開催されました。

今回、私もキーノートスピーチとして「先生も生徒もみんな幸せになるウェルビーイング教育とは〜ウェルビーイングと学力との意外な関係」についてお話をさせていただいたのですが、会場となった新渡戸文化中学校・高等学校からは副校長の山藤旅聞先生とブランディングデザインチーフの奥津憲人先生、キャリア・ラーニングデザインチーフの石井俊二先生、そして日本私学教育研究所 理事・所長で東京私学教育研究所所長の平方邦行先生が登壇され、中学校・高等学校の教育について実例を基に紹介されたので、その内容をリポートします。

中曽根陽子(なかそね・ようこ)
教育ジャーナリスト/マザークエスト代表
小学館を出産で退職後、女性のネットワークを生かした編集企画会社を発足。「お母さんと子ども達の笑顔のために」をコンセプトに数多くの書籍をプロデュース。その後、数少ないお母さん目線に立つ教育ジャーナリストとして紙媒体からWeb連載まで幅広く執筆。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエーティブな力を育てる探究型の学びへのシフトを提唱。「子育ては人材育成のプロジェクト」であり、そのキーマンであるお母さんが幸せな子育てを探究する学びの場「マザークエスト」も運営している。著書に『1歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)、『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)などがある
(写真:中曽根氏提供)

最上位テーマは「Happiness Creator:幸せをつくる人」

新渡戸文化学園はその名前のとおり、明治・大正・昭和を通して日本の教育に多大な功績を残した教育者、新渡戸稲造が初代校長を務めた歴史のある学校です。とくに中学・高校の取り組みが、先進的な教育について発信するオピニオンリーダー達の間でも注目を集めています。

注目を集める理由はいくつかありますが、私がいちばん感心したのは、Happiness Creator(幸せをつくる人)を育てることを、子ども園から短期大学まで有する学園全体の最上位のテーマに置いて、すべての教育活動を行っているところです。

今、私立学校は、自主性を尊重しつつ公共性と質の向上を担保するためにも、建学の精神をはじめ目指す教育について向き合うことが求められています。そこで新渡戸文化学園が導き出したのが、前述のHappiness Creatorの育成という言葉でした。

奥津憲人(おくつ・けんと)
新渡戸文化中学校・高等学校 ブランディングデザインチーフ

奥津先生は、新渡戸稲造が残した「自分が生まれてからこの世を去るまでに、周りの人々が少しでもよくなれば、それで生まれてきた甲斐があるというものである」という言葉を紹介しつつ、新渡戸文化学園のスクールミッションは、「地域・社会と共に持続可能な未来を描く拠点として、個人と社会のウェルビーイングを創造する」ことだと説明しました。

具体的には、コアラーニング(教科基礎学習の時間)、クロスカリキュラム(教科を超えたプロジェクト)、チャレンジベースドラーニング(リアルな社会課題への挑戦)の3Cカリキュラムを回しながら、自ら学びをデザインする自律型学習者を育てていきます。

コアラーニングでは、1人1台のiPadとAIを活用したデジタル教材を使った個別最適な学びを実現することで余白を取りつつ、毎週水曜日には全日を通したクロスカリキュラムの授業を行います。クロスカリキュラムの時間には、複数教科の教員によって展開される教科の枠を超えた授業で、複眼的思考で課題を読み解く力をつけていきます。

実体験を通して自ら問いを立て、余白の時間でじっくり考える

社会課題を解決するために、大人がテーマを設定してそれを解決する方法を子どもに提案させるSDGsの教育に疑問を投げかける山藤先生。新渡戸文化学園では、コアラーニングで培った力を生かして、生徒自らが課題を発見し、そこに向き合いながら答えを探していくプロセスを重視しています。

ユニークなのは、修学旅行をそれぞれの興味・関心に応じて行き先や内容を選べるスタディツアーにしているところ。

山藤旅聞(さんとう・りょぶん)
新渡戸文化中学校・高等学校 副校長

「体験に勝る学びはなし」を実現するために年に1〜2回、高1・高2では最大年4回、日本全国のさまざまな場所に出かけていきます。そこで見て体験して感じたことから生まれた問いをクロスカリキュラムの中で深化させ、再び現地を訪れ、最終的に実際の課題解決プロジェクトとして現地に提案することもあります。

そうした話から、この日に紹介されたのは、「地方都市の廃校を使った新しい防災訓練プロジェクト」です。

スタディツアーで、早朝から大変な思いをして定置網漁に参加し、それが驚くべき値段で売られていく現実を目の当たりにし、売ることができなかった食材で自炊をすることで食に対する意識も変わっていきます。また現地で超高齢化が進む地方都市の課題にも気づいた生徒たちが、東京に戻ってからクロスカリキュラムの時間に何ができるかをひたすら問い直し、1年半かけて生まれたのが、いつ起きても不思議ではない震災から身を守るための防災教育を、全国で増え続ける廃校を活用して行うというアイデアでした。

現地では、このプロジェクトの様子がメディアにも取り上げられ、地元住民の方からも高い評価を得たのです。実際、このプロジェクトを進めた生徒にどんな未来にしたいかを問うたら、「探究を通じて、実体験を得ながら自己理解を深め、社会に出たときに自分で考えて行動できるとワクワクできるのではないか」という答えが返ってきたそうです。

この話を聞いて、私は誰かに与えられた問いに答えるのではなく、自ら考え行動したからこそ、その問いは自分事となり、生徒たちを動かし続ける内発的動機になっているのだと感じました。

実際、所得、学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えていることが明らかになっています。山藤先生からも国内2万人に対するアンケート調査の結果が示され、自己決定できる自律型学習者を育てることで、ウェルビーイングが醸成されるのではないかという見解が示されました。

しかし、それは「『全部自分で考えなさい』と放り出すことではなく、本物の社会貢献活動に触れること、そこに取り組んでいる大人の存在が欠かせません」と山藤先生は言います。

つまり、大人自身が探究する姿を見せることが生徒たちのモデルになり、社会に出て自分はどう生きていくのか、そのために何を学びたいのかを考えることにもつながっていくのです。

新渡戸で「大学進学後の進路先の満足度が100%」な訳

では生徒たちが、自分でやりたいことを見つけて社会に出ていくために、高校では具体的にどのような進路指導をしているのか。また高大接続はどうなっているのでしょうか。

今回のセミナーでは、第3部「ウェルビーイング教育を実践するために」で、平方先生・石井先生・山藤先生によるトークセッションが開かれました。

実際のところ、普通科高校が7割を占める日本の学校制度は複線型の授業ではなく、大学受験をゴールに組まれているようなところがあります。だからこそ、高大接続が議論され大学入試改革から日本の教育改革を行おうとしていました。

しかし、2021年に公平性の文脈でその改革が先送りとなり、実際に大学入試改革やそれにまつわる教育改革が行われるか疑問視する声もあります。長く、高大接続に関する委員を務めた平方先生からも、そうした経緯がウェルビーイング教育でも繰り返されなければいいがという危惧も示されました。

ただ、実際は大学入試の約5割が学校推薦型・総合型選抜になっている現実もあり、生徒の将来の扉を開くうえでは、やはり生徒自身が何をしたいのかを探究していくことは重要になっています。

石井俊二(いしい・しゅんじ)
新渡戸文化中学校・高等学校 キャリア・ラーニングデザインチーフ

「新渡戸でも約80%が総合型選抜や指定校推薦で進学先を決めている」と石井先生。普段から探究教育を行っているので、生徒たちはチャンスを担保する意味でも一般入試に先駆けて総合型選抜にチャレンジし、合格しているのです。

しかも大学進学後の生徒たちの進路先の満足度は100%。新渡戸文化学園の高校3年生は、偏差値にとらわれず、大学の先生の研究や人脈まで自分で徹底的に調べて受験校を決めていくそうです。

「自分の生き方に責任を持って決めていく生徒たちのウェルビーイングはすでに高いのではないか。そういう生徒たちの決定を、大人たちが自分の価値観にとらわれず子どもたちの未来を応援していくことが大切だ」と山藤先生。

学校がウェルビーイングな場であるために必要なのは?

最後に平方先生からは、学校でウェルビーイングを広げていくためには、コミュニケーションと建学の精神が大切だという言葉がありました。

「教師が生徒に抑圧的なコミュニケーションをすれば、それは必ず生徒の自己否定感につながり、心の中に鬱屈したエネルギーがたまる。それが暴力や逃避、無視、責任転嫁にもつながりかねない。学校がウェルビーイングな場であるためには、コミュニケーションを大切にしなければならない。また、それぞれの学校の究極な魂が込められているのが建学の精神なので、そこを大事にすることが、子どもたちの精神的支柱になります」(平方先生)

平方邦行(ひらかた・くにゆき)
日本私学教育研究所 理事・所長、東京私学教育研究所 所長

時代が大きく変わり、さまざまな課題が突きつけられている現在、これから未来をつくっていく子どもたちのために、私たち大人はどうあるべきなのか。学校は何をする場所なのか。そんなことを考える時間にもなりました。

私自身は、長年学校現場の取材をしてきて、子どもたちがそれぞれの持てる力を発揮して、自分らしく幸せに生き、さらに地球に生きる共同体としてよりよい世界をつくる人になるような教育が実現してほしいと願っています。そのためには、学校が生徒にとっても先生にとっても安心していられる場所であることが、何より大事ではないでしょうか。今回の新渡戸文化学園の取り組みは、その一つのモデルになりうる事例だと思いました。

テストメイキングの力を重視し、偏差値的価値観を手放せない人が多いのも事実ですが、2023年6月16日に新たな教育振興基本計画が閣議決定されました。その中で、日本においてのウェルビーイングについても明記されています。

学校をウェルビーイングにしていくためには、先生がウェルビーイングについて理解し、先生自身がウェルビーイングであることが大切です。そのためのウェルビーイング教育プログラムに関心を持っていただけたら、こちらもぜひご覧ください。

(写真:すべて首都圏模試センター提供)