オルタナティブスクールと連携して公教育もアップデート
オルタナティブスクールという言葉を知っていますか?
日本では、オルタナティブスクールは、一般的な公立や私立の学校とは異なる「新たな選択肢の学校」という意味で使われることが多く、近年注目が集まっています。
厳密に言うと、オルタナティブスクールもフリースクールの1つですが、一般的にはフリースクールは不登校や引きこもりになった子どもが昼間過ごす居場所の意味合いが強いのに対し、オルタナティブスクールは一条校(学校教育法第一条に定められた学校の総称)ではない、「もう1つの学校」を指す意味で使われることが多いようです。
あえて一条校にはしない選択をした学校といってもいいかもしれません。ここ数年、相次いでオルタナティブスクールが開校し、その存在がクローズアップされることが増えてきました。
今回、その1つ神奈川県葉山町にあるヒミツキチ森学園に行ってきました。
「自分のどまんなかで生きられる愛とギフトの世界」とは
ヒミツキチ森学園は、2020年4月に開校しましたが、ことの始まりは遡ることさらに3年前。運営母体の一般社団法人PLAYFUL代表で学園校長の小林千峰さん(以下、ちほやん)が、幼児教育に携わった経験から、角を取って丸くするような既存の教育に違和感を持ったことから始まりました。
その答えを探そうと訪れたデンマークやオランダで社会や教育のあり方を見てインスパイアされ、日本に帰国する機内で、「学校をつくろう!」と決意したのです。決まっていたのは「自分のどまんなかで生きられる愛とギフトの世界」をつくるというコンセプトだけでした。
「デンマークの教育のフィールドにあった、人が人として生きることを大切にしていることに感銘したことから始まりました。自分のどまんなかで生きたい人が、自分のどまんなかで生きられる。自分のどまんなかにその人がいることで、誰かのギフトになっていく世界を見たい。そのためには、まず子どもたちが自分のどまんなかで生きられる学校をつくることから始めようと思った」とちほやん。
「それってどういうこと?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、私もデンマークの教育を視察してから、「思ったなら一歩踏み出すべし!」とそんな気持ちにさせられ、人生がシフトチェンジした経験があるので、その思いはよくわかりました。
翌年、キックオフイベントを行い、どまんなかの思いを伝え、共鳴してくれた300人以上の人たちが集まって、カリキュラム部・クラファン部・舎作り部などそれぞれのどまんなかだと思うプロジェクトチームに参加。思いを重ねながら学校づくりを行い、2年かけて今の場所(神奈川県葉山町)に開校しました。
トップダウンで組織運営するのではなく、対話によって共につくっていくというスタイルにこだわったと、ちほやんは話します。カリキュラムをつくる過程でも、最初は学習指導要領による教育に批判的な声が上がって、日本の教育を否定するような雰囲気になっていったことに、すごくモヤモヤしたと言います。
しばらくは静観していましたが、悩んだ末、いったん初心に返ろうと、勇気を出してカリキュラム部を解散。もう一度、「何のためにオルタナティブスクールを立ち上げるのか」という原点に立ち返って考えることにしたのです。
そして、改めて学習指導要領を読み込んでいくうちに、そこに書かれていることは、決して自分たちがやろうとしていることと相反することではないと気づいたそうです。そして、日本の学習指導要領をマッピングしながらカリキュラムをつくり、オランダのイエナプラン教育とデンマークの教育の指針を土台にしたスクールを立ち上げたのです。
イエナプランの考え方を取り入れたカリキュラム
大切にしているのは、次の4つの柱。いちばん大きな柱として「生きる力を育む」、それを支える3つの柱として「自分を知る」「人とつながる」「学び方を学ぶ」があります。
学園の1日は、自分たちが過ごす場所を清めて整える掃除と、今日の活動にチェックインするサークルタイムから始まります。じっくり30分かけて対話によって子どもたちの様子を確認した後は、ブロックアワーという学習の時間。
1〜3年相当の森サークルと、4〜6年相当の海サークルに分かれた子どもたちは、自分が決めた1週間の計画に従って、それぞれの学習に取り組んでいました。
計算や漢字のドリルに取り組む子。タブレットの課題に取り組む子。それぞれにあったスタイルで学習を進めていきます。この日の海サークルは、元小学校教員でヨガのインスタラクターでもあるグループリーダーの青山雄太さん(あおちゃん)によるヨガクラスで、心と体を整えてから学習に取り組んでいました(タイトル上の写真参照)。
見ていると、計算問題に苦戦する子に年上の子が教える場面が……。最初は指を使って教えようとしていましたが、そのうち玉そろばんを持ってきて、その使い方を教え、考え方を一生懸命伝えていました。この場面を見て、「この子は、学び方を学んできたんだな」と感じました。
自分で決めた学習が終わると、子どもたちはグループリーダーと呼ばれる先生に見せにいき、リーダーは1人ひとりの取り組みを確認しながら、ポートフォリオに記録。定期的に面談をして振り返るというサイクルで子どもの成長を見守っていくのです。
ブロックアワーの間には、30分のヒュッゲの時間。ヒュッゲとは、デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」を指す言葉ですが、ヒミツキチでのこの時間は休憩ではなく右脳を使って思いっきり遊ぶ時間だそう。この日は裏の畑に行って、作業をしていました。
午後は「プロジェクトアワー」。校舎を飛び出して、葉山の自然や文化財に触れ街で学んだり、さまざまな背景を持つ大人たちが、1日先生として授業をしに来てくれたりします。
例えば、地元の料理研究家が命と食の授業をしたり、釣り好きの父親が釣りを教えたり、それぞれのどまんなかを伝えてくれるのです。「おもしろい大人の背中を見せたい」という話に共感していたら、なんと地元の公立小学校の校長先生も来て授業をしてくれたと聞いて、正直驚きました。
なぜなら、オルタナティブスクールに通う子どもたちは、それぞれの居住地の学校に籍を置くことになりますが、中には、理解してもらうのが大変だったという話も聞いていたからです。
葉山町全体が学びの場所、公教育とも境界線を設けない
「最初から日本の教育を批判して学園をつくりたかったわけではなく、みんなで共につくりたいと思っていました。だから人も場所も境界線を設けず、葉山という町全体が学びの場所です」とちほやん。
この町では、オルタナティブスクールと公教育がつながっている。その訳を知りたくて後日、葉山町教育長の稲垣一郎氏にお声をかけたところ、早速場を設けてくださいました。このフットワークの軽さは、これまでに経験したことがなかったので驚きでした。
ここからは、その様子を紹介しましょう。参加したのは、葉山町教育委員会から、稲垣一郎教育長、学校教育課長の濵名恵美子氏。指導主事の松本美穂氏と沖野僚太郎氏。そして、ちほやんと、ヒミツキチ森学園の運営母体である一般社団法人PLAYFULの理事・野瀬美千子さん。すでに互いに旧知の仲で、リラックスした様子で取材に応じてくれました。
「決して敵ではないので、関係づくりの一歩は、開校に当たって教育委員会に挨拶に行き、自分たちの思いを伝えることから始まりました」と野瀬さん。ヒミツキチ森学園に来る子どもたちは、地元の学校に籍を置くことになるので当たり前のことだと言いますが、そこは、それぞれの保護者に任されているところが多いのではないでしょうか。
しかし、地元の人と丁寧に関わる。こんなところに、よい関係性を築くヒントがあると感じました。
違いを認め合い、混じり合うことで化学反応が起きる
15年間小学校の現場に立ったのちに現在の教育委員会に籍を置く沖野氏は「公教育をリスペクトしてくださるのでありがたいが、こちらも学ぶことが多い。ヒミツキチ森学園の取り組みを見ていて、自分も知らず知らずのうちに決められた枠の中でとらわれていたことに気づき、そもそも何のための教育なのかという原点に戻って考えるようになりました」と言います。
また、「葉山町の学校にもリソースルームという校内フリースクールのような居場所はあって一定の成果はあるけれど、そもそも学校という場所に合わない子たちが行ける場所はたくさんあったほうがいいので、オルタナティブスクールのような多様な教育の場が葉山にもっと増えたらいいと思う」と言うのは、特別支援級の教育に取り組む松本氏。
不登校の問題については、「一番の問題は、家から出られず、どこともつながれない子どもたちがいること。葉山には、ほかにもオルタナティブスクールやフリースクールがあるが、どこであっても子どもたちの居場所があることが大事なので、連携するのは当たり前。オルタナティブスクールは一条校ではないけれど、私学と同じ小学校という捉え方をしており、学ぶ場所に縛りはない。そもそも、教室以外は学校ではないという考えは捨てなければいけないし、教育機会確保法でフリースクールも教育の場と認められているのだから、必要であればタブレット端末の貸し出しも行っている。いろいろな意味で子どもたちが育っていけばいいという考えだ」と稲垣教育長は言います。
「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」という滋賀県・東近江市長の発言とは正反対の姿勢です。
学習指導要領も変わり探究的な学びが重要視される中、それがなかなか簡単ではない現状を以前書きましたが(関連記事)、葉山町では探究的な授業研究に熱心な教員を集めて、どうしたら公教育でそんな学びを広げていけるかを話し合っているということで、オルタナティブスクールの実践も参考にしたいと考えているそうです。
反対に、現役校長がヒミツキチ森学園で授業をするなど地道な交流を通して、公立小学校の校長も主体的に学校をよくしていこうというマインドに変わり、全体的に歯車が噛み合っていい方向に動き始めているそうです。
「ヒミツキチ森学園の学習の様子を見させていただいて、課題や問いの持たせ方、自由進度で子どもたちが自分で学習計画を立て、振り返りながら次の学習につなげていくプロセスは、公教育の探究学習を進めていくうえでも取り入れたいと考えています」と言うのは中学校教諭を経て学校教育課長を務める濵名氏。
こんなところにも、オルタナティブスクールの取り組みを公教育に積極的に取り入れようという姿勢が感じられました。
葉山町では、葉山から日本の教育を変えるという意気込みで、新しい社会、新しい学びに対応するために、施設一体型小中一貫校の整備を目指しています。
そこで、葉山町教育委員会は「楽校をつくろう!」を合言葉に、新しい学びとその空間づくりにかかる取り組みのキックオフとして、11月12日に町民が参加して「未来の楽校を考えるワークショップ」を開催しました。
前回、「不登校29万9048人で過去最多、『日本の教育』はすでに崩壊していると言える訳」という記事を書きましたが、今回の取材を通して、希望もあることを知りました。公教育が抱える問題はたくさんありますが、確実に動き始めてもいるのです。
一人の女性の思いが、葉山という町でオルタナティブスクールとして形になり、周りを巻き込んで地域を動かしていく様子を見て感じたことは、理想を語るだけでなく、具体的に実践を積み重ねて体現していくことの大切さ。そして、もはや、一条校とかオルタナティブスクールとかフリースクールとかで区分けしている場合ではなく、子どもたちの育ちを支えている共同体としてそれぞれのリソースを提供し合う時ではないかということです。
「よい社会をつくるには、よい子ども時代が必要です」。これは、私がデンマークを訪れたときに、森のようちえんの園長先生が言った言葉です。なぜなら、よい子ども時代を過ごした子は大人になって、その地域に恩返しをしようと思うからです。
時代は大きく変わっています。それぞれの立場で何ができるか考えてみませんか。
(注記のない写真:中曽根氏提供)