「正しいこと」を「本当に正しいこと」に
――鎌倉市教育委員会教育長就任までの経緯、教育長としての決意について教えてください。
大学卒業後、文部科学省に入省し、教職員の人事制度、学校教育のデジタル化や福島県での震災復興、アメリカ・カリフォルニアに渡って現地の教育研究など多岐にわたる教育分野で経験を積んできました。2022年に文科省を退職し、PwCコンサルティング合同会社の教育チームのマネージャーとして、全国の教育委員会や大学の経営支援などに携わりました。
その中で、文科省時代の同僚である鎌倉市の岩岡寛人教育長(当時)とも仕事をする機会がありました。松尾崇市長にもお目にかかり、意見交換を重ね、岩岡さんの任期満了に伴う新しい教育長として任命いただきました。文科省は退職していますので、教育長への民間人登用ということになりますね。
文科省では法令や予算などの政策、企画調整に携わり、大量の文書を読み、そして書いてきました。学習指導要領や学校のデジタル化など文科省がつくる政策文書は「正しいこと」ではあるものの、ある意味では正しすぎる側面もあり、教育現場に根付くようにしていくためには、いかに解釈しカスタマイズしていけるかが重要です。
民間のコンサルティング会社に籍を移したのは、「正しいこと」を、いかに現場とともに実装し、「本当に正しいこと」にしていけるか、そこに力を割きたいという思いがあったからです。
鎌倉市教育長という立場に変わりましたが、文科省にいた時と、志は変わっていません。「正しいこと」を「本当に正しいこと」にしていくため、鎌倉さえよければということではなく、日本の教育現場が元気になれるよう、同僚たちとともに挑戦していきたいと思っています。今も文科省やPwC、福島県とも、いろいろと仕事はご一緒していますしね。
――就任されてすぐ、新設ポジション「教育行政職」の公募を行いました。
教育行政の現場には、教職員はもちろん司書、学芸員など専門性の高い有能なスタッフがおり、上位下達でマネジメントできる行政分野ではありません。鎌倉市教育委員会は、こうした専門職がそれぞれの現場で創造性を思う存分発揮できるよう、助け、支え、励ます「伴走型の教育委員会」を目指しています。この教育委員会像に沿って、教育委員会を中心に経験を積み、一般行政とも異なる教育行政の特徴を踏まえた実務を担う「教育行政職」という新たな職を募集することにしました。
新たな職に関心を持ってくれる人に広く届けたいという思いがあり2023年12月、協定に基づきエン・ジャパンと連携し「ソーシャルインパクト採用プロジェクト」として公募したところ、100名を超える方々から応募いただきました。
結果、熱い思いを持った4名の方を採用。2024年4月より入庁いただいています。教育と行政の両方に軸足を置きながら、これまでの経験を生かし、力を発揮していただくことを期待しています。
現場を助け、支え、励ます「伴走型の教育委員会」
――教育委員会や教育行政のあり方も、発想の転換が必要な時期にきているのでしょうか。
そうですね。教育行政は、文科省→都道府県教育委員会→市町村教育委員会→学校管理職→教職員→児童生徒というピラミッド型のガバナンスであるとともに、権限と責任が分散された重層的な構造ともいわれています。
鎌倉市は、「伴走型の教育委員会」という新しい教育行政のモデルを目指しています。子どもたちは、生まれながらにして優秀な学び手であり、それをいかに引き出していくかがわれわれの仕事です。
打ち上げ花火ではなくじわじわ燃え続ける「炭火」のように、生涯にわたって「自ら学び続ける学習者」を育てるというのが、鎌倉市で議論しているビジョンです。子どもたちのワクワクやモヤモヤから生まれる問いや挑戦を、先生たちが助け支え励まし、子どもの学びを引き出していく。その先生たちをさらに助け支え励まし、下支えするのは校長であり、教育委員会である、という考え方です。
ピラミッド型・管理的リーダーシップから伴走型・サーバントリーダーシップを推進することで、教育行政の質の向上と学校教育の活性化、持続可能性の向上を目指します。もちろん危機管理や人事などでは管理的な対応もあるわけですが、伴走型の教育委員会像は鎌倉市に限らず、教育行政がこれから目指していくモデルだと思っています。
――「伴走型の教育委員会」として、市内の学校とどのように関わっているのでしょうか。
例えば、定期的に月に1回、教育長室に教育委員会の幹部職員、指導主事・教育行政職、教育に関わる外部団体などのメンバーが集まり、市内にある25の小中学校各校のケースを語る「戦略会議」を行っています。
同じ市内で隣り合っている学校であっても、その特徴や課題、悩みなどは異なります。それぞれの立場で学校訪問したり研修したりしているわけですが、各自が学校について見えている視点を持ち寄り、それぞれの学校をどう支え、どう助けるか戦略を練り、それぞれの学校ごとに必要な個別伴走に生かしています。
教育委員会として各学校の「個別最適」な支援を考え学校や教職員のチャレンジを価値付けし、一律にではなく、各学校が異なるアプローチで輝ける場になっていくことが重要であると考えています。さらに、働き方改革、授業や評価の改善など、各学校の挑戦を個別に支援し、それぞれの学校が「自ら学び続け、変わり続ける組織」になっていくことを目指しています。
独自ファンドで「社会に開かれた教育課程」を
――2020年度から推進してきた「鎌倉スクールコラボファンド」が注目を集めています。
「鎌倉スクールコラボファンド」は、社会に開かれた教育課程を実現するため、ふるさと納税の仕組みを活用して教育委員会の下に設立したガバメントクラウドファンディングで、個人や企業から募った寄付を子どもたちの学びに活用しています。
未来を生きる子どもたちのためには、未来につながる学びを創りたいと思っており、学校からも企業や大学などとコラボしてSDGsに関するプロジェクト型学習をやりたい、生成AIを活用した学びをやってみたいといったアイデアがあがってきます。しかし、こうした「社会に開かれた教育課程」を実装するうえで、学校外とコラボレーションするための予算を、その都度公費で確保して、教職員が自前でコーディネートすることは大変です。
人件費・設備など学校教育の基盤となる経費は、建物でたとえると「1階部分」であり、公の財政で教育の機会均等をしっかり確保する必要があると考えます。一方で、寄付をはじめとする民間資金は「2階部分」に活用し、学校や子どもたちから湧き上がってくる問いや願いを起点にして、教育委員会が学校と企業などをマッチングし、魅力的な教育活動を展開するための経費に充てるというポートフォリオを組んでいます。
――これまでに、「鎌倉スクールコラボファンド」でどのようなプロジェクト型学習が実現したのでしょうか。課題や今後の展望は?
2023年度は、約500万円を活用し、小・中14校で19のプロジェクト型学習を実施しました。映画監督と学ぶ映像制作ワークショップ、盲導犬団体やパラスポーツ団体とコラボした福祉の総合学習、教材会社とのコラボによるプラスチックのアップサイクルの学習など、企業やNPO、大学などと広く連携しながら子どもたちも教職員もワクワクするような教育活動が生まれました。
ある小学校では、6年生の総合学習で、1年間を通して「私たちのワクワクモヤモヤ探究」をテーマにグループや個人でプロジェクト型学習を行いました。あるグループは、学校でシャープペンシルの使用が禁止されていることにモヤモヤを感じ、児童へのアンケートや、さまざまな職業人との対話を重ねたうえで、「シャープペンシルは鉛筆よりもコストパフォーマンスや利便性、学習効果が高い」という結論にして、教職員や後輩たちに説得力あるプレゼンをしました。自分たちが動くことで社会は変わることを実感できたと思います。
一方で、「鎌倉スクールコラボファンド」スタート当初は寄付が集まりやすかったのですが、時がたつにつれて集めにくくなってきている現状もあります。持続可能な仕組みにしていくために、市内に売り上げの一部が寄付されるタイプの自動販売機の設置を進めているのに加え、今後は有価証券の運用益を使った寄付、遺贈寄付などの可能性を検討しながら、収益面でも進化させていきたいです。
2025年に「学びの多様化学校」を開設
――不登校支援の取り組みについて教えてください。
全国と同様、鎌倉市も不登校の児童生徒は増加しています。そこで、2021年度から不登校支援の1つとして市独自の「かまくらULTLAプログラム」(ULTLA=Uniqueness Liberation Through Learning optimization and Assessment 「学びの最適化と評価による個性の解放」の略/小4から中3対象)を実施しています。
学校になじめない子どもの個性や特性を科学的に把握し、自分にあった学び方でその子の個性・特性を最大限に発揮できるようになることを目的に、森、お寺、海など鎌倉の地域特性を生かした環境の中で、自分らしく学んでいく方法を見つけていく3日間の探究プログラムを実施しています。
毎年2回行ってきたこのプログラムを今年度も実施するのに加え、2025年4月に学びの多様化学校を開設する予定です。鎌倉市立御成中学校の分校として開校し、定員は30名。「かまくらULTLAプログラム」のエッセンスを取り入れ「自分らしく学び、自分らしく成⻑できる学校」をコンセプトに、異学年・少人数・個別など多様な学び方で、学校内だけでなく、海や森、街など“鎌倉全体”を生かして、一律ではなく自分のペースで、教科の枠を超えて体験的・探究的に学べる場づくりを目指しています。
これらの要素は、ゆくゆくはどの学校にも必要なセンスだと思っています。現段階では不登校支援の施策ですが、鎌倉市内あるいは全国の学校で、学習者中心の学びを行うヒントになればと思っています。
教育政策のリーダーの人材育成を
――これからの教育長のあるべき姿について、どのようにお考えでしょうか。
教育長は、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命される教育行政の責任者という重要な職です。公教育をアップデートしていこうと、若手の起業家などさまざまな志ある教育関係者がチャレンジしているにもかかわらず、教育長の存在感が薄いのではないか、とも思えます。また多様性にも乏しく、50歳未満の教育長は0.3%、女性の教育長は5%という割合です。
生成AIの急激な発展や少子高齢化など社会構造が大きく変化する中、日本の教育も過渡期、変換期を迎えており、教育政策が果たす役割は高まってきています。
同時に、教育長をはじめとする教育政策のリーダーに求められる資質も変化し、より高度になってきています。教育長には、学校管理職とも異なる、教育的指導力、行政的マネジメント力、政治的調整力の3つの資質が求められていると思っており、その専門性を切磋琢磨することも必要と考えています。
――2024年3月、「教育政策のリーダーシップにより多様性と専門性を」をコンセプトに、「一般社団法人LEAP」を立ち上げられました。
「一般社団法人LEAP」は、これからの子どもたちの学びを転換していくための、思いある教育政策リーダーたちのプラットフォームや、首長や大学との懸け橋になれればとの思いです。
代表理事として東京大学公共政策大学院教授の鈴木寛さん、兵庫教育大学長の加治佐哲也さんなどとご一緒するとともに、各自治体の現職教育長たちとともにまずは走り始めました。教育政策の人材育成をリードする東京大学・兵庫教育大学などと連携し、首長や教育委員会の課題に応じた組織や人材のコンサルティング、ネットワークの構築などを行っていきます。
4月に、キックオフイベントとして「教育政策リーダーフォーラム」をメタバース上で開催しました。教育改革で注目される青森県知事の宮下宗一郎さんや大阪府教育委員会教育長の水野達朗さん、石川県加賀市教育委員会教育長の島谷千春さんらに登壇いただき、これからの教育改革に求められる教育行政のあるべき姿について議論しました。教育行政の人材の流動性が高まる中、鎌倉市教育長としての職務を全うしつつ、大学、首長、教育長、教育長候補者をつなげる役割を果たし、団体として政策提言や研究活動なども行っていきたいと思います。
(企画・文:長島ともこ、写真:すべて鎌倉市教育委員会提供)