国語の授業が始まると、子どもたちは先生に促され、すぐにiPadを開いた。それぞれが慣れた手つきでIDとパスワードを打ち込んでいく。国語のデジタル教科書が立ち上がると、先生が課題を出す。子どもたちは画面上で漢字を指でなぞりながら、書き取りの練習問題をどんどんこなしていく。先生のiPadでは児童全体の進捗状況が把握できるようになっている。挙手しなくても後れている子どもの所には先生が近づき、アドバイスを行う。

国語と算数のクラウド版デジタル教科書を3月に試験導入

午前中の3時限目。2年生の教室を訪れると、これまで見てきた授業とはまったく異なる景色が広がっていた。先生が板書することはほとんどない。子どもたちは先生の声かけに従って、iPadの画面を見ながら、自分で学習していく。ちょっとわからないことがあると子どもたち同士で相談し合っている。紙の教科書よりも、子どもたちがより能動的に授業を受けているように見えた。これが新たな授業スタイルなのか――と。

東京・港区立御田小学校の小2の国語の授業。担任の先生はベテランの油史枝(あぶら・ふみえ)先生だ

東京の港区立御田小学校では、2021年3月から国語と算数のクラウド版のデジタル教科書を試験導入した。全校生徒は425人。導入に当たっては当初、先生たちの間で戸惑う向きも少なくなかったが、あくまで学習効果を上げるためのツールであることを強調したと同校校長の濵尾敏恵氏は語る。

「子どもたちも、最初は物珍しさで楽しむけど、そのうち授業に飽きてくる。そこから本腰を入れるべきだと先生たちには話しました。しかし、実際には子どもたちのほうがタブレットに慣れていて、想定よりも早く狙いに沿った学習ができるようになっています」

港区立御田小学校 校長 濵尾敏恵(はまお・としえ)

授業では、先生の板書や子どもがノートに板書を写す機会が減る一方で、タブレットを使いながら、子ども同士で話し合い、理解を深めていく機会が増えたという。

「先生たちは、自分に視線が集まらなくなって寂しいと言っています(笑)。でも、子どもたちはスポンジのように吸収が本当に早いですね。タブレットのやり取りについてもこちらが思っている以上にルールを守ってやっています。個人情報や生活指導上の問題など、こちらがあまり恐れずに、とにかく実践していくことが大事だと考えています」

クラウド版のデジタル教科書を選択した理由

文科省が進めるGIGAスクール構想。1人1台端末を導入する第1フェーズの施策は、21年3月末をもってほとんどの自治体で完了した。すでに端末の利活用が進んでいるが、デジタル教科書の使用条件が整ったことから今後本格普及が期待されている。文科省では24年から全国の学校で導入することを検討しており、同構想は新たなフェーズに入ったといえる。

こうした中、学校のICT化について都内でもいち早く取り組んできたのが、港区教育委員会だ。港区全体で小学校18校、中学校10校を管轄するが、すでに20年10月までにすべての児童・生徒に端末を配布し終わっている。児童・生徒と先生のものを合わせると、その数は約1万3000台。電子黒板についても全教室への配備を完了させた。一連のプロジェクトを主導してきた港区教育委員会指導主事の下橋良平氏は、御田小学校で行われたデジタル教科書を使用した授業を参観しながら、次のように語る。

「子どもたちは大人の発想を簡単に超えていきますね。子どもたちはすぐに慣れてしまう。しかも、紙の教科書では注意散漫だった子どもも、デジタル教科書なら集中しやすいようです。低学年では教科書に赤線をきれいに引くにも個人差がありますが、デジタルですと、そうした必要なスキルのベースが整ったところから学習できます。その一方で先生は、これまで挙手して発言できなかった子どもたちの理解度をタブレットでリアルタイムに把握し、指導することができる。デジタル教科書には大きなメリットがあると感じています」

例えば、国語の授業では「情景描写は青色」「心理描写は黄色」で線を引くなどの書き込み、消去が繰り返し簡単にできる

港区では、指導者用デジタル教科書についても14年からいち早く試験導入を始めており、タブレットも18年秋から一部の小学校の児童たちに試験配備してきた実績がある。

「指導者用デジタル教科書の導入は、授業のやり方が劇的に変わるという感触を持ったことが出発点です。18年には児童・生徒向けタブレットの一部導入に合わせ、試験的に指導者用教科書を子どもたちにも使ってもらいました。しかし、インストールされたデジタル教科書はデータが重たくて、なかなか動かない。そのうえタブレット自体の不具合も重なり、苦労しました。そうした経験を生かし、本番では起動も早く直感的に使えるタブレットを選び、クラウド版のデジタル教科書を選択することにしたのです」

港区では区内の学校で21年4月から国語と算数のデジタル教科書を使った授業を本格スタートさせた。だが、早くもそこからは課題も見えてきている。例えば、デジタル教科書を使うためには、認証やネットワークの設定などがあり、使い始めるまでの環境整備が必要になる。先生たちも新たな作業が増えている状況だが、それだけではない。

港区教育委員会 指導主事 下橋良平(しもはし・りょうへい)

「まだまだ研究が必要だと考えています。先生たちの授業技術が、デジタル教科書に追いついていない部分があるからです。どのように活用すればいいのか。先生たちは先行して指導者用デジタル教科書を使ってイメージをつかんでいますが、子どもたち一人ひとりに対してどう使っていくのか。未知数だといえます。また、子どもたちの学習履歴をどのように生かして、個別最適化につなげていくのか。まだまだ多くの課題があると考えています」

デジタル教科書の本当の能力を発揮する教科は?

ただ、すべての授業がデジタル教科書に取って代わるわけではないとも言う。

「紙か、デジタルか、二者択一にはならないということです。両方大事であると考えています。まず予算として考えれば、iPad用のタッチペンは1本1万5000円しますが、子どもたちはよくなくします。そのため、個別に購入させるようにしています。また、紙と比べ、デジタル教科書のほうが圧倒的にコストもかかります。1教科1人当たり約1000円かかるとすれば、それを5教科に広げれば、それだけ負担は大きくなる。ネットワーク整備など、そもそもICT導入には大きなコストがかかります。その教育効果を数値化することも難しく、いずれも区の財政部局との調整が必至となるのです」

今後、英語やプログラミング、あるいは社会や理科の授業でデジタル教科書の本当の能力が発揮されるというが、どの教科書を採用するか悩ましい面もあるという。

「教科書会社によって、ビューアーが異なることが大きな問題ですね。いろんな入り口があると、子どもたちも使いにくいでしょうし、不具合が起こったときの対応が煩雑になります。全教科で同じ出版社の教科書を使うことはできないので、できれば業界で規格を統一してほしい。また個人情報についてどう管理するのか。セキュリティーが厳しすぎると、使い勝手が悪くなるので、どうバランスを取るのか悩ましいところです」

とはいえ、デジタル教科書の導入は緒に就いたばかり。これからほかの自治体でも検討課題となっていくだろう。そのときどこに気をつければいいのか。下橋氏がアドバイスを送る。

今日の授業を振り返るノートに「ふつうに、教科書に書きこんだりするのはあまり好きではなかったけど、アイパットになったら楽しくてすきになれました」と書き込む子も

「国が推奨するように、皆さんもデジタル教科書ではクラウド版を採用することになると思われますが、まずは安定的な通信環境を確保できているのかを確認すべきです。そこが担保できていないと、導入しても動かないという最悪の事態につながりかねません。私たちも何百人が一斉に使ったときにきちんと動くかどうか速度調査を何度も重ねました。さらに今後5Gが普及する中で、どう対応できるのか、研究を重ねています。

当初は、私も小学校の体育教諭だったため、この仕事を引き受けたときは大変な思いをしました(笑)。誰もがICTには、まだ不慣れな部分があるかもしれませんが、子どもたちの未来には欠かせないものです。そのためにも、基本中の基本として、通信環境を確認して検証を繰り返し、整備することを最優先で行うことをお勧めします」

(撮影:梅谷秀司)

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