「話す力」は、これからの社会を生き抜いていく武器になる
「話す力」を育む活動に奔走する竹内明日香氏は、もともとは新卒で銀行に入社し、国際金融の現場に長年身を置いてきた。そこで痛感したのが、日本のビジネスパーソンのプレゼン力の弱さだったという。
「国際金融の現場で数々のプレゼンや交渉に立ち会ってきましたが、内容は申し分なくても話す力がないことにより日本人は案件を勝ち取れないのです。これは子どものうちから『話す力』を鍛えなければいけない、それがこれからの社会を生き抜いていく武器になる――そう思い、2014年から子どもたちを集めて『話す力』の育成を始めました」
当初は公募型でワークショップを開催していたが、それでは教育に対して高いアンテナを張っている家庭にしか届かないことに気づく。そこで、より幅広い層に機会を届けようと、学校向けの「Speak UP!プログラム」を開発。全国の学校に地道に提案を続けて活動を拡大し、現在では受講者数は延べ約5万人、導入自治体は1都11市区町までに広がっている。
導入校はどのような手応えを感じているのか。例えば、文京区立文林中学校のある学年では、生徒向けに授業を7回、教員向けに研修を3回実施。プログラムを導入した年の文部科学省「全国学力・学習状況調査」の結果は国語、数学、理科において全国平均より約10%上昇、さらには高校入試の結果も創立以来の進学実績になったという。このほか、高校の推薦入試の合格者数が1桁から2桁へと変化した公立中学校もある。いずれもプログラムとの因果関係は明らかになってはいないが、竹内氏はこう語る。
「先生方からは、勉強やスポーツに意欲的になるなどの影響があり、それが学力や入試結果にもつながっているとお聞きしています。文林中の生徒からは、高校入学後に苦手な英語のスピーチ大会で優勝した、生徒会に関わった、部活動の要職に就いたなどの声も。このように自己効力感が上がったと考えられる報告は、ほかの学校からも受けています」
例えば、福井市立円山小学校の5年生84名に対して行ったアンケートでは、授業実施の前後で、「自分が頑張っても、社会を変えることはできないと思いますか」という問いに対して、「とてもあてはまる」「まああてはまる」と回答した生徒の割合が40.0%から19.2%へと半減。「あまりあてはまらない」「まったくあてはまらない」と回答した子の割合は36.3%から62.9%に増えた。
そのほか、全国の導入校から「話せなかった子が手を挙げた」「大きな声を出せるようになった」などの教員の声、「話すことが楽しい」「将来や自分について考えが深まった」といった子どもたちの声が寄せられている。中には、プログラムを通じて自身の興味を深めたことで進路が決まった子、英検受験料の値下げを求めて3万5000人以上の署名を集めた子など、大きなアクションへとつながったケースもあるという。
現場の環境を変えるため「授業と教員研修」をセットで提供
依頼内容にもよるが、基本的にプログラムは、全3回の教員研修と、児童生徒を対象とした全2回の授業をセットで提供する。竹内氏はその理由について次のように説明する。
「活動を始めて気づいたのですが、この国には発言をすることに関して安心・安全な環境がないんです。しかし、クラスも学校も企業も、日本全体にそういう文化や空気がある限り、強い自己主張などできません。誰もが社会で変化を起こせることを教員や子どもたちに伝えるためには、教育現場の環境を変えることが重要だと考え、教員研修もセットにしています」
だから教員研修では、ファシリテーション能力の向上を軸にしながら、自己開示できる心理的安全性の高い環境づくりの重要性について言及する。「実際にプログラム導入後、クラスの中心人物である生徒が過去にいじめられていた経験を告白したことで、より生徒たちの仲が深まったという学校もあります」と竹内氏は話す。
また、「当たり前」を見直す機会にしてもらうことも意識している。例えば、作文の音読がプレゼンではないこと、学校でよく行う新聞作りのイメージで文字量の多いプレゼン資料を作ってはいけないことなど、やり方を変える必要のあるポイントを伝えていく。
児童生徒への授業も心理的安全性の向上を大切にしながら、「言いたいことを見つけて問いを立てながら、より深めて人に伝える。そこに重きを置いています」と竹内氏は話す。
埼玉県さいたま市立西原小学校校長の橋本大輔氏は、「授業だけでなく教員研修もセットである点が非常に魅力的。また、いわゆるプレゼンスキルにとどまらないプログラムなので、子どもたちに自信がつくことが期待できます」と語る。
具体的には、どのような内容なのか。2022年12月、西原小6年2組で行われた1回目の授業を見学した。
まず竹内氏は最初に、「世界の子どもの予防接種の接種率は?」などのクイズを複数出題。児童たちは競うように手を挙げ、回答していた。竹内氏はクイズの内容を例に、世の中には昔よりも状況が改善されている事例がたくさんあること、そしてそれは解決策を提案した言い出しっぺがいたからだということを説明し、「発信することで世界を変えることができる、つまり話す力が大切」だというメッセージを打ち出した。
そのうえで、「考える・伝える・見せる」というプレゼンのコツを伝授。例えば「見せる」については、「知識を広げるだけならAIでもできる。コピー・アンド・ペーストせずに自分の力で考え、自分の言葉を使うことが大切」とアドバイスする。
「伝える」で大切なのは、原稿を読まずに聞き手を見ながら相手がわかるように話すことだと説明。そのためにはよく通る“自分のいい声”を見つけることも重要だとし、みんなで発声練習を行った。
そして「考える」は、「広げて、深めて、選ぶ」「自分の『好き』『思い』の力を信じる」ことがポイントであり、この「考える」ことこそが最も重要であると竹内氏は強調。実際に体験するため、児童たちはペアになり、1つの県について知っていることを3つ挙げる(=広げる)、行ってみたい県とその理由を述べる(=深める)などのワークも行った。
後半はいよいよプレゼン体験だ。自分の好きなことを書き出したマインドマップを基に、好きになったきっかけ、理由、今後どうしたいかなどをペアでインタビューし合って深め、プレゼンまで実施。多くの児童が紙を見ずに自分の言葉で話しているのが印象的だった。
さらに最後は代表して数人がみんなの前でプレゼン。「ほかの国の言葉が好きだから、語学を学びいつかいろいろな国の人と話したい」「水泳が好きだから、たくさん練習をしてオリンピックに出場したい」など、堂々と話す姿は自信に満ちていた。
「私はプレゼンが皆さんに必要な力だと思い、この活動を続けてきました。その結果、多くの人に授業を届けられるようになりました。皆さんも自分が言い出しっぺになって、ぜひ社会を変えていってください」という竹内氏の言葉で、90分のプログラムは締めくくられた。
子どもたちに感想を聞くと、「この授業、全部楽しい!」「プレゼンについてもっと知りたくなった」「難しく考えすぎていたけど、楽しみながらできるんだと思った」など次々と元気に答えてくれた。担任の泉太樹氏も、次のように語る。
「子どもたちは日頃、原稿を作って話すのは上手なのですが、アドリブで話すのは苦手なようです。中には、自信を持って自分の思いを言えない児童もいます。モデル授業中の子どもたちを見て、『深める』作業をすると、こんなにも生き生きと発表するようになるのかと実感しました。教員研修は1回目が終わったところですが、児童が発表する際は考えを深める時間を長めに取り、自信を持たせることを意識するようになりました。今後、竹内さんがおっしゃっていることを、子どもたちができるようになる授業を展開したいと思っています」
「日本は総力戦で『話せる文化』をつくらなければいけない」
竹内氏は、日本の教育課題として、深い思考をしたり気持ちを述べたりする授業があまりにも少ないことを挙げる。
「日本の子どもたちは、国語の問題で筆者の思いを行間から読み取ったり、調べた結果を作文にしたり述べたりすることは得意です。でも自分を主語にしてどう思ったかを言うことが非常に苦手。自分が何を好きだったのかも忘れてしまうほど、一人称で語る経験を持たせてもらえていないのです。プログラムを通して、この問題の解決に貢献したいと思っています」
公教育の場にもっとプログラムを広げるため、2023年春からは、オンラインでも手軽に授業を受けられるようにする予定だ。子どもたちの変化を可視化するため、専門家による効果測定も進めている。
また、竹内氏は今、「日本は総力戦で『話せる文化』をつくらないといけない」と考えている。例えば、研修をすると「うちの生徒は原稿を作らないと絶対に発表できない」「意見を何でも言うというのは、道徳授業の範囲でやればよいのでは?」など、抵抗感を示す教員もいる。しかし、社会の動向や事例を挙げて丁寧に「話す力」の大切さを説明していくと理解してもらえることが多く、「先生はたまたま外の情報に触れていないだけ」と感じるのだという。
「先日も女性社外取締役の集まりに参加した際、『ビジネスの場で話せない人がこんなにいるのに、なぜ日本はプレゼン教育をやらないのか』という話で盛り上がっていましたが、それは学校だけの問題ではないと思うんです。『話す力』が弱いために世界で負け続けていることや産業界の強いニーズが教育現場に伝わっていない。この人材の流動性が低いがゆえの分断が課題です。学校外の人間は安易に教育界を非難せず、先生たちがすでに頑張っていることを理解し、『話す力』の大切さを伝えていく必要があると思います」
(文:酒井明子、編集部 佐藤ちひろ、撮影:風間仁一郎)