コロナ禍や一人一台端末を背景に小学生に広がる「推し活」

久保南海子
久保(川合) 南海子(くぼ・なみこ)
愛知淑徳大学 心理学部 教授
1974年東京都生まれ。日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻 博士課程修了。博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員、京都大学 霊長類研究所研究員、京都大学こころの未来研究センター助教などを経て、現在、愛知淑徳大学心理学部教授。専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス』(新曜社、2014年)、『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』(集英社新書、2022年)など。高校生(かなり推し活あり)と小学生(やや推し活あり)の二児の母でもある
(写真は本人提供)

「推し活」といえば、アイドルのファンやアニメファンの間で行われてきた「オタク」的な活動に端を発するイメージがあるが、今では学校生活や仕事の傍ら、推し活にいそしむ人が少なくない。

推し活について心理学の立場から研究してきた久保氏によれば、推し活は「プロジェクション」という認知科学の概念からも説明できるという。

「私たちは、外部から得た視覚や聴覚などによるさまざまな情報を受容し、自分のなかで“表象”をつくります。そこには自分だけの意味や価値があり、それらを再び外の世界へと投影し、心と外界をつなげる。それが“プロジェクション”という働きです」

例えば、友人が赤いスマホケースを持っていたとする。私たちにとっては単なる「赤いケース」だが、もし友人が「赤がメンバーカラーのアイドル」を推しているとしたら、それは「推しのカラーのケース」という大きな意味をもつ。推しに関連する色や数字に思い入れを抱いて自分でも身につけることなどは、推し活でよく見られる自己表現の1つだ。

「昔は『オタクがやること』だったものが、『推し活』という言葉が生まれたことで、誰もが、よりカジュアルに推し活を楽しめるようになりました。推し活に慣れ親しんだ世代が親になっていることもあり、子どもが推し活にふれる機会も自然と増えています。また、コロナ禍で“推される側”の活動場所や露出がインターネットで増加したこと、学校での一人一台端末も相まって子どもが上手にインターネットを使うようになったことなどを背景に、小学生にも推し活が広まっているのでしょう」

推し活が子どもの心に与える「ポジティブな影響」3つ

では、推し活は子どもの心にどのような変化や影響を与えるのだろうか。久保氏によれば、大きく分けて3つの「ポジティブな影響」があるという。

・自分の世界が広がる
・自分の資源を分け与える喜びを感じられる
・「第三の居場所」ができる

 

1つ目の「自分の世界が広がる」ことは、推しの情報収集をしたりイベントに赴いたりする中で、同じ関心をもつ他者と親交が深まるきっかけになったり、自分の関心領域が拡大していくことにつながる。久保氏が教授を務める大学でも、自己紹介で「自分の推しは何(誰)です」と話す学生が多いそうだ。アイデンティティ形成の前段階にある小学生にとって、自分らしさや目標を見つける際には、「推し」が自分の輪郭をハッキリさせる材料になるのだろう。

2つ目の「自分の資源を分け与える喜びを感じられる」ことは、人間の文明社会の形成にも関わる。人間は、他の生物に類を見ないほど大規模な社会を形成し、維持することで繁栄してきた。それには他者との協力が不可欠であり、互いの資源を分け合うことが求められる。久保氏によれば、そこに喜びを見出す個体ほど協力関係を築きやすく、結果として子孫を増やしてきたのだろうと考えられる。

「推し活は、自分の資源(時間・お金・能力など)を与えるばかりで、直接的な見返りはないともいえます。しかし、なぜこんなにも楽しいのかというと、分け与えること自体に幸福になれるからです。『他者に資源を与えることに喜びを感じる』のは、人間に生得的に備わる傾向といえます」

一般的に子どもは「お世話される側」であり、資源を与えられる側だ。そんな子どもにとって、推しのためにお小遣いからお金を出し、大切な時間を割くという行為は初めての「与える経験」なのだといえる。

3つ目は、第1の居場所である「家庭=帰るべき場所」と第2の居場所である「学校や職場=出かけて何かをする場所」に次ぐ、「第3の居場所」としての役割だ。

「現代社会の多くの人は『家庭』と『学校や職場』を行き来して生活しています。それとは別に、しがらみや義務がなく本当にくつろげる居場所は、精神的な健康を考えるうえでも非常に大切です。そのような場所は『第3の居場所』とも呼ばれます。

その点、推し活は家族や学校と異なり、たとえ対象が実在するとしても自分の現実世界ではありません。リアルな人間関係を超えたつながりの中で、何かを求められることなく、自分の好きなものにアクセスできる環境は、子どもの心の拠り所になりえるのです」

親のスタンスは監視でなく見守り、「何を推すかは自由に」

一方で気になるのが、推し活によるトラブルだ。

「浪費や同担拒否、自分の無力感などさまざまな形で『推し疲れ』をする人がいますが、これはまさに現実世界とのバランスが崩れて日常が侵食されたときでしょう。『たとえ推しが現実の存在であっても、推しがいるのは自分の生きる日常の生活圏ではない』、これを受け入れて線引きするのは大人でも難しいことがあります。日常生活で必要なお金を推し活に注ぎ込んで生活が蝕まれたり、推しを本気で好きになる “ガチ恋”や“リアコ”の状態も、自分の目の前にあるリアルな現実と、推しがいる非現実とのバランスが崩れているのです」

本来「プロジェクション」は、自分自身と、外部の対象とがあって、あくまで自分が主体で対象に働きかける活動だ。しかし「自分が楽しいから推し活をする」はずが、「自分は推し活をしていないと幸せになれない」と逆転してしまうこともあるのだという。

「楽しいはずの推し活を、なぜか『苦しい、つらい』と感じるのであれば、それはバランスが崩れている証拠。非日常で得られる快楽を求めるあまり現実世界が侵食されるというのは、ギャンブル依存と同じ心理状態です。この状態に陥らないよう、親は子どもの推し活の状況を知っておくとよいでしょう」

とはいえ、生活全般の教育と特段変える必要はない。例えば、推し活がお小遣いの範囲を超えていれば、家庭の金銭感覚や方針に従って話し合いをしたり、SNSで知らない人とつながるリスクを伝えるなどして見守れば十分なはずだという。一方で久保氏は、「子どもが推している対象については自由にさせて」と続ける。親が子どもの推す対象を選別してしまうのは、好ましくないようだ。

「親も嫌いなものや苦手なものがあって当然なので、子どもが推しているものを無理に受け入れる必要はありません。ただ『そんなものを推すのはダメ』と否定することは、子どもの『自分らしさ』を否定することと同じです。自ら何かを好きになるのは、とても素敵で尊いことです。まずはその心の動きを肯定し、一緒に喜んであげてください」

親の自分が知らないものに熱中する子どもの姿は、頼もしくもあり、また心配でもあるだろう。久保氏は、「監視ではなく見守る。理解するのではなく認める。お金や時間の使い方など気になることがあるときにだけ、各家庭の方針に沿って介入してあげてほしいです」と話す。「これの何がいいの?」と口を出したくなるのをグっとこらえ、推しに情熱を傾ける子どもをほどよい距離からサポートしたいものだ。

(文:藤堂真衣・編集部 田堂友香子、 注記のない写真:Rhetorica / PIXTA)