教育界の新しいキーワード「探究学習」
教育界の新しいキーワードとして定着しつつある「探究学習」。2017年改訂の学習指導要領では、探究学習により「問題の解決に主体的、創造的、協働的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする」ことを目指している。
22年からは、高校においても、新学習指導要領に沿った形で「総合的な探究の時間」が設けられるのに加え、「古典探究」「地理探究」「理数探究」など7つの「探究」科目が設置される予定だ。
藤原さと氏は、13年に探究学習と出合い、魅了された。その後、「良質な探究の一般普及」を理念に、探究学習をコンセプトとする教育関連プログラムの企画・運営などを行う一般社団法人「こたえのない学校」を14年に設立した。
当初は小学生向けの探究プログラムの企画・運営を行っていたが、現在は教員自身が「探究する学び」を教育現場で実践できるようになるための教育者向けのプログラム「Learning Creator's Lab」を企画・運営。探究学習のパイオニアの一人として、各種研修・講演・執筆活動も行っている。
藤原氏が探究学習と出合ったのは、会社勤めをしながら保育園に通う娘さんの子育てをしていたときだ。
「自分自身はいわゆる“教育ママ”ではなかったのですが、小学校からの授業のことは漏れ聞こえてきて。『知識詰め込み型の一斉授業を受けたり、100点を取るための勉強をさせるだけでよいのだろうか』とモヤモヤしていました。またその頃、娘が通っていた公立保育園の父母会長に選出され、園の運営に協力したり、子どもたちの催しを企画したりする中で、地域の子どもたちに対して何かできることがあるのではないかと考え始めました。そこでいろいろ調べ始め、国際バカロレアの初等教育のプログラムで、PYP(=Primary Years Programme)と呼ばれる探究プログラムの存在を知ったのです。知識を覚えてテストを受けるだけではなく、『私たちは何者なのか』『私たちはどのような場所、時代に生きているのか』などのテーマで、具体的にさまざまな活動を通してじっくり学習していくスタイルや『概念をベースとした探究』の考え方に衝撃を受けました。
このような教育プログラムを一般の人たちにも伝えたい、学校で先生から学ぶことも大切だけれど、学校の外にいるユニークなキャリアを持つ大人たちから学ぶ機会をつくりたいという思いから『こたえのない学校』を設立し、保育園のママ友達とともに、小学生向けの探究型キャリア教育プログラムをスタートしました」
教育者自身が「探究」を学ぶ
実際、人工知能研究者による「人工知能研究者から直接学ぶ〜AIって何ができるの? これからの社会はどうなる?」、店舗を持たずに厳選された素材で作られたパンを売るインターネットショップのマーケティング担当者に教えてもらう「食パン1斤が1500円以上って、ありえるの?」、救急専門医を講師に招き、「病院救急—最前線救急の実際を探究しよう」などの教育プログラムを実施した。
社会に価値を生み出し仕事を楽しむ“よき大人”と触れ合いながら、少人数で1つのテーマにじっくり向き合うこのプログラムでは、参加した子どもたち一人ひとりの世界を広げ、自分で考えること、周りの人の考えを受け入れること、みんなで話し合って納得できる答えを作っていくことの大切さを伝えてきた。
「こうした数々の子どもたち向けのプログラムを通じて、手応えを感じてきました。そこで、教育現場で日々子どもたちと向き合う教員や教育に携わる方々が自らプロジェクトを立ち上げ、実施してみる中で『探究する学び』を体感できるプログラムを実施することが、教育のアップデートにダイレクトにつながるのではないか、と考え始めました。また、私は以前、医療機関の後方支援の仕事をしていたのですが、医療の世界では、医師、看護師、薬剤師などが、よりよい医療の提供を目的に“チーム”として動きます。教師も同じことができないだろうか、とも思ったのです」
こうして、教員や教育関係者が自ら探究し、「探究する学び」を教育現場で実践できるようになるための教育者養成プログラム「Learning Creator’s Lab」(以下、LCL)が、16年にスタートした。
LCLは、約8カ月間のプログラム。前半は、軽井沢風越学園校長・園長の岩瀬直樹氏、一般社団法人「みつかる+わかる」代表理事の市川力氏、東京インターナショナルスクール理事長の坪谷郁子氏など国内の第一線で活躍する探究学習の実践者から、探究学習のルーツや理論、フレームワークなどを学ぶ。後半は、5人ほどのチームに分かれ、思い思いの探究プロジェクトを立ち上げ、お互いのチームの現状報告、アドバイスをし合いながらブラッシュアップしていく。
「探究学習の捉え方は、人によってさまざまです。学んでいくうちに『これが正しい』『あれが正しい』などと対立してしまいがちですが、それはよくないし、意味がありません。知らない人とチームを組んでプロジェクトを進めていく大変さを味わいながら、 “教え手”ではなく“学び手”として、探究のプロセスを自分事として経験してもらうこと、学びを通して自分なりの“探究観”を身に付けてもらうことを大切にしています」
毎年35人ほどの教員・教育関係者が参加し21年で第5期を迎えたLCL。プログラムを終了した“卒業生”は、新しい参加者の探究プロジェクトをサポートしたり、卒業生のコミュニティーで交流を続けることができる。
「LCLは、もともと活動的な先生も多いこともありますが、プログラム終了後、新しく学びの場を立ち上げたり、地域の活動を始めたり、メンバー同士でつながり、新たな取り組みをスタートするケースも多いです。例えば、LCL第3期で同じチームになった堺谷武志氏(NPOソダチバ・プロジェクト代表)、蓑手章吾氏(元公立小教員)、五木田洋平氏(元私立小教員)は、22年4月、東京都世田谷区にオルタナティブスクールを開校します」
米ハイ・テック・ハイの教育プログラムを日本に導入
藤原氏は、18年、世界屈指のプロジェクト型学習(=特定の科目を勉強するのではなく、プロジェクトや目標達成のために取り組む学習方法)を実践する学校として世界中の教育関係者が視察に訪れる米カリフォルニア州にある公立校「High Tech High(ハイ・テック・ハイ)」を視察した。
ハイ・テック・ハイはサンディエゴの街の小・中・高校、公立チャータースクールで、ヒスパニックといわれるスペイン語を母国語とする家庭の子どもたちが約半数、給食費の補助を受けている低所得層の生徒が約4割程度を占めるが、大学進学率では同市公立高校の平均の約2倍の大学進学率を誇る。その決め手は質のよいプロジェクトである。
小学生であれば、段ボールなどを使って、みんなが楽しめるゲームセンターを作ったり、街の防災プランを作成する。高校生くらいになると、サンディエゴのアースデーイベントに合わせてプラスチックゴミ削減の提案を行ったり、地域で販売されている食料や食物生産の仕組みを学びながら、地元の小学校にプランターを作ったりするという。
「ハイ・テック・ハイは、同校に通う生徒の成長の様子や成長を支える教育プロセスを描いた『Most Likely to Succeed』という映画の上映会が広まっていることもあり、非常に優れたプロジェクト型学習の実践校というイメージがあるかと思います。しかし、私が着目したのは、彼らのプロジェクトの『手法』ではなく、むしろ、彼らの『哲学』でした。彼らは『どのように』プロジェクトをするのかよりも、『なぜ』プロジェクトでなければならないのか、ということをつねに考えています。そして、その答えを『公正』というコンセプトに見いだしました。
彼らのプロジェクト型学習におけるすべての取り組みには『公正性』が取り入れられています。『公正』とは『誰もが、人種や性別、性的な意識や、身体的、もしくは認知的能力にかかわらず、同じように価値ある人間だと感じることができること』。これを実現させるための『学び』であり、プロジェクト型学習の実践なのです。成績を伸ばすためのプロジェクト型学習ではなく、学校内外のすべての人が幸せになる社会を構築するためのプロジェクト型学習なのです。子どもたちは学びの意味を感じながら主体的にプロジェクトに取り組んでいくことで、自己肯定感を高め、結果的に学業成績も伸びていくのです」
ハイ・テック・ハイのあり方は、これからの日本の教育にも応用できると藤原氏は直感したという。帰国後、経済産業省の「未来の教室」の採択を受け、日本にハイ・テック・ハイの教員を招き、国内の教員・教育関係者向けの研修を企画・開催した。ハイ・テック・ハイの取り組みを藤原氏の視点から1冊の書籍にまとめた『「探究」する学びをつくる』は、20年12月の発売以来、今でも多くの教育関係者に読まれている。
総合的な学習・探究の時間でプロジェクト型学習を取り入れる
「日本の小・中学校の総合学習は、教科に縛られずさまざまな課題に取り組むことができます。学習指導要領のようなナショナルカリキュラムの中でこうした自由な時間が設定されていることについては国際的にも評価を受けています」
例えば、小田原市の小学校では、19年後期に総合学習の時間を活用して「コンビニエンスストアから世界を変え、発信しよう」というプロジェクトに4年生が取り組んだ。教員を中心に、空間デザイナーをはじめとするさまざまな職種の大人がプロジェクトに関わり、ものづくりや空間デザイン、世界を知るワークショップを開催した後、子どもたちはイタリア、インドなど世界の小学生の生活について調べ、グループに分かれてその国の小学生の家族のニーズに合うミニチュアのコンビニエンスストアを制作。学習発表会で発信したという。
「コロナ禍が続き、縮小せざるをえない学校が少なくないのが現状ですが、修学旅行、運動会、学芸会などの学校行事が活発なのも、日本の教育の大きな特徴です。例えば修学旅行は、子どもたちが自分たちで訪れる場所を調べて自分たちで動くことで、探究学習につながります。運動会の企画・運営を生徒たちが自主的に行っていくこともできます。このような学校行事を『主体的』『対話的』なものに変えていくことも必要でしょう」
「学ぶこと」は、究極的には「自分を知ること」だと藤原氏は言う。
「もし子どもが『自分を知る旅』としての『探究』を教師が支援するのであれば、まずは教育者自身が『自分はどんな人間なのか』『教育者として自分は何を伝えたいのか』ということに向き合う必要があります。やはり『先生』というだけあって、『先』に『生きている』人なのです。今、先生に求められているのは『教科書』を教えるだけではなく、『教科書』を超えた広い世界とつながり、将来自分の人生を生きていく子どもたちの支援者となることです。教師自身が『教科書』を超えて学び続け、子どもたちの手本になるような、魅力的な人生を歩むことが大切なのです」
(企画・文:長島ともこ、注記のない写真はiStock)