「小学校英語の教科化」で何が起きているのか?
2020年度から実施された小学校学習指導要領の目玉は、小学5・6年生の外国語(実質は英語)を週2コマの正式教科にしたことだった。これによって、それまでの「聴く・話す」に「読む・書く」も加わり、成績もつけるようになった。
結果はどうなったか。文部科学省の「全国学力・学習状況調査」によれば、「英語の勉強(学習)は好きですか」との質問に否定的な回答をした小学6年生の割合は、教科化後の2021年度は31.5%だった。これは教科化前の2013年度の23.7%と比べ、約8ポイントも増えた。英語嫌いの児童が増えてしまったのだ。
原因の1つは児童に負荷をかけすぎていることだ。学習指導要領では小学校での新出単語を600〜700語と定めたが、多すぎるうえに、なんとか意味はわかっても正しく書くことは難しい。以前は中学2年生で習っていた不定詞を含んだ文が小学校に下ろされるなど内容も高度になり、消化しきれない。そのため英語が嫌いになる。さらに、塾で補えるか否かで成績が二極分化し、小学校段階で英語格差が生じている。
格差に拍車をかけているのが、小学校英語の受験英語化だ。入試科目(選択科目を含む)に英語を加えた首都圏の中学校は、2014年度は15校だったが、教科化後の2023年度には141校と約10倍に増えた(首都圏模試センター調べ)。小学生への負担が増すばかりだ。
以上を踏まえるならば、小学校の次期学習指導要領では「いかに英語嫌いをつくらないか」がポイントになる。そのために外国語は「教科」ではなく、従前の「外国語活動」に戻すことも含め、音声中心に外国語に親しませる程度のほうが子どもは興味を持ち続けるだろう。
あるいは国語教育と外国語活動を一体化した「ことばの教育」を新設し、ことばの面白さ・深さ・怖さへの気づきと思考力・言語表現力を伸ばしたい。ことばの力を高めることで、効果は全教科に及ぶだろう。
どうしても外国語を教科として継続したいなら、少なくとも授業時間数の再考、指導内容の精選、児童英語教育専門家の配置など、制度設計の抜本的な見直しが必要であろう。その条件が確保できないなら、英語嫌いをさらに増やさないためにも、教科としての外国語は継続すべきではない。
なお、日本のような日常生活で外国語を必要としない言語環境では、英語を幼少期から始めても効果はほとんどない。日本語力や思考力が高まる中学校からで十分なので、あせる必要はない。
深刻な「中学校英語」の現状、嘆く教師たち
2021年度から学習指導要領が実施された中学校は、さらに深刻な状況だ。
小学校段階で3割以上の子どもが英語嫌いになって中学校に入学する。英語力格差が著しく、授業のレベルを設定しにくい。従来は中学校の3年間で1200語程度だった新出単語が1600〜1800語に増やされ、それに小学校の600〜700語が加算された。合計すると2200〜2500語にもなり、中学生は以前の2倍の単語に四苦八苦している。難解な現在完了進行形や仮定法なども高校から下ろされ、英文も長く難しくなった。
しかも、学習指導要領は「授業は英語で行うことを基本とする」と教師の使用言語まで定めた。想像してほしい。ギリシャ語入門の授業を「ギリシャ語でやります」と言われたら、あなたはどんな気持ちになるだろうか。英語で授業をすれば英語の学習効率が上がるという科学的な根拠はない。逆に、近年の応用言語学では母語(日本語)の適切な使用が学習効率を高めるという知見が主流だ。思いつき・思い込みの方針はやめるべきだ。
現行の学習指導要領による英語教科書を教員はどう見ているのだろうか。実態を知るために、和歌山県国民教育研究所は2022年夏に県下の中学校英語教員全員にアンケート調査を実施、107人から回答を得た。その結果は以下のとおり。
新しい教科書は「内容が難しくなった」が70%、「盛りだくさんで、精選が必要」が64%、「授業しにくくなった」が35%で、「授業しやすくなった」は7%だけだった。
単語数については「多すぎる」が69%と圧倒的に多く、「適切」は17%、「少ない」は0%だった。単語数を倍増させたことで指導が困難になっている。
教師は分厚くなった教科書のノルマをこなすだけで精一杯となり、英語を使ったアクティビティーや、グループによる協同的な学び合いを削らざるをえなくなった。ある教員は「授業ではやることが多すぎて時間が足りません。置き去りにしている生徒が気になりながらも、教科書を進めていかなければならないのが悩みです」と苦しさを訴えている。
学習指導要領が推奨する「主体的、対話的で深い学び」どころか、「昔のような一斉講義型の授業に戻ってしまうのがつらい」といった声も複数寄せられた。
英語の学力は二極分化、進む英語離れ
こうした教育政策の結果、生徒たちはどうなったか。
2024年度の公立高校入試の結果を見てみよう。現行の学習指導要領で3年間学んだ中学生に初めて実施された入試だ。得点分布を公開している群馬県教育委員会のサイトを閲覧し、私は「恐れていたことが起きた」と戦慄した。
一般に入試の成績は富士山型の正規分布になるが、英語だけは成績下位群が大きく膨らみ、ピークは100点満点中の20点台だった。大半の生徒には英語の基礎学力が定着していないのだ。もう1つの小さなピークは70点台だから、学力が二極分化している(上図参照)。
群馬県だけが例外ではない。2023年度の文科省「全国学力・学習状況調査」の結果も衝撃的だった。中学3年生の英語(聞く・読む・書く)の平均正答率は46.1%で、単純比較はできないものの、旧学習指導要領下の前回4年前よりも10.4ポイントも低下した。
低下は全項目に及び、「書くこと」は24.1%で22.3ポイント低下。抽出実施の「話すこと」は正答率がなんと12.4%で、18.4ポイントも低下し、生徒の6割以上が零点だった。これでは生徒の自信とやる気を失わせるだけであり、学力調査の意味をなさない。
コツコツ努力すれば登れる階段ではなく、単語数2倍の高い壁が築かれ、ほとんどの生徒が乗り越えられずに立ちすくんでいる。ブラック企業のように重すぎるノルマを課せば、成績が上がるどころか身も心もボロボロになる。多くの中学生はそんな状況に置かれている。これでは、学校に行きたくない子どもが増えるばかりではないか。
あれもこれも求めすぎる学習指導要領の下で、子どもたちの英語離れが進んでいる。先の調査では「英語の授業内容がよく分かる」は64.4%で前回より2ポイント減、「英語の勉強が好き」は52.3%で4ポイント減、「将来、積極的に英語を使いたい」は37.2%で5ポイント減。すべてがマイナスで、企業なら経営の危機だ。普通に考えれば、政策の失敗は明らかだ。
背景にエリート育成策?「中学英語」のあるべき姿とは
ところが、国はこうした政策を意図的に実行している可能性がある。
小学校英語の教科化や中学校での「英語で授業」などの基本方針は、安倍政権が2013年に閣議決定した「第二期教育振興基本計画」で定められた。同年、自民党教育再生実行本部は提言の中で「結果の平等主義から脱却し、トップを伸ばす戦略的人材育成」を打ち出した。日本経団連も2018年の提言「Society 5.0」で「日本的平等主義から脱却し、各領域で抜きん出た才能を有するトップ人材やエリートの育成」を求めた。政財界は、英語が使える「グローバル人材」というエリート育成を学校教育に要求しているのである。
そのため学習指導要領で英語の難度を大きく引き上げ、ついて行ける少数の上位層と、ついて行けない大多数の生徒との格差を作りだしているのではないだろうか。
しかし、義務教育である小中学校の役割は、平等と協同の原理で、すべての子どもに基礎学力を保障し、学ぶ喜びを与えることである。そのことを通じて、主体的に学び続ける人間が育つ。過度の競争による早期の格差化は、学習意欲を失わせ、伸びゆく芽を摘み、将来的には日本社会の分断を拡大させかねない。すでに子どもたちはSOSを発している。2023年度の不登校生は、小学校で10年前の5倍、中学校で2.2倍に達している。方針転換が急務だ。
次期中学校学習指導要領では、新出単語数や文法項目を精選し、生徒への過重な負荷を軽減する必要がある。「授業は英語で」を国が一方的に定めるのではなく、生徒の実態や指導内容に応じて教師の自由裁量に任せるべきだ。
また、「個別最適な学び」よりも「協働(協同)的な学び」に重点を置くべきだ。私は数千の教室と数万人の生徒の授業を観察し、教員に授業改善のアドバイスをしてきた。その結論から言えば、今後は少人数グループで仲間同士が助け合い・学び合う協同学習を増やすことで、教室を安心・安全な居場所にし、学力の底上げと格差是正に取り組む必要がある。それはどの教科にも言えることだが、とくに外国語教育は「ことばの教育」なので、協同学習によって人と人とのコミュニケーションの機会を増やすことが大切だ。
タブレットPCなどの端末は便利な反面、協同的な学び合いの障害物となる場面を私は何度も目撃してきた。4人班に1台程度のほうが聴き合う関係が強まり、学びが深まるようだ。近年の研究では、スマホやパソコンによる学習は脳が活性化しにくく、記憶定着率が低いことが指摘されている。さらに、思春期の子どもの脳の成長を阻害することも報告されているので、依存は危険だ。紙媒体の教材の適切な使用や、生身の人間同士の直接的な関わり合いを大切にしたい。
望まれる外国語教育改革は、過重なノルマや数値目標で子どもを追い立てることではない。すべての子どもに外国語を学ぶ喜びをもたらし、「ことばの力」と「協同する心」を育てることであろう。
(注記のない写真:beauty-box/PIXTA)