元ビリギャル・小林さやか「米国名門大学院進学」決めた理由とは? 「偏差値30から慶応大」経て描く、教育の夢とは?

偏差値30から、慶応大学合格という快進撃!
まずは小林さやかさんのプロフィールを簡単におさらいしておこう。小林さんは小学校の頃、内気で友達とうまく付き合えなかった。そんな自分にコンプレックスを持ち、中学では小学校の仲間が誰もいない私立の中学校に入学することになる。そこでは友達付き合いや部活動に精を出したため、今度は学力がみるみる低下し学年ビリになった。素行も悪く学校では問題児扱いをされてしまう。しかし、高校2年の夏、母の勧めで行った塾の面談で、恩師である坪田信貴先生と出会い、慶応大学現役合格を目指すことになる。そのときの偏差値は全国模試で30以下、慶応大学には程遠い数字だった。そこで小林さんは、小学校4年生レベルの勉強からスタート、1年半の猛勉強の末、慶応大学総合政策学部に合格。1年半で偏差値を40上げることに成功した。大学卒業後は、3年間ほどウェディングプランナーの仕事をした後、フリーランスとなり、自身の体験をベースとした学校での講演活動のほか、学生・保護者向けのイベントやセミナーの企画運営など幅広い分野で活動することになった。2019年には自身初の著書『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』(マガジンハウス)を刊行、20年からはYouTubeにて「ビリギャルチャンネル」を開設し、学生・先生・保護者向けエンターテインメント教育番組を提供している。
ただいま30代。立派な社会人となった小林さんは、なぜ改めて米国の大学院に留学することになったのだろうか。
「実はもともと、ずっと留学がしたかったのです。私には妹がいるのですが、日本の教育が合わず、高校からニュージーランドに留学し、それで人生が好転したのを見ていたこともあって、漠然と留学に憧れのようなものがありました。でも、私自身は大学卒業後、希望の仕事に就き、26歳の時に結婚もして、このまま日本にずっといるんだろうな、留学するなら来世かな、とも思っていました。けれど、30歳の時に離婚をして、マインドが変わったこともあり、ビリギャルのおかげで教育にも関わるようになって、改めて留学したいなと思うようになりました。そんなとき恩師の坪田先生からも『君、本気で教育をやりたいのなら、一度日本を出ないと駄目だよ』と言われて、本気で留学を意識するようになったのです」
それまで小林さんは7年間、コロナ禍の直前まで通算500回以上の講演活動を行ってきた。やりがいもあった一方で、無力感もあったという。
「私の講演を聞いて奮起し、実際に大学合格を果たす生徒がいる一方で、恩師である坪田先生や私の母のように、自分を信じて応援してくれる大人が自分の周囲にはいないと嘆く生徒も多かったのです。そんな生徒たちを救うにはどうすればいいのか。本当に私は講演だけをしていればいいのか、もっと違う方法があるのでは、という思いが年々積み重なってきました。そこで自分をアップデートするためにも教育における『認知科学』と『学習科学』を学ぶしかないと思うようになったのです」