外国にルーツを持つ子どもが直面する「3つの困り事」

10年以上の長きにわたり、外国にルーツを持つ子どもたちの支援を行う田中宝紀氏。同氏は「彼らが困っていることは、主に3つに分類できます」と説明する。

「1つ目はやはり言葉の壁です。言葉ができるかどうかはその後の進路やキャリアにおいても壁になりうるし、子どもたちが日本語に慣れてくると、今度は自分の親との間に言葉の壁が生じることもあります。2つ目は社会資源へのアクセスの壁。在留資格によって、できることや受けられるサービスに制限があります」

高い日本語力がなければ、日本国内での情報収集は難しい。また短期滞在者や難民申請中の人は住民登録ができないため、就労も生活保護受給も資格がない。外国にルーツを持つ子どもは義務教育の対象から外れることがあり、小学校や中学校の「中退」や「除籍」も発生している。

田中宝紀(たなか・いき)
NPO法人青少年自立援助センター定住外国人支援事業部責任者。16歳で単身フィリピン公立ハイスクールに留学。2010年より海外ルーツの子ども・若者の学習と就労を支援。私生活では2児の母でもある。著書に『海外ルーツの子ども支援 言葉・文化・制度を超えて共生へ』(青弓社)などがある

「3つ目の壁は、最大のハードルとなる『心の壁』です。親が外国人であること、見た目が周りと違うことなどによるいじめや差別は、ここに来る子どものほぼ全員が経験しています。東アジアにルーツを持ち、顔が私たちとあまり変わらない子どもの場合、言葉ができれば出自を隠している例もあります」

学校では、マイクロアグレッション(小さな攻撃)や「悪意のない差別」が日常的に発生していると田中氏は指摘する。

「ある学校では、『日本語ができなくてかわいそうだから』と、発達に問題のない子どもが特別支援学級に入れられていたことがありました。また、難民申請中などで仮放免になっている子どもを『通報しなくていいんですか』と聞かれたことも。子どもの教育を受ける権利は、いかなる状況にあっても保障されなくてはなりません」

田中氏は「子どもたちから、『自分が存在していないように感じる』とか『ここにいてはいけないんだと思う』などという言葉を聞くことが少なくない」と続ける。

「校長先生が全校集会で『外国人観光客の方々と、日本人としてしっかり交流できるようにしましょう』と話すのを聞いたことがあります。その学校には、すでに何人もの外国にルーツを持つ子どもが通っているのです。でもその話の中では、彼らの存在はまったく意識されていませんでした」

こうした状況を見てきた経験から、同氏は、ロシアの軍事侵攻によって日本に避難してきたウクライナの人たちの今後についても危惧する。

「日本は難民認定が非常に少ない国ですが、ウクライナの人に対しては、初期にはとても熱心な関与がありましたよね。でも時間が経つとやがてそれも薄れていく。お客さん扱いの『おもてなし』がなくなったとき、外国にルーツを持つ人たちが自力でフルに社会参加するためのハードルが、日本はとても高いのです」

もちろん田中氏は受け入れ自体を批判しているのではない。ここまでできるのだという前向きな発見にもなったと言うが、一方でこれまで国内にあった差別が見過ごされてはならないと断言する。目指すのは、そうした子どもたちの心の基盤になる場所や、存在を支える「所属」を確保することだ。団体としての知見を生かし、子どもたちと学校の双方を支援することを、同氏は「学校にバトンをつなぐ」と表現する。

学校にも子どもにも寄り添いながら着地点を探る

具体的には、どのように地域の学校との協働を図っているのだろうか。

「まずは地域の学校の受け入れ環境を確認するところからです。日本語指導が必要な子どもなら、その学校に日本語学級などがあるかどうか。支援が乏しければYSCGSで日本語を学んでから学校へ参加する流れで調整します」

この日も、東京都福生市と足立区の教室を拠点に、対面とオンラインのハイブリッドで授業が行われていた。日中は主に日本語指導の必要な子どもたちが集まり、放課後には地域の小学校や中学校に通う子どもたちがやって来る。笑い声に満ちた教室内には複数の言語が飛び交い、「これは中国語で何て言う?」と尋ねる英語の質問も聞こえてきた。

昼休みにはゲームをして盛り上がる。午後には数学の授業に打ち込んでいた(左)。小学校低学年はしりとりをしながら日本語を学ぶ。パソコンの向こうでも多くの子どもたちが授業に参加している(右)

田中氏は「自分の国から、命からがら逃げてきた経験を持つ子どももいます。彼らのトラウマをケアするべきなのはもちろんのこと、学校にとっても、彼らを受け入れることをネガティブな体験にさせないことが重要です」と語る。前例踏襲の傾向が強い学校は、未経験のことに対して非常に慎重だ。

「初めてのことに戸惑うのは当然のことですが、スムーズに進まないと『過去にトラブルがあったので』と、学校が受け入れを躊躇することになる。でも私たちのような第三者の介入によって、受け入れが円滑に運ぶこともよくあります」

例えば学校側の懸念として、宗教や文化的な違いから特別な配慮を求められることに戸惑う声も聞かれるという。これについては「現在は宗教・文化的な違いへの対応事例集が作成されたり、どのような点に配慮が必要かなどの情報がまとめられた冊子が国際交流協会などから公開されていたり、全国各地から知恵と経験を集めて対応できることも増えてきています」と言う。

「選択肢は1つではないし、『こうなんでしょう』と決めつけずに話してみれば、意外にすんなりいくことも多いのです。保護者側にも『そんなにかたくなにならなくても……』と伝えることもありますし、どちらの立場にも寄り添いながら着地点を探るようにしています」

「いないのは日本人ぐらい」というほど多様な国の子どもが集まる。教室ではどんな子どももすぐに受け入れられる(左)。言葉が違っても楽しめるおもちゃが多い。けん玉は定期的にブームになるそうだ(右)

「この子はこんなに笑う子だったんですね」教員も驚き

YSCGSではオンラインでの遠隔授業をコロナ禍前から進めていたが、ここにきてそれがさらなる広がりを見せている。三重県教育委員会や愛知県名古屋市教育委員会などとも連携し、地域単位でのサポートを行っているのだ。「もちろん対面に勝るものはありませんが、その効果は子どもたちに対するものだけではありません」と手応えを語る田中氏。ある自治体との取り組みで、対象となる子どもの学校の教員が、一緒にオンライン授業に参加したことがあった。

「その先生は子どもが日本語を学ぶ様子を見て、『この子はこんなによくしゃべって、こんなに笑う子だったんですね』と驚いていました。その子どもは実は、先生が思っている以上に日本語が話せる子でした。でも教室ではなかなか発言する機会がなかった。先生は『この子が好きなものを初めて知ることができた』とも話してくれました。先生と子どもの距離が縮まったと感じてうれしかったですね。こうしたことを積み重ねて、学校全体が変わるお手伝いができればと思っています」

その「お手伝い」の一環として、YSCGSでは外国にルーツを持つ子どもの進学についてもサポートしている。

「日本の高校入試は非常に複雑なので、多言語によるサポートが不可欠になります。外国にルーツを持つ子どもの進学のしやすさや使える制度は自治体によって異なり、教員の方だけで完璧に指導するのは限界があると思います。ぜひ、私たちのように専門性のある団体と連携して取り組んでもらえたら」

教員がその存在を知らなかったために、使えたはずの特別枠を申請せず、外国にルーツを持つ子どもの入試が困難を極めた例もあったそうだ。田中氏は、さまざまな不利益を生む現在の状況について苦言を呈する。

「国が移民政策の基本指針を持たずにここまで来たことに根本的な問題があります。そのシワ寄せが子どもと教育の場に表れていると思いますが、学校の中退率や進学率は少しずつ改善されていて、例えば10年後はまったく違う状況になっていると思います。でもすべての人が外国人を前向きに受け入れるようになるとも思いません。個人的には、3世代にわたるぐらいの間は無理なんじゃないかな、と思っています」

「最大の壁」が崩れるまでには、まだ時間がかかるという見通しだ。ただしその態度が、現実に即したものであるかどうかは別の話でもある。

「日本に日本人しかいない時代はもう終わっているし、時代は動き出している。ここから先はもう、元に戻ることはないでしょう。だからこそ、私たちは感覚をアップデートする必要があります。外国にルーツを持つ子どもと一緒に学ぶことは、日本の子どもたちにとっても、多様性への感度を磨くチャンスになるのです」

(文:鈴木絢子、撮影:今井康一)