まずは「思考・判断・表現」、態度はおのずとその先に

2022年度から高等学校でも適用された新学習指導要領は、「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」という3つの柱を育てるために、それに呼応する形で「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の評価の3観点を設けた。京都大学大学院で准教授を務める石井英真氏は、「現場の教員は新3観点のうち『主体的に学習に取り組む態度』に反応しがちですが、最も重要なのは『思考・判断・表現』です」と語る。

「態度という形のないものを評価するために、材料探しに必死になってしまう教員もいるかもしれません。でもそれは、学びが十分に深まれば、それに伴っておのずとついてくるものです」

主体的な態度の尺度となる興味・関心や意欲などといった情意の領域は、学びの「入り口」で測るべきではないと石井氏は断言する。単元のスタート時点でこれを見ようとしても、意欲や関心は単なる「食いつきのよさ」としてしか表れない。石井氏は「学習の入り口でいかに子どもが積極性を持てるかは、はっきり言って教員のやり方次第だ」と言う。未知の分野に触れるとき、子どもが「面白そう」「やってみたい」と感じられるかどうかは、教員がいかに授業を充実させられるかにかかっているからだ。

「情意は評価しようにも、概念の規定があいまいなものです。主体的な態度と一口に言っても、レベルによって表れ方も異なるし、主体性の程度もグラデーションのようなものなのです」

石井氏は「学習に取り組む態度を『粘り強さ』という観点から測るとしましょう」と例を挙げた。ここでまず、粘り強さという言葉の本質を理解し、そのグラデーション的変化を想像する必要がある。

「それは学習の入り口で捉えると単なる忍耐強さでしかありません。やりたくないと思っても我慢して臨む、スポ根的なものに近いかもしれない。しかし、学びを深めた学習の『出口』ではそれが『思慮深さ』に変わり、思考・判断・表現に伴う試行錯誤や工夫として表れます。さらに、教科のみならず「総合的な学習の時間」などでの学びを通して、『自分の夢に向かってやり切る』という意志の強さになります。ここに至れば、子ども自身の主体性や自主性をはっきりと見て取ることができるでしょう。だからこそ、なるべく学びの出口に寄せたところで、こうした変化の過程、子どもの力が伸びて表れる態度を育て評価すべきなのです」と石井氏は続ける。

では学びが深まり、出口に近づくとはどういうことなのか。今度は社会科で習う「三権分立」を例に説明する。

「三権分立とは何か、司法・立法・行政の3つだと答えられるのは『知っている・できる』という状態です。もう一歩進んで、互いの権力を抑制し合っているという状態まで理解できれば『わかる』といえるでしょう」

そしてさらに学びが深化すると、例えば選挙や組閣の報道を見て「これは三権分立と矛盾しているのでは?」と疑問を抱いたり、他国の仕組みとの関連に気づいたり、それを自分はどう捉えるかを考えたりするようになる。これは石井氏が考える「使いこなせる」という状態だ。「知識・技能」を満たす「知っている・できる」レベル、さらには「わかる」レベルをも超えて「思考・判断・表現」の段階をしっかりと深めた先に、知識を使いこなせるようになるというゴールがある。そうなれば、子どもの「主体的に学習に取り組む態度」も自然に表出してくるのだ。

情意の評価時に注意すべき点はほかにもあるという。

「教員が子どもの態度を評価することは、単なる好き嫌いの懲罰にもなりかねないリスクをはらんでいます。教員が『えんま帳』をつけるような評価では、子どもも教員自身もつらいはず。子どものウェルビーイングのためにも、教員の働き方のためにも、日常のすべてを評価につなげるのは不可能だし望ましくないと理解しておきましょう」

「形成的・総括的評価」を区別し、学びも評価も変わろう

石井英真(いしい・てるまさ)
京都大学大学院教育学研究科 准教授
日本教育方法学会常任理事、日本カリキュラム学会常任理事、文部科学省「児童生徒の学習評価に関するワーキンググループ」委員などを務める。『GIGAスクールのなかで「教育の本質を問う」』(共著・日本標準)、『ヤマ場をおさえる学習評価』シリーズ(編著・図書文化)など著書多数
(写真・石井氏提供)

合理的な評価のためには、「形成的評価」と「総括的評価」とを分けることが重要だと石井氏は強調する。前者は指導を改善し、子どもを伸ばすための「見取り」。後者は形成的評価の結果として、しっかりと伸びた子どもの最終的な学習成果を判定するものだ。これらをきちんと区別し実践できれば、子どもたちの日常から評価の証拠集めをする必要もなくなり、教員にも余裕が生まれると石井氏は言う。

「日々の授業で記録や点検に追われてしまう『指導の評価化』の傾向がありますが、日々の形成的評価の目的は子どもの力を伸ばすことです。総括的評価のポイントを、思い切って重点的に設けることができれば、形成的評価はデータがなくても構わない。私は今までが、子どものすべてを総括的評価に反映しようとして、丁寧に見すぎていたと思っています」

「指導の評価化」から脱するため、石井氏が「あれぐらいがちょうどいい」と例示するのは、よくある大学のシラバスの記述だ。「ペーパーテスト4割、リポート6割」などと評価の基準が明確かつシンプルに示されており、授業態度は問われない。この場合、教員はテストで知識・技能を見定め、リポートの内容で思考・判断・表現を見ている。さらに学生が講義内容に基づき、発展した問いを立てたり考察を深めたりして優れたリポートになっていれば、そこには主体的な態度も表れていると評価できるのだ。

「大学の学びに必要なのは暗記・再生の力ではなく、学んだことを使いこなして論じる力です。だからペーパーテスト4割、リポート6割といった形で評価が行われることは、多くの人にとって納得できることでしょう。観点別評価は、毎時間証拠集めをするのではなく、単元や学期の節目といった比較的長いスパンで意識すべきものです」

知識を活用する力を促すため、2019年度、小学校の全国学力調査で知識を問うA問題と活用の力を問うB問題が統合されたことも記憶に新しい。石井氏はこれらの学びとともに、評価も時代に応じて変わるべきだと考えている。

「指導の評価化」を引き起こすもう一つの要因として、石井氏は総括的評価のための舞台が貧弱であることを指摘する。ここではオリンピック選手に例えた。

「アスリートの練習はとても地味ですが、彼らが評価を受けるのは、オリンピックというとてもダイナミックな場です。日本の学校はその逆で、豊かな授業が行えていたとしても、その評価の舞台は今も単なるペーパーテストであることがほとんど。評価のための『見せ場』が貧弱なことから、教員は日常の中からほかの材料を集めようとしてしまうのです」

これは、前述の「総括的評価のポイントを、思い切って重点的に設ける」ことができていない状況だ。ここをどう工夫するかが、教員の力量が試される部分だろう。

「合唱会があったり図工の作品発表があったりと、5教科以外の実技教科ではすでにダイナミックな評価の舞台が実現できていることも多いです。5教科でもグループで取り組ませたり、身の回りのことを題材にしたり、子どもが学びがいを感じやすい取り組みを考えるとよいでしょう。子どもたちが積極的になれる取り組みなら、教員も一歩引いて、より丁寧に見ることができるし、子ども自身の振り返りを評価の補助として活用することもできます」

主体的に学習に取り組む態度を評価するために最も重要なことは、やはり新学習指導要領の本丸である授業改革なのだ。

子どもの力を伸ばすことに注力し、旧来の垢を落とすべき

評価の正当性を高めるため、教員はたくさんのデータを集めたくなるが、「証拠集めのための細切れの評価は、反対に子どもの納得感を薄めてしまう」と石井氏は苦言を呈した。

「例えば『なぜ自分が7点であの子が10点なのだ』と子どもが不満を抱いたとしましょう。子ども自身が評価に納得するためには、教員と同じ物差しを共有しておくことが大切です。作品をクラスのみんなで見て、そのよさを一緒に話し合うのも一つの手でしょう」

よりよいものを見ることによって、子どもは「なるほど、10点を取るのはこういうものか。それなら確かに自分は7点だ」と納得することができる。石井氏は「この例の10点とは単なる序列ではなく、級のようなもの」と補足する。

「これが1級なら確かに自分は3級だと感じた子どもが、次は2級を目指そうと感じることができる。これを『適切な憧れ』と呼んでいます」

教員が重視すべきことは子どもに序列をつけることではなく、この適切な憧れを子どもに抱かせ、次の級に上がれるように指導すること。つまり子どもの力を伸ばしきる形成的評価だ。

「授業に注力すれば主体的な態度はおのずと表れる」「形成的評価と総括的評価を分ける」など、石井氏は3観点の活用法を実にシンプルに解説した。しかし、シンプルに捉えられるはずの基準が、なかなか現場になじまないのはなぜなのか。

「日本の教育現場ではこの30年ほど、目指すものとまったく違う教育が定着してしまいました。低年齢化する受験のテクニックなどもいい例です。『やり方主義』が行きすぎて、子どもが学んだことを自分なりにそしゃくするような機会はあまりありません」

これにより、「思考・判断・表現」の段階が伸びず、「わかる」能力の空洞化も起きていると石井氏は指摘する。それは当然、その先の「使いこなせる」能力にも影響を及ぼすだろう。

「学びのピークが受験では早すぎるし、大人になっても学び続けることこそが、社会の変化への対応力になるわけです。生きることと学ぶことはセットですが、日本はこの意識がとても弱いのです」

この垢を落とすために、石井氏はさまざまな例を挙げ、繰り返し学校現場への問題提起を続けているのだという。

「人に点数をつけるということがプレッシャーになることはよくわかります。総括的評価で決め打ちすることが心苦しいのでしょう。でもその結果、日常のプロセスを重視する風潮が強くなりすぎて、教員の働き方を圧迫している。ぜひ勇気を出して、この前例踏襲の空気を打ち破ってほしいと考えています」

(文:鈴木絢子、注記のない写真:IYO/PIXTA)