家庭科のジェンダーバイアスは家庭科のみの課題にあらず

1960年の学習指導要領改訂で「女子のみ必修」と定められて以降、1989年の改訂まで、高校の家庭科は男子には無関係なものだった。実際の授業が「男女共修」となったのは、1994年に高1になった新入生からだ。中学の技術・家庭科も、1958年告示の学習指導要領で「生徒の現在および将来の生活が男女によって異なる点のあることを考慮して」、取り組む内容が男女別に分けられていた。

「公的な文書でここまでいうかと今では首をかしげますが、長くこうした指導が行われてきたのですから、1989年の改訂は非常に画期的なパラダイムシフトだったわけです」

横浜国立大学の教育学部で家庭科教員を養成する堀内かおる氏は、こう過去を振り返る。同氏の教え子から「初の男性家庭科教員」が誕生したのも、ちょうどこの「男女必修化」が現場で実施される頃だった。私立の男子高校で教壇に立つことになった彼を、その学校の校長はこう紹介したと言う。

「うちの学校に、初めて男性の家庭科の先生が来てくれました。今年は『男らしい家庭科』を期待しましょう!」

年配の男性校長に、もちろん悪気はなかったのだろう。堀内氏も苦笑しながら続ける。

「これは私や教え子の間で語り草になっているのですが、『男らしい家庭科』って何でしょうね? 豪快な料理などをイメージされたのでしょうか。そんなことを言ってしまうほど、校長先生には戸惑いがあったのだろうと想像できます。あの頃はそれぐらい、男性の家庭科教員が珍しい存在でした」

堀内かおる(ほりうち・かおる)
横浜国立大学教育学部教授
東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程、昭和女子大学大学院生活機構研究科(博士後期課程)修了、博士(学術)。家庭科教育学のほか、ジェンダーと教育なども専門とする。著書に『生活をデザインする家庭科教育』(世界思想社)、『10代のうちに考えておきたいジェンダーの話』(岩波書店)などがある
(写真:堀内氏提供)

ほかにも、当時はこんな話も耳にした。

ある新任の男性教員が赴任した高校の家庭科教科会は、彼以外の全員が女性教員だった。非常勤で役職につけない人がいるなどの理由もあったのだろうが、大学を出たばかりの彼は、男性であることを理由に「あなたが主任だから」といきなり役職に任命されたそうだ。そうした経験談は枚挙にいとまがない。

「別の教科を担当していた男性が、特別研修を受けて家庭科教員にチェンジした例もありましたが、彼は『女性ばかりの家庭科教員の集団に自分が入ることで、校内での発言権が強まることを期待されていた』とも言っていました」

そんな時代から、約30年の月日が流れた。現在の堀内氏の教え子には男子学生も珍しくない。家庭科を主専攻とする学生に交じって、副免許として学ぶ男子学生もいるが、とくに異端として扱われることもない。学年にたいてい1人以上は男子学生がいる。2022年度はゼミの4年生全員が男子で、さらに修士課程の大学院生にも男子学生がいたそうだ。この大学院生は、今年から高校の家庭科教員になったという。

「家庭科を語るときに挙がるさまざまな課題は、決して家庭科の内容のみに由来するものではありません。学校内のジェンダーバイアスが、家庭科という象徴的な教科を通して浮かび上がっているだけなのです。総論として頭ではわかっていても、各論としては『前に出るのは男性』『家庭科は女性のもの』という意識が拭えない人もいるのでしょう。でも社会の変化を受けて、それはもう個人のレベルになってきていると思います。少なくとも私の周りでは、わざわざ『男性の』家庭科教員と言わなければいけないような感覚はもうありません」

指導体制にも課題、非常勤が多く「家庭科は一人教科」

堀内氏は現在、高校の家庭科の教科書の執筆・編集に関わっている。

「家庭科は『家庭基礎』と『家庭総合』の2つの科目がありますが、1年で2単位となる『基礎』のみで終える高校が多いと思います。授業としては週に1度の2時間しかない場合がほとんどなのではないでしょうか」

限られた時間の中で、教えなければならないテーマは多岐にわたる。衣食住に関する内容のみならず、「自分・家族」「子ども」「高齢者」「社会福祉」「消費・経済」など、堀内氏が手がける教科書では、一生分の話題を10章に分けてまとめている。

「私たちの家庭生活の営みは社会に直結するものです。さらに世界的な課題にもつながるものだと意識できるように、『家庭科の授業を通じてSDGsを考えよう』というテーマで学習項目を分類するなどの工夫をしています」

家庭は社会の最小単位であり、家庭科を学ぶことは社会を学ぶことでもある。金融教育などの新分野が注目されがちだが、調理や被服の教育にも、時代の変化が表れている。今日では、型紙から服を作るようなノウハウよりも、大量生産される服を手入れして着るための知識や、正しく選んで購入するための消費者教育のほうが実用的だ。また、外国ルーツの子どもの増加や生活の多様化により、家庭の食事もプライバシーの一環として扱う必要が生じている。教員は、子どもが「学校で教わったことと違う、うちはおかしいのだろうか」と傷つくことのないよう、しかし生きるために役立つ知識を身に付けられるように進めなければならない。学校における体制で、改善すべき点はあるのだろうか。

「家庭科は非常勤の先生が担当することが多く、とくに小学校では、常勤の専科の教員が少ないのが現状です。『一人教科』なんて言われてしまうこともあり、家庭科教員が孤独に奮闘していても、教科としての取り組みが非常に見えづらくなっている。でも本来、家庭科の学びは家庭と連携をとってこそ深まるものです。そうした意味で、とくに小学校では、いつも子どもを見ている担任の先生が家庭科を担当するのが理想だと思います」

時間増の悲願を阻む最大の理由は「受験科目でないこと」

「食事ひとつをとっても、絶対にこれでなければいけないという正解はありません。しかしどんな料理の組み合わせでも、理想の栄養バランスというものはある。とくに低年齢の子どもはほかの家庭に触れる機会が乏しいので、自分の家庭が絶対的な当たり前のものだと思って生活しているでしょう。だから授業で具体例を示すことで、ふと何かに気づくきっかけにできればいい。子どもたちが違いを語り合える時間にできればベストだと思うのです」

この「気づくきっかけ」を作ることを、堀内氏は「種をまくこと」と表現する。そしてこの種をまくことにこそ、教員の手腕が関わってくると考えている。

「例えば『ほうれん草のおひたし』という枠の中だけで授業を終えるのか、『葉物を茹でる』という視点に広げられるかによって、その後の子どもの応用力が変わってきます。先生方には、唯一の正解を示すのではなく、選択肢に気づき、自立のきっかけになる種をまいてほしい。それができる教員を育てることは、私たちの責務だとも思っています」

ここまで聞いてきて、こちらも気づくことがある。探究学習やキャリア教育、地域共生やLGBTなどのジェンダー論、「正解のない問い」に気づくこと。近年学校で求められていることの多くが、もともと家庭科の領域に含まれていたといえるのではないだろうか。こう問うと、堀内氏は大きく頷いて笑った。

「それは家庭科業界の人はみんな言っていることです、前からやっているし、家庭科でやれるのにねって(笑)。でもそれだけ、これまでの家庭科は存在感を示すことができていなかったのかもしれません。家庭科教員に女性が多いこともその一因かもしれませんが、最大の理由は、家庭科が受験科目でなく、授業時数がとても少ないことです」

一生分の話題を週1の授業で完璧にフォローすることは到底できないし、授業時間を増やすことは家庭科教員の悲願だと堀内氏は言う。だが現場を理解しているだけに、こうも続ける。

「時間が足りないと思っているのはほかの教科の先生方も同じでしょうし、学校でやることが増えすぎているという意見ももちろんあると思います。だからこそ、家庭科をうまく生かして、学校内のさまざまな学びをリンクさせてほしいのです。探究や地域共生も、家庭科と連携できる部分は大きいはず。入試方式の多様化も著しい今、家庭科で扱うダイバーシティーや男女共同参画が小論文のテーマとして出題された例もあります。受験科目でないから注力しないのではなく、気づきの種をまく教科として、ぜひ生かしてほしいと思います」

堀内氏は、とくに家庭科の指導内容には「国がどんな社会を作ろうとしているのか、その教育政策が顕著に表れている」と語る。確かに過去の教育には、性別役割分業推進の意図があった。そしてさらに、家庭科の置かれた状況から、今の問題をうかがうことができる。拭いきれない個人のジェンダーバイアス、現場の負担と人材不足、受験のための偏差値重視。どれも一足飛びに解決できない課題だからこそ、家庭科を通じて新しい世代の価値観を育てることが重要なのではないだろうか。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:YsPhoto / PIXTA)