「官製研修」に足りないリアルさを、実践者として見せる
岩手県の公立小学校に勤める古舘良純氏は、初任者教員や若手教員への接し方について、「教えるのではなく感化することを目指している」と語る。
「僕はとにかく相手にたくさんの質問をしています。『何でも聞いてね』と言うだけでなく、こちらから『何でも聞いていく』というスタンスです」
初任者研修や2年目・3年目研修をはじめ、教育委員会などによるいわゆる「官製研修」も行われている。だが古舘氏は、これらの研修には「リアルさが足りない」と指摘する。
「すでに現場を離れている先生方は学級を持っていない状態なので、若手に事実や実例を見せることはなかなかできません。僕の主催する勉強会に来てくれる若手からも『こっちのほうが教室をイメージできるので楽しい』『この勉強会を知ってしまうと、官製研修がつらく感じてしまいそうです』という声を聞きます。せっかくの研修の場なので、われわれのような現場のリアルな『実践者』と若手教員をつなぐ機会になるといいのですが……」
古舘氏は若手教員と経験豊富な教員の隔たりを、登山に例えて説明した。
「初任者研修などでは、目標である山頂を示し、さらにいくつかの登山ルートを示すかもしれません。でも若手が知りたいこと、知らないと困ることは、たぶんそういうことではないと思うのです」
山に登る際には、靴はどんなものを履いたらいいのか。上着はどう選べばいいのか。初任者教員たちは、ギアの選択肢やその必要性すら知らないかもしれない。だから古舘氏は「どんな服装で行くつもり?」と率先して質問する。問いに対する答えを聞くことで、相手がどんな情報を求めているかが見えてくる。
「選択肢は示しますが、結果として彼らが自分で決めたのだと思えるように導くことも大切です。そうでないと『こうしろって言ったじゃないですか!』という他責思考になりかねない。質問をすることは、こちらが君に興味がある、好意的であるということの意思表示にもなります。相手をよく観察し、求めているものを見極めるための質問は、互いに信頼関係を築くためにも重要なことなのです」
「初任者教員に質問をすることは自分にとっても得」
「質問をする」という手法は、古舘氏が心がけているもう1つの狙いにもつながっている。それは「面倒を見る」ことと、それにとどまらず「責任を取る」ことまで一貫して行うことだ。
実例を示そう。研究主任を務める古舘氏は、学年主任ともかけ合って、自らの授業を含めた多くの授業をオープンにしている。初任者教員が自由に授業を見学できる体制を整えたことは、まず「面倒を見る」ことに当たる。さらに古舘氏は「責任を取る」ための取り組みとして、授業を見に来た教員にたくさんの質問をするという。
「初任者教員に『今日のこの授業、どうだった?』と問いかけて、答えが返ってきたらさらにその理由を聞く。『それで?』と言ったり『君ならできそう?』と畳みかけたり。とにかく振り返らせて、内省を促すのが目的です。せっかく授業を見たのに、それで終わりにしたら経験の質が下がってしまう。そこまでフォローしてこそ、責任を取ったといえるかなと」
多くの質問をすることの最大の目的は若手教員の成長であるため、ギブ・アンド・テイクの観点でいえば、古舘氏にとっては「ギブ」が大きいものに見える。だが古舘氏は、自分の「テイク」も非常に大きいとほほ笑む。
「授業を見てどう感じたかを聞けるのは自分のためにもなるし、自らの質問力を高めるのは僕にとって得になりますよね。子どもへの指導にも必ず生きてくるし、同僚やそれ以外の人とも仲良くなる力がつく。先生だろうが社会人だろうが、人は人の中で生きていくものだから、これはWin-Winだと思いませんか」
若手教員によく見られる失敗にはどんなものがあるのだろうか。古舘氏はまず1つ目に「スマホやパソコンにかじりついて、SNSやネタサイトなどに振り回されてしまうこと」を挙げた。自身もSNSアカウントで多くのフォロワーを抱えているが、発信の仕方には細心の注意を払っている。
「ネット上では多くの人が多くの持論を述べていて、まったく反対のことを言う人もいる。僕のSNSでの発言も、相手が見えない状況ではアドバイスではなくただの持論です。そうしたものやコンテクストのわからない発信を真に受けるのは、あまりよくないと思います。誰かの実践をネットで探さなくても、隣の教室に行けば先輩がリアルな授業をやっているのです」
自身についても「自分でやったことしか書けない」と語る古舘氏。若手にも同じく、自分自身の経験を大切にしてほしいと考えている。だからこそ同氏は授業を自由に見学させ、目の前の相手にたくさんの質問をするのだ。
しなやかにしたたかに、やがてしっかり自走できる存在に
古舘氏は「僕自身も若い頃、周りと散々ぶつかって失敗しましたが」と苦笑いするが、やる気にあふれた提案だとしても、「〇〇さんのSNSで見た」「この間セミナーで聞いた」などという伝え方では、職員室ではなかなか受け入れられないという。同氏が勧めるのは「しなやかにしたたかに、周りとぶつからない方法」で取り組むことだ。
「学校で教員たちの責任を取ってくれるのは校長先生や学年主任の先生なので、その理解を得られるやり方を考えるといいと思います。校長先生の方針や学校教育目標に準じて、その達成のためにこの手法が必要だときちんとひも付けできるといい。『知・徳・体』を網羅した教育目標が立てられている学校が多いので、この3つをきちんと意識していれば、職員室で浮いてしまうこともないはず。やりたいことをやりながら、自分自身を守ることにもなる。これは学年経営などに関しても同じです」
もう1つ、同氏が案じる若手の失敗は、「身の丈に合わない実践を重ねるうち、自分のやりたかったことを見失ってしまう」ということだ。
「例えば、掃除当番や給食当番を示す円形の表がありますよね。あれ一つとっても、並べる順番や男女比など、経験を積んでこそわかる重要なポイントが隠れているのです。それを説明せずにパッケージだけを渡すのは、面倒を見ているだけで責任を取ってはいないかもしれません。ベテラン教員のハウツーを安易に若手が教室に下ろしてもうまくいかないことが多いし、その失敗の理由に、本人の力だけで気づくのは難しいことだと思います」
古舘氏はそんなときにもたくさんの質問をすることで、彼ら自身が何をしたかったのかを思い出させるようにしている。大切なのは、若手教員の意識のベクトルを、外側から内向きに変えることだという。
「ほかの教員にどう思われるか、保護者や子どもにどう見られるか、彼らの意識はどうしても外へ向かってしまいがちです。その矢印を内に向けて『自分はどう思っているのか、自分は何を感じているのか』ということを考えてほしいのです」
内向きの分析を極めることは、自己中心的になったり、自己満足に走ってしまったりする危険もはらんでいる。そこにブレーキをかけるのが、前述の「学校教育目標の理解」といった姿勢だ。古舘氏は「自分が学校職員の一人であるという意識をしっかり持ち、学校に貢献する気持ちを忘れなければ、教員の独り善がりになってしまうことも防げる」と話す。
「さまざまなアプローチで目指しているのは、若手教員が僕らの伴走を経て、一人で自走できる存在になっていくことです」
古舘氏はそう語るが、それは子どもたちへの教育における目標と同様のものだ。若手を支援する同氏の1つの取り組みは、また別の取り組みと自然につながる。やがてそれらが循環し、教育現場全体の理論になっていることに気づかされるだろう。回り道にも見えるやり方で、古舘氏は自ら、しなやかでしたたかな教員像を示している。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:tabiphoto / PIXTA)