初任者教員を待ち受ける「2つのハードル」と対処法

前川智美氏は東京都の公立中学校で国語を教える現役教員だ。2022年にはこれから教員になる若者に向けた著書も出版した。初任の年に東京都の教員採用事業でのPR担当にも抜擢された前川氏。選ばれた理由は自身でもわからないと笑うが、多くの教員志望者や初任者教員を見てきた同氏は、彼らにとってのハードルは2つあると説明する。

「1つは新社会人としてのハードルです。私もそうだったのですが、職員室での電話対応や、先輩教員たちとの接し方など、どうしたらいいのか戸惑いました。学生時代のアルバイトやサークル活動の経験にもよると思いますが、単純に社会人として未熟だということがまず挙げられます」

だがこれは教員に限らず、どんな業種・職種に就いても同様だろう。前川氏も「これらは言ってしまえばささいなこと。最初は失敗するのも仕方ないし、周囲の雰囲気を見ながらとにかくやってみるのみです」と言う。

前川智美(まえかわ・ともみ)
東京都公立中学校主任教諭。1988年、佐賀県生まれ。長崎大学教育学部卒業。初任時から東京都の教員採用をPRする代表若手教員に選ばれ、全国の採用説明会などで「東京都の教員の魅力」を伝えてきた。東京教師道場の部員として学んだ後、東京教師道場リーダーに。2年間部内の若手教員の育成に当たった。みんなのコード主催、プログラミング指導教員養成塾修了。著書に『先輩教師に学ぶリアルな働き方 中学教師1年目の教科書 ――こんな私でもいい先生になれますか?』(明治図書出版)がある
(写真提供:前川氏)

「2つ目のハードルは教員として授業をどうするか、子どもや保護者とどう関わっていくかなどということ。これこそが教員の本業であり、正面から向き合うべき本丸のハードルです」

この「二段構えのハードル」こそが、学校という職場の新人が経験することの特徴だろう。職員室ではほかの職種の新入社員同様、社会人1年生として先輩に学ぶ必要がある。だが一歩教室に入れば、一人の教員として振る舞うことが求められるのだ。

例えば、子どもたちからどう信頼を得るか。前川氏は「若さを強みに変えてほしい」と続ける。

「子どもたちは一緒に楽しんでくれる人が大好きです。若いということは、それだけ子どもの目線に近づけるということ。そうした意味で、初任であることはとても大きな強みです。子どもから信頼されることが、保護者からの信頼にもつながります」

あるいは、保護者からのクレームにどう対処すればいいのか。これについては「相手がどうしたいかを知ることが重要」だという。

「なぜクレームを入れてくるのか、相手がどんな考えを持っているのか。そこを掘り下げれば、『子どもをよりよく育てたい』など、互いに一致できる部分が必ず出てくるはずです。保護者との共通理解ができれば、若くても信頼関係を築くことができます」

また、初任者教員ほど「うまくいかないときに子どものせいにしがち」だとして、陥りやすい思考にも注意を促す。

「『わかってくれない子どもが悪い』ではなく、自分の授業に問題があるのかもしれないと考えてほしい。それができる人、つまり自分の力不足を理解して客観視できる人は、自らを伸ばしていく才能がある人だと思います」

初任者教員の育成は、子どもの教育と通じる部分が多い

「若手教員はみんな頑張っているし、つらくてもそれをあまり見せない」と語る前川氏。初任者のデスクに並ぶエナジードリンクの缶や風邪薬などは見逃せないサインだと考えており、自ら「疲れていない?」「休めてる?」と声をかけるようにしている。

「困ったら言ってね、と若手に言うのは簡単です。もちろん自らオープンにしてくれる人もいますし、そうしてもらうのがいちばんいい。でももしかしたら、『そんなこと言われても言えないよ』という環境を、こちらがつくってしまっているかもしれません」

それは「いじめがあったら相談して」などと子どもに伝えても、それだけでは問題が解決しないことと似ている。そう指摘しつつ、前川氏はさらに次のような例も挙げた。

「前述の電話応対や言葉遣いなど、一般企業では新人研修で教わるようなことも、学校では誰も教えてくれないことが多い。それなのに、先輩教員には『これぐらい常識でしょう』と言われてしまうことも。でもこれって、教えていないことなのに、それができないと子どもを叱るのと同じことだと思いませんか」

これらの類似性によって、若手教員の育成がうまくいかない学校が、いかに教育の場として致命的な問題を抱えているかに気づかされる。なぜなら若手教員の育成は、そこに必要なスキルも蓄積される知見も、子どもの教育と直結する取り組みだからだ。

「二段構えのハードル」のうち、授業に関する悩みは、教員である限りずっと続くものだろう。近年も時代の求めや学習指導要領の改訂などを受け、新たな授業を模索する動きが続いている。「本を読むことはもちろん、ほかの先生の授業を見たり公開授業に行ったり、授業については真摯に勉強を続けてほしい」と話す前川氏。だからこそ、悩まなくていいことに悩んでほしくないとも強調する。

「ブラック部活や働き方の問題を改善するには、制度の変更が必要です。現状の研修の改善など、初任者の悩みを軽減するための改革も不可欠でしょう。私たちミドル層の教員がなすべきことも多いと感じています」

「当たり前」をいつか変えるために、疑問を持ち続けて

約10年前、東京都庁で行われた教員採用の説明会には、1日で1000人以上の教員志望者が集まった。登壇を終えてロビーに出れば、若手教員の生の声を聞きたいと参加者が長蛇の列をつくった。あのときの活況ぶりが忘れられない、と前川氏は当時を振り返る。

採用に携わっていた頃の感謝状(左上)。当時の説明会には、500人規模の会場に入りきれないほど志望者が詰めかけた(右上)。前川氏は採用案内パンフレットにも登場(下段)
(写真提供:前川氏)

「説明会で立ち見が出るほど、教員を志す学生は多くいました。私が最初に変化を感じ出したのは、夜遅くまで学校に残らず、スッと帰る教育実習生が増え始めた頃でしょうか。これは資格を取っておくための実習であって、本気で教員を目指しているわけではないのだなと思いました」

そうした若者の姿に、「えっ、もう帰るの?自分たちの頃とは違うんだね」と驚くベテラン教員もいたという。だがその感覚の差こそが、今の学校現場に必要なものを示しているかもしれない。

「過去にはいわゆる軍隊のような『右にならえ』の教育が求められていました。そのおかげで戦後復興や高度成長期が支えられた面もあるでしょうが、すでにそうした時代ではありません。多様性や寛容さが足りない教育のあり方に苦しんでいる子どももいます。そして若手教員は、旧世代の教員よりもずっと今の子どもに近い存在です。彼らの育成にも、もっと多様性と寛容さを持って当たる必要があるのではないでしょうか」

初任者教員の着任校が決定するのは3月になってから。3月末にバタバタと転居するケースも多いだろう。前川氏はこの「直前までどうなるかわからない」状況にも苦言を呈しながら、初任者教員には、今はゆっくりしてほしいと言葉を継ぐ。

「仕事が始まると忙しくなるので、それまでは親孝行をしたり学生時代の持ち物の断捨離をしたりする貴重な時間だと考えてください。そして着任先がわかったら、自治体や学校の『推し活』をするつもりでどんどん詳しくなってください。情報収集をしたり現地に足を運んでみたり、接した時間に比例して着任先への愛着が湧くでしょう」

始業式を迎えた後、おそらく4月は忙しさに追われていつの間にか過ぎ去る。その間に少しずつ疲れがたまって、5月の連休明け頃、つらさの波がどっときてしまう人も多い。

「不慣れな環境で疲れてしまうのは、子どもたちもきっと一緒のはず。初任者教員の皆さんは、子どもたちにも自分にも少し寛容になるといいと思います。学校に来られただけでまずはOK、また夏休みを目指して、無理せず一歩ずつ頑張ろう――。それぐらいの気持ちで大丈夫ですよ」

悩みを抱えること自体は決して悪いことではないし、悩む原因は初任者教員だけにあるとも限らない。前川氏はそう繰り返す。

「今は学校も過渡期にあります。教育現場に入れば、疑問を感じることがたくさんあるでしょう。初任者教員が変われば学校が変わるし、学校が変われば社会が変わる。まずは今の『当たり前』に適応しつつ、でもその『当たり前』がすべてではないという視点と、いつか自分がそれを変えていくんだという強い思いを持ち続けてほしいと思います」

(文:鈴木絢子、注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)