公立学校では全国的に、採用者数が増えているにもかかわらず、受験者数がここ10年ほど減少の一途をたどっています。

今年に入って文部科学省が公表した情報によると、2021年度採用の小学校教員の倍率はこれまでの最低を更新し、2.6倍だったそうです。採用試験が真に力のある教員を見抜いて採用できているのかに疑問がある一方、受験者数が年々減少している事実は、上の世代がごっそり抜けていく現場としても、採用される新卒世代にとっても、プレッシャーになりますよね。保護者や地域からの風当たりも、ますます強くなってしまう懸念があります。

私は07年(平成19年)採用ですが、改めて当時の記録を見てみると、小学校で倍率4.6倍、全体で7.3倍。前年に比べて微増していたようです。当時は「倍率下がってくれ~!」くらいしか思っていませんでしたが……。忙しさも、私が初任だった頃と比べて増しています。そんな状況で参考になるかはわかりませんが、ここからは私の初任時代の思い出を書いてみようと思います。 

「3」の周期で教師を続けることに悩む!?

私が初任だった15年前の1年間を思い返すと、4月1日に辞令をもらってから、本当にあっという間に時間が経つものだと感じた記憶があります。私は当時2年生の担任だったのですが、学年は2クラス、隣のクラスの先生が学年主任で指導教官でもありました。見通しのないまま、指導教官の先生が「これをやっておくといいよ~」というものを片っ端からまねしてやって、気づいたら退勤時刻。指導教官の先生が遅くまで残らない人で、その先生が退勤されたら何をやればよいかもわからないので、割と早く帰っていました。

振り返ってつくづくよかったなぁと感じているのは、2クラスの学年だったこと。隣に座る指導教官の先生にいつでも何でも気軽に聞けて、まねして、同じように進められていたから乗り越えられた初任時代だったなぁと思います。学年が3クラスだと、話し合いも倍くらいになってしまうんですよね。

私もキャリアを重ねて指導教官も経験しましたが、定時で退勤するとなると丁寧に教えている余裕は全然ないんです。とくに年度当初は、自分のクラスで精いっぱい。毎年この時期になると、初任時代の指導教官の先生に感謝の気持ちを思い返しています。

蓑手章吾(みのて・しょうご)
HILLOCK(ヒロック)初等部 校長
公立小学校で14年勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設(22年4月開校予定)。専門教科は国語。特別支援学校でのインクルーシブ教育や発達の系統性、学習心理学に関心を持ち、教鞭を執る傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士号を取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な東京・小金井の前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任するなどICTを活用した教育にも高い関心と経験を持つ。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)、共著に『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)などがある

初任時代に話を戻します。初めて子どもの前に立ったとき、子どもたちが落ち着かず、想定とのギャップに初日から自信を喪失したことを今でも覚えています。職員室に戻って素直にそのことを漏らすと「長期休み明けだし、初めての進級で興奮しているのよ。いすもない状態だったしね(翌日入学式があり、その準備のために体育館にいすを持っていっていて、その日はいすのない状態でした)」と優しく声をかけてくれました。

言われたとおり、次の日にいすが戻ってくると、いすに座るだけで子どもたちが落ち着くことに驚かされたのを今でも思い出します。そのことを後日職場の飲み会で話すと、先輩教員が「3がつくときって、周期的に教師を続けることに悩む時が来るのよ。教師になって3日目、3週間目、3カ月目、3年目。だから、大丈夫」と教えてくれました。私は担任になって3時間目でしたが(笑)。確かにその後、それくらいの周期で悩みが出てきたし、そのたびにこの言葉を思い出して乗り越えてきました。

初任時の失敗をどう乗り越えたか

初任時代は数々の失敗をしてきましたが、とくに大きなものを2つ紹介したいと思います。1つ目は4月中旬の初めての保護者会。学年全体の保護者を前に自己紹介をし、1年の学年方針を話す会です。私は分担された箇所を事前に何度も練習し、当日も何とかやりきりました。

会の終わりに学年主任が「それでは、各クラスに分かれて学級懇談会に移りましょう」と言われ、私は耳を疑いました……ガッキュウコンダンカイ!? 確かに、プログラムを見返すとちゃんと書いてあります。そうです、私は学級懇談会の存在をまったく認識していなかったのです。クラスに移ってから、保護者の前で素直にそのことを話して「何をすればよいか教えてください」と頭を下げました。当時の保護者は、最初はびっくりしていましたが、すぐに笑いであふれ、温かくサポートしてくれたのでした。

2つ目は、家庭訪問。保護者の皆さん一人ひとりと向き合っていると、時間がどんどん押してきます。後半、予定から30分くらい押してしまい、焦っていたのでしょう。何とかすべて回り切り、学校に戻って保護者との話を振り返っていると、どう考えても思い出せない保護者がいるのです。

そんなはずはないと家の場所を確認して、そこで恐ろしいことに気づきました。なんと1家庭、飛ばしてしまっていたのです!時間はすでに1時間近く経ってしまっています。すぐにお電話して、正直に話してひたすら謝りました。その保護者さんは「大丈夫ですよ」と優しく許してくださいました。

私の初任時代はこんな具合で、多くの方から助けてもらってばかりでした。ただただ真っすぐ素直に、熱く、一生懸命向き合ってきました。何とか続けてこられたのは運のよさもありますが、失敗したら正直に謝ることがコツかもしれませんね。

これから初めて先生になる方が、この文章を読んでくれているとしたら、私から言えることは「右も左もわからなくて当たり前! 格好つけず、遠慮せずどんどん聞いて、挑戦して、間違えたら素直に謝るべし!」というところですかね。そのほうが、より楽しい1年が送れると思います!

2年目以降はこの時期、1年後の理想の学級像を毎回考えて、昨年度やらなかった工夫を必ず加えるようにしていました。とくにこの時期は忙しいので、気づいたら昨年度と同じ当番表を作ったり、同じ学級のルールを適用してしまいがち。

でもそれって、成長のチャンスを逃してしまっていると思っています。学級の仕組みや土台をつくるこの時期に、どんな理想でどんな環境を設定するかはとても重要です。前年踏襲に「待った」をかける勇気をぜひ持っておきたいものですね。

(注記のない写真:Ushico / PIXTA)