電話応対から出席簿のつけ方まで必須の知識を身に付ける

4月。全国の学校ではたくさんの新1年生が入学式を迎えたが、学校という未知の世界に踏み出したのは子どもたちだけではない。3月に大学を卒業し、新社会人になったばかりの初任者教員たちもまた、学校における「新1年生」である。

東京都の東久留米市立東中学校では、主幹教諭である松田八幸氏が中心になり、同校に赴任した初任者教員や若手教員へさまざまな教育を行っている。

東京都東久留米市立東中学校 主幹教諭(3学年主任 保健体育科 教務主任)松田八幸氏
(撮影:梅谷秀司)

例えば電話応対について。これは業種・職種を問わず、新社会人が苦手意識を抱きやすいものかもしれない。そのため一般企業では電話のマナー研修を実施することも多いが、学校という職場ではなかなかそうもいかない。

松田氏は初任者教員を「電話に出たほうがいいのだろうと思う反面、自分が取っていいのか、どんなふうに答えればいいのか、ほかの教員につないでいいのかもわからない。この学校という組織のルールを、彼らはまったく知らないわけですよね」と語る。そもそも彼らはまだ、社会のルールもあまり知らない存在だともいえるだろう。そこで同校では、電話応対のための懇切丁寧なマニュアルを用意。「身内には敬称をつけない」「聞き取れなかったときの対処法」など、社会人としての基本的なマナーから詳しく解説する。

また、出席簿のつけ方や自己申告書の書き方も指導している。自己申告書は教員が1年間の目標を立てて校長や副校長とも共有し、自己評価の基準にするものだ。

「出席簿は担任を持つまで書くことがないケースも少なくないため、人によっては2年目、3年目までやり方を知らない場合もあります。初任者の時期を逃すと余計に学びにくくなるので、本校ではこれもきちんと時間を取って教えています」

ほかにも、評価の出し方や成績のつけ方、生徒指導の仕方や家庭との情報共有、連絡の方法なども教える。こうした知識は教員にとって必須のものであるにもかかわらず、具体的な指導を受けるチャンスはほぼない。松田氏は実際の事例や自身の経験を基にした資料を作成し、彼らと話し合う機会を設けているのだ。

実際に使用している電話応対マニュアル(左)と評価・評定のための資料(右)。ほかにコミュニケーションに関する研修なども行う
(撮影:梅谷秀司)

これらの初任者教員向けの教育の成果を、松田氏は確実に感じているそうだ。電話応対の仕方を教えれば、彼らは翌日からすぐに電話を取ってくれるようになる。だがそのことが、松田氏に別の問題点を実感させたという。

「彼らも本当はどんどん挑戦したいし、わからないことは聞きたいと思っているのです。でも周りの教員の忙しさに圧倒されて質問することができない。教員はとにかく仕事が多すぎるし、4月はとくに、みんな目が血走っているぐらいですからね」

どうすることもできず、職員室で人形のようにじっと座っている初任者教員を、松田氏は何人も見てきた。松田氏は彼らに「最初の1年間は、知らないということが武器になる貴重な期間。忙しそう、申し訳ないと思わなくていいから、とにかく何でも聞いてほしい」と声をかけるようにしている。

若手教員の育成はベテラン教員の実力発揮にもつながる

「ほとんどの人が自己流でやり方を身に付けてきた結果、中堅やベテランの教員でも『一般社会の感覚で見たらアウトだろう』という対応をしている人が少なくありません。私たちミドル層の教員が目上の方を指導するのはなかなか難しいことですが、職場全体に方針が理解されていなければ、初任者教員を正しく導くこともできないと思います」

松田氏の若手育成の肝は、この「職場全体での初任者教育」という発想にあるかもしれない。同氏は「若手にこんなことを教えているので、内容をお知らせしておきますね」と、初任者教員向けのマニュアルや資料を学校全体に共有する。「最近の新卒者はこういうことが苦手らしいですよ」と、ベテラン教員にも改善してほしいことを一般論として伝える。あるいは「〇〇先生に教えてもらって、若手がとても喜んでいました」と、ベテラン教員に伝えることで、その「教える喜び」を刺激する。

「私の作った資料を見て『これは自分も知らなかったな』と言ってくれたベテラン教員もいました。昔のやり方を知っているだけに、ベテランの方ほど新しい評価方法で悩んでいるという声も聞きますし、評価方法の資料を自分の参考にしてくれる先生もいます。目上の方への働きかけは間接的なものなので、少しでも効果が出ればラッキーだという程度に考えています。それでも一生懸命やっていればみんな応援してくれて、若手指導でも私の足りない部分を助けてもらえるようになりました」

ベテラン教員の自尊心を傷つけないよう配慮しながら、さりげなく取り組みに巻き込むことで、若手もさらに学びやすくなる環境をつくっているのだ。

「初任者教員だけを優遇すれば、ベテラン教員は『新しい時代に必要ない』とでも言われているように感じて、きっと寂しい気持ちになるでしょう。でも実際は、経験豊富な先生方の知見も絶対に必要なものです。若手も思いっ切り仕事ができて、ベテランも遺憾なく力を発揮することができる。そうした環境づくりこそが自分の仕事なのだと考えています」

自分たちが苦しんだその思いを若手に味わわせないために

なぜ東久留米市立東中ではこうした取り組みが根付いているのか。

松田氏が同校に赴任したのは2014年のこと。現在も比較的若手教員が多いが、当時もほぼ20代と50代の教員で構成されていたという。松田氏は着任当初の印象をこう振り返る。

「まずは暑苦しい学校だなと驚きました(笑)。熱心な教員が多く、行事にも全校で力いっぱい取り組む。離任式で教員との別れに涙する生徒もたくさんいましたね。年齢構成では40代の先生がほとんどおらず、当時30代になりたての私が若手のトップという状態でした。赴任して1年ほど経った頃、当時の校長に『若手を育成してくれないか』と打診されたのです」

以来、責任に伴って業務量が増す中でも、松田氏は同校で初任者教員の教育に力を注いでいる。当初はほかの教員からの反発もあったが、もともとの「暑苦しい」校風も奏功した。さまざまな研修を試すうち、徐々に「職場全体での若手教育」がうまく回り始めたという。

若手教員への指導や支援は、生徒への指導や支援の力と確実にリンクし、相乗効果をもたらすと松田氏は断言する。その理由は「若手教員も生徒も、どちらも同じ人間だから」。だが、本来は教えることのプロであるはずの教員が、教員への指導はなぜかうまくできない。その原因も多忙にあると松田氏は指摘する。

「仕事が忙しすぎるせいで、教員の育成は『自分の仕事ではない』と思ってしまうのかもしれません。自己流で仕事を覚えてきた世代の方々は『自分たちもそうだった』『昔はこれで頑張ってきた』と言いたくなるかもしれないし、その気持ちはわかります。でも、その頃の自分たちも苦しかったのは間違いないはず。その苦しい思いを今の若手にさせなくていいように、できることをしたいと思うのです」

だが、個人の努力には限界がある。松田氏は教務主任であると同時に3年生の学年主任であり、サッカー部の顧問でもある。何とか時間を捻出して若手教員の指導に当たっているが、すべての教員に同じことを求めるのは難しいだろう。松田氏自身も「そこまでできないという人の気持ちを否定するわけにはいかない」と言う。

「若手教員の育成は教員にとっての義務ではないかもしれません。でも最低限教えてあげなければならないことは必ずある。初任者教員の教育制度整備は急務です。例えば教育委員会などが主導する具体的な取り組みがあっても、その存在を知らない人もいるでしょうし、そうしたことに腰を据えて取り組む時間ないという現状こそが、私は異常事態だと思います」

組織を変えることの難しさを痛感しながら、「教員にとってもよい学校をつくることがよい生徒を育て、よい生徒がやがてよい人間となれば、それがひいてはよい社会を築いていくはず」と語る松田氏。その自負を胸に、この春も同校で初任者教員を迎える。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:kou / PIXTA)