「あくまで主語は子ども」手段の目的化が起きていないか
森万喜子氏が北海道の小樽市立朝里中学校の校長に就任してから、今年で5年目になる。その間、学校の環境改善のためにさまざまな取り組みを行ってきたが、今日の「働き方改革」の扱われ方には疑問を抱いているという。
「働き方改革の本来の目的は、教育の質の向上だったはずです。教員が疲れ果てて授業研究もできなかったり、子どもたちに笑顔を見せられなかったりするようでは困る。だから先生に元気でいてもらいましょうということが本質のはずだったのに、今では時間短縮ばかりが主軸になって、手段の目的化が起きているように思います」
数値目標に振り回されたり、まして学校ぐるみで在校時間の記録を改ざんしたりしているようでは「子どもたちもがっかりしますよね」と森氏は苦笑いする。そもそも一刻も早く帰りたいような職場こそが問題であり、まずそれを改善することこそが働き方改革の「本質」だと森氏は考えている。
朝里中ではどんな取り組みを行っているのだろうか。森氏はわかりやすい例の1つとして「行事のシンプル化」を挙げた。
2021年の文化祭では、コロナ禍でいくつかの制限があった。その中でも子どもたちに満足感を味わわせるには、これまでと違う工夫も必要になる。森氏はその工夫と行事のシンプル化を一度に満たせる策を考えた。
「クラス発表やポスター制作など、教員が枠組みを決めて子どもにやらせることはなくしてもいいのではないかと思いました。行事に向けて、暇な生徒がいないように活動を増やすことが目的のような気がして。その分、生徒自身が発表したいことを考えて、一人でもいいし、クラスや学年を超えたグループをつくってもいいから、自主的に自由にやれるようにしてはどうかと提案したのです」
森氏の案に対し、「何もしたくない子がいたらどうする?」と懸念を述べた教員もいた。だが森氏は「まずやってみて」とハッパをかけた。結果、何もしたくないという消極的な生徒は一人もいなかったという。また、発表内容の希望が出そろったときには「ダンスをやりたいというグループがあるが、自分には指導ができない」と相談にきた教員もいた。森氏は「それこそ望むところ」だとにんまりした。
「ダンスならネットの動画を見てもいいし、わからないことを誰に聞くか考えることも学びになります。子どもたちが自分で調べることこそが成長につながるので、あまり教えようとせずにほったらかしていいと伝えました」
この「ほったらかすこと」、つまり教員が手を放して任せることが大切だと森氏は語る。
「教員というのは、つい教えてあげたくなる人たちです。また、負担が多くても自分の言葉で子どもたちに語りかけることはやめようとしません。例えば通知表の所見や学級通信、宿題へのコメントなどですね。子どもも喜んでくれるし、これをやめさせられるのはつらいのもわかります。私も昔はプリント作りなど、仕事をした気になれることに一生懸命手をかけていました。でも、それは自己満足に終わることもあると理解したほうがいいと思います」
森氏は自戒を込めてそう振り返る。現在は自身を「前線の先生たちに笑顔でいてもらうための黒子」と称する森氏だが、その前線の教員にも、必要なシーンでは黒子になることを求める。あくまでも「主語は子ども、主役は子ども」なのだ。
はたして文化祭当日には、生徒たちの自主制作によるイラスト、動画、コントやダンスも披露され、生徒同士も互いに知らなかった一面を知ることができた。「来年もこの形でやりたい」という声が95%を超え、シンプルになった文化祭は大好評だったそうだ。
若手もベテランもフラットに、実 を取る体制を徹底
森氏が心がけているのは、「チャレンジする若手、それを支えるベテラン」という構図だ。自身も若い頃、新しい提案をするたびにベテランの非難を浴びてきた。その経験から「職場はフラットに」という意識を強く持っている。
「会議ではつねづね『前年と同じというのはやめてね』と言っています。若い教員が意見を言えない職場では、新しいチャレンジは生まれません。ベテランにはその意欲やアドバンテージを潰してほしくないし、若手にはベテランに遠慮しすぎてほしくないのです」
朝里中では2年ほど前から、20代教員だけが参加するミーティングを開催している。コロナ禍で飲み会などができない状況でも、悩みを相談し合ったり、ガス抜きをしたりするいい機会にもなっているという。
また、ベテラン教員が「軽んじられた」と不満をためることもないよう配慮している。
「意見があったら陰口や愚痴にせず、私に直接言ってくださいと伝えています。DMをくれてもいい、ささいなことでも遠慮なく話そうよ、と。職員のことはリスペクトしています」
こうしたことを積み重ねて「意見を言いやすい環境」をつくったことで、抑圧的な雰囲気も薄まり、話し合いができるフラットでストレスフリーな職員室になってきたと感じている。その成果の1つが、今年から実施している「数学の定期テストからの脱退」だ。
「定期テストより単元ごとの習熟度を重視する学校は増えていますが、うちではこれが、トップダウンでなく教員から『やってみたい』という声が上がりました。若い教員が生徒の現状分析を行い、明確な根拠を持って提案したので、反対する理由もありませんでした」
単元テストを実施し、1学期の終わりに生徒にアンケートを取ったところ、「単元テストに一本化された今のほうが学びやすい。意欲が湧く」と答えた生徒が圧倒的だったという。若くして学校改革を実践できる経験は、教員のキャリア面でも意義の大きいものだ。森氏はこの取り組みのポイントをこう説明する。
「単元テストへの移行は仕事を楽にするためにしたことではなく、教員が純粋に子どもたちのことを考えた結果です。朝里中の学校教育目標に『果敢に挑戦する人』という言葉があるのですが、教員自身がこうして果敢に挑戦する姿を子どもに見せることは、何よりの教育になると思います」
もちろん、仕事を楽にするためにシンプルにしたこともある。教材費などを現金で集金することをやめ、保護者の口座から引き落とせるようにした。教育委員会の視察がある際に「歓迎 〇〇様」と看板を掲示したり、後日お礼状を送ったりすることをやめた。教育委員会にはその旨を書面で通達したが、「とくに文句も出ませんでした」とあっけらかんと笑う。また、授業案や資料の作成など、教員の負担が大きい公開授業研究会への参加をやめた。その代わりに、希望者はいつでも見学に来ていいということにした。
「教員が忙しいのは確かなので、仕事はシンプルにしたい。実の伴わないことは、たとえほかがみんなやっていてもやめることにしました。学校はどうしても、どこかで横並びの意識が働く場所です。そうしたことには『それ、本当に必要?』と疑問を投げかけ、本質を思い出してもらいたいと考えています」
「校長になりたい」「教員になりたい」と思える学校へ
先進的に見える朝里中だが、実は時代に逆行しているように思える面もある。例えば森氏は、事前の根回しですぐ合意を見るような会議をよしとしない。議論が深まらず、承認のためだけに行われる会議は本来の目的から外れているからだ。
「時間短縮のために先に方向性を決めて行う職員会議は、スムーズに進むように思えますが、リーダーや担当者以外が発言しづらくなります。意見が言えない環境になってしまうことは避けなくてはいけません」
また、近年は保護者からの過度の干渉を制限する学校もあるが、朝里中では学校から保護者に連絡することも多い。
「保護者は子どもが朝登校したら、笑顔で帰ってくることが当たり前だと思っています。でも実際は学校でトラブルが起きて、笑顔で帰せないこともある。そんなときには、『今日こんなことがありました。心配かけちゃってごめんね』と先に情報を共有しておいたほうがいいと思っています。保護者側からも相談があれば聞かせてほしいし、私自身が1対1で話すこともよくあります」
保護者からはむしろ「相談していいんですか?」「校長先生が聞いてくれるの?」という反応もあるという。それに対し森氏は「私たちは子どもの幸せと成長を願う同志じゃないですか」と答える。
「教員というのは、必ず突発的なことに時間を割かれてしまう仕事です」と言う森氏。だからこそ減らせる仕事を減らし、負担の大きい行事などのスリム化を図ってきた。さらに「基本的にはお任せしますが、孤立はさせません」と、チームで教員をサポートする体制を整えている。新しい取り組みが生んだ時間の余裕と体制が、古きよき学校ともいえる、家庭との距離が近い環境をつくっているのだ。
「本校の最大の特色を挙げるとしたら、おそらく生徒一人ひとりを大事にしていることだと思います。とにかくこの一点に尽きます」
森氏はこう語るが、これこそまさに「学校教育の本質」ではないだろうか。そこに注力することで優先順位が明確になり、その結果として、時間の使い方をはじめとするさまざまな問題が改善されている――これが朝里中の現状だ。フラットでストレスフリーな職場で働く若手教員が、「管理職をやってみたい」「校長になりたい」と言ってくれるようになったと森氏はほほ笑む。さらにうれしいことも起きている。
「生徒たちに進路希望を聞くと、教員になりたいと言う子どもが増えてきました。理由を聞くと『先生たちが楽しそうだから』と。教員たちにはそういう姿を生徒に見せ続けてほしいし、いつも笑顔でいてほしい。自分たちが働く環境を、自分たちで変えていってほしいと思います」
森氏は今年が朝里中で校長を務める最後の年。「あと少しですが、学校づくりは楽しいよということをもっと伝えていきたいですね」と語った。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Ushico / PIXTA)