今回取材したのは平川理恵さん。この3月まで広島県の教育長を務めた女性です。異色のキャリアを持つ教育長として、いろいろな意味で注目を浴びたわけですが、在任中に数々の改革を実行し、その実践は全国に広がっているものもあります。

しかし、これまでも大胆な改革が行われて注目を集めると、その実行者がいなくなった後、揺り戻しが起きて後退してしまう例が目立ちます。「教育を取り巻くさまざまな課題が山積する中で、こうした実践が受け継がれ、さらに進化していってほしい」。そんな思いから、改めて平川氏に6年間の実践を振り返っていただきました。

読者の方にも、日本の教育をよりよくしていくために何が必要なのかを考えていただく機会にできればと思っています。

中曽根陽子(なかそね・ようこ)
教育ジャーナリスト/マザークエスト代表
小学館を出産で退職後、女性のネットワークを生かした編集企画会社を発足。「お母さんと子どもたちの笑顔のために」をコンセプトに数多くの書籍をプロデュース。その後、数少ないお母さん目線に立つ教育ジャーナリストとして紙媒体からWebまで幅広く執筆。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエーティブな力を育てる探究型の学びへのシフトを提唱。「子育ては人材育成のプロジェクト」であり、そのキーマンであるお母さんが幸せな子育てを探究する学びの場「マザークエスト」も運営している。著書に『1歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)、『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)などがある
(写真:中曽根氏提供)

「子どもが天性を生かしながら愉快な人生を送ってほしい」

平川氏のキャリアのスタートはリクルートの営業。独立後は、オーダーメイドの留学プランを紹介する留学斡旋会社を設立し、その後は教育のど真ん中に入っていくことを選択します。全国で女性初の公立中学校民間校長となり、計8年間にわたって校長を務め、2018年に広島県湯﨑英彦知事の指名を受けて広島県の教育長に就任します。

公立初のイエナプラン教育校、商業高校での「ビジネス探究プログラム」、不登校の児童生徒のための教育支援センターの設置と県内の一部小学校、中学校などで不登校や特別な支援が必要な生徒を支援する「SSR(スペシャルサポートルーム)」の設置、内申書をほぼなくしてしまう高校入試改革など次々と挑戦を続け、この3月まで2期6年を務めて退任しました。今回改めて、わずか6年でこれだけのことが実現したことに驚きました。

そのことを聞くと、開口一番「願いは、子どもたちがその天性を生かしながら、いろいろなコミュニティを出入りして愉快な人生を送ってほしいということ。それだけなんです。そのために、教育ができることは何かを考え、できる限りのことをした」と平川氏。エネルギーの発露は「教育で日本に元気と勇気と活力を」という思いからだったようです。

6年間の在籍期間で実現した「オセロの4つの角」

平川氏が着任したのは、折しも、新学習指導要領の実施を前に中央を中心に教育改革の機運が高まっていた頃。しかし、現場は文科省の掛け声に対して何をすればいいのかわからず、戸惑いを持っていた時期です。

「既定路線のやり方ではいつまで経っても変わらない」。そう考えた平川氏が、着任後まず行ったのが、県管轄の全県立高校・特別支援学校101校と県内全ての市町村の小中学校を訪問し、合わせて158校を視察。現場の把握から始めたのです。あまり知られていませんが、義務教育は市町村の管轄なので県は直接関与できません。しかし、教育の根幹は義務教育にあるとの思いから、小中学校も視察しました。

そこで確信したのが、学校は子どもにとって社会であり、そこで何を教えられるかで子どもたちは変わる。大切なのは、生きるとは何かという、根源的な教育だということでした。しかし、今の日本の教育は、「皆と一緒に」を教え過ぎていないかと問いかけます。

大切なのは、自らの人生を舵取りしていく主体性を育てるということです。そのような教育に変えていくためには、画一的な教育を変えていかなければなりません。改革を進めるために平川氏が押さえたオセロの4つの角が、①カリキュラム改革、②心理的安全性が担保された組織カルチャーの構築、③劣後の優先順位をつけて業務を行う組織風土の構築、④公立高校の入試改革でした。

「タイムマシンに乗り、未来像を見て、同じ絵を描く」

子どもたちにとって学校が行きたくなる場所になるには、制服を変えるとか、修学旅行を探究的な取り組みにするといった枝葉末節ではない。学校教育の一丁目一番地は、月曜から金曜日までの授業がどれだけ面白くなるかが大事。そのためのカリキュラム改革に取り組みました。

平川理恵(ひらかわ・りえ)
前広島県教育長、昭和女子大学 ダイバーシティ推進機構 客員教授
京都市生まれ。1991年リクルートに入社。企業派遣により1998年南カリフォルニア大学経営学修士(MBA)取得。1999年留学仲介会社を起業。10年間黒字経営を果たす。2010年全国で女性初の公立中学校民間人校長として横浜市立市ヶ尾中学校に着任。2015年横浜市立中川西中学校校長。2018年より広島県教育委員会教育長に就任。年間予算1580億円、26000人の教職員のマネジメントを行う。その間、文部科学省等政府審議会委員なども務める。著書に『クリエイティブな校長になろう』(教育開発研究所)、『あなたの子どもが「自立」した大人になるために』(世界文化社)、共著に『女性部下をうまく動かす上司力』(日本能率協会マネジメントセンター)などがある。 Voicy:『平川理恵の「教育・子育てのツボ」ラジオ
(写真:本人提供)

しかし、一斉授業から探究へのシフトと言っても、既存のものしか知らなければビジョンは描けません。そこで、皆で同じ絵を描くために行ったのが、国内外の先進事例の視察でした。平川氏は、これを「タイムマシーンに乗って教育の未来の姿を描く」と表現しています。

初年度に行ったのはオランダのイエナプラン教育視察でした。2018年、赴任後最初の市町村の教育長が集まる席で、1〜2割はいると言われる現状の教育に合わない子どもたちのためにも、多様な教育を提供しようと呼びかけ、1つのモデルとしてオランダのイエナプラン教育のビデオを共有します。

そして意欲を示した福山市の三好雅章教育長(当時)らと同年11月には現地に視察に出かけ、翌年には統廃合の対象だった常石小学校をイエナプランに基づくカリキュラムに変更。2022年に全学年がそろったところで福山市立常石ともに学園として開校したのです。さまざまな条件が重なったとはいえ、このスピード感はですごいです。

この学校は特例校ではありません。教育の特徴は、教師から示された「しなければならない課題」と「自分自身が選択した内容」について、どのように学ぶかを計画して、それぞれに合った方法で自立的に学習するブロックアワーや、実際に世界で起こっていることについて教科で学んだことを活用し、グループのメンバーと協力しながら学習するワールドオリエンテーションです。

最も大きい違いは、週の初めに生徒自らいつ何を学ぶのか時間割を決めることです。これによって、主体的に学ぶ姿が見られるようになりました。結果、統廃合の危機にあった学校は、6年間で教育移住者が出るほどの人気校になりました。

ここから派生して広がったのが、自由進度学習です。常石ともに学園を視察した他校の教師たちが、生徒たちが主体的に学ぶ姿を見て、「この学校でこんなことができるのなら自分たちもやりたい」ということになり、2020年から自由進度学習を取り入れ始めました。モデル校となったのが廿日市立宮園小学校。今では県内100校以上にさまざまな形で取り入れられています。

教育委員会に現状を問い合わせたところ、義務教育課の担当指導主事は、「学校によって取り組み方はそれぞれですが、公立校は人事異動もある中で自由進度学習は広がっています。それはやはり子どもたちが主体的に学ぶ姿を見て、先生が手応えを感じるからでしょう。ただ、手法だけが先走ってもうまくはいかないので、『何のために』という目的を大事にするように現場には伝えている」といいます。

保護者からも「子どもが楽しみに登校する様子が見られて嬉しい。自由の中にしっかりした学びがある」と好反応だそうで、今後も研修などで共有しながら、主体的学びを進めていきたいと言います。自由進度学習の様子は、広島県教育委員会のホームページに実例が紹介されていますので見てください。

ほかにも、商業高校の抜本改革のためのアメリカ視察や工業高校の視察で徳島県の神山まるごと高専、農業高校のモデルとして愛知県立安城農林高等学校を訪問したり、ICT 教育推進のために熊本県の先進事例のレクチャーを受けたり、鳥取県や岡山県の先進的な図書館を視察に行ったり、よい取り組みがあれば自ら出向き、職員を派遣し、よいことは取り入れていったのです。このことが後に一部批判を浴びる遠因になったかもしれませんが、こうしてトップ自らが動くことで、職員も刺激を受けていったに違いありません。

仕事を20%カットし、必要かつ重要なことに時間を割く

直近10年間で義務教育段階の児童生徒数は1割減少する一方で、不登校の児童生徒が30万人近くになり、特別支援教育を受ける児童生徒数も倍増。今、日本の学校教育において、不登校の増加と特別支援教育を受ける児童生徒の増加は、大きな課題になっています。

広島県では、「特別支援教育の考え方を生かした個別最適な学び推進プロジェクト」を実施。不登校の生徒の居場所である学習支援センター「スクールエス」や学校内フリースクール「SSR(スペシャルサポートルーム)」をいち早く立ち上げるなど、積極的にプロジェクトを推進し、校内フリースクールの取り組みは全国に広がっています。

平川氏は、これらの運営に際し、教育委員会の組織を再編。不登校児童生徒の支援は自殺やいじめ、警察対応を行う「豊かな心と身体育成課」から「個別最適な学び担当」に移管。特別支援学級の指導充実を、特別支援教育課から義務教育指導課に移管するなど、攻めと守りをはっきりさせ、フレキシブルな組織体制を作ってこの課題に取り組みました。

「組織改革で意識したのは、心理的安全性が保たれ、自由にものが言えるカルチャーの構築でした。また、限りある人材を活かすために、今ある仕事を20%カットし、必要かつ重要なことに時間を割くことを徹底しました」(平川氏)

さらに、指導主事がスクールエスで直接子どもを指導したり、担当校に籍を置き、特別支援教室で直接子どもと関わって授業改善の提案を行うなど、これまではあり得ないと思われてきたことを次々と実行に移した平川氏。それは、「スーパーバイザーではなく、一人の先生として現場を見て仕事をしなければ変わらない」という意思を貫いたから。こうした改革を通して、職員もフラットな関係性の方が意見も出やすいことを体感し、教育委員会自体が主体的・対話的・深い学びをする組織になっていったのだそうです。

「広島の教育をよりよいものにしていくために、教育委員会のカルチャーを変えてほしい」という知事の依頼(『子どもが面白がる学校を創る』〈日経BP〉)に応えた平川氏の取り組みは、ある意味現場に緊張感をもたらしたかもしれませんが、全ては子どもたちの幸福のためだったのだとインタビューを通して感じました。

最後のオセロの角は公立高校の入試改革

そんな平川氏が最後に取り組んだのが、公立高校の入試改革です。全国的に公立高校の入試には、内申書の提出が不可欠です。そして、この内申書が子どもたちを縛り、周りの顔色をうかがい自分の意見を言わないマインドを育てる原因になっている面があります。平川氏自身も校長時代に、そんな高校入試の弊害を感じていたと言います。

そして2019年9月に、高校入試改革を発表。内申書の欠席と所見の欄をなくすこと。代わりに自己表現の導入を実施したのです。

内申書の欠席欄と所見欄をなくす代わりに自己表現欄を導入した(資料:平川氏提供)

この改革の狙いは、広島県の15歳の生徒に身に付けておいてもらいたい力を示すこと。自己を認識し、自分の人生を選択し、表現することができる力を身に付けることが、子どもたちが将来自己実現するために欠かせないステップであると平川氏。

2023年から実施されたこの入試を受けた生徒のアンケート結果では、回答した者の94%が、自己表現について肯定的な回答を寄せており、「自己表現」の実施によって、生徒たちが自己を省みることや将来を考えること、表現活動の更なる充実につながっているという意見や、高等学校においても、夢が明確になって入学しているので、探究学習につながりやすいといった声も寄せられています。広島の入試改革は、子どもたちの主体性を育むことに貢献しているようです。

最後に、教育に携わる人々へのメッセージをもらいました。

「教育が変わらないと社会は変わらないし、社会が変わらないと教育が変わりません。でも変えられないと思っていた入試も、おかしいと声を上げることで変えることができたのです。変化を起こすのは民意です。教育をよりよいものにしていこうというムーブメントを皆で起こしていきましょう」

子どもたちの幸せと、よりよい社会を実現するために、皆さんはどんな教育を望みますか。

取材を終えて、広島県出身のある母親がこう話すのを聞きました。「広島はもともとすごく保守的な県民性です。その風土の中で次々と新しいことが始まってびっくりしました。取り組みはすばらしいと思う一方で、我が子の学校は相変わらずだ」と本音を語ってくれました。

改革を進めるために、まずはモデルとなるショールームを作ったという平川氏ですが、今後その取り組みがどこまで定着し広がっていくのか、それは保護者や当事者である子どもたちが何を望むのかということ次第かもしれません。広島の教育が子どもたちのウェルビーイングを高める方向に前進することを期待しています。

(注記のない写真:cba / PIXTA)