夏休みが終わったばかりのTCSの教室や階段室の壁には、ところせましと模造紙が貼られていた。
子どもたちが夏休み中に取り組んだ個々の研究成果が、一枚いちまいに描かれている。そのテーマはバラバラで、しかも「スイカは果物か野菜か」など、どれもがユニークだ。「朝顔の成長観察」といった同じテーマでの同じようなレポートが貼り出されている、よく見かける学校の雰囲気とは、明らかに違っている。
どれも本やパソコンなどでうわべだけ調べたものではない。スイカのことでもスーパーの担当者に訊くなど、「足で集めた情報」も盛り込まれ、そうした情報を取り入れながら報告者本人の結論が導かれている。そのユニークさと内容の濃さを指摘したら、創立者の久保一之氏からは次の答えが戻ってきた。
「ただインターネットや本だけで調べただけでは調査にならないとは、普段の授業でも言ってきていることです。1つの情報で結論を出すのではなく、複数の情報源をたどって妥当な結論を出すことをTCSでは大切にしています」
見学させてもらった授業の様子についても、久保氏に筆者の感想を伝えた。行儀よく、いすに座っているわけでもないし、中には立ち上がったり、席を離れる子もいる。しかし、どの子も授業を無視しているわけではなく、テーマと向き合い、みんなが発言していた。手を挙げて当てられた子だけが発言する一方で、発言しないまま授業時間を終える子がいる、そんな“普通の学校”での風景が、ここにはなかった。その筆者の感想に、久保氏が答える。
「みんなが発言できる時間を十分に取るという意味でも少人数での授業をやっています。発言するのを待ってもらえたり、発言のチャンスが何回もあるような環境づくりを意識しています。探究する学びの1つのプロセスであるディスカッションをやりやすくする仕掛けです」
急遽TCSを創立することになったわけ
TCSが開校したのは、2004年8月30日のことだった。久保氏がTCSの創立を決断したのは、その直前といってもいい5月のことである。この年の4月に関西のフリースクールが東京校を開校したものの、事情があって夏前に休校することになった。
すでに在籍していた3人の子どもたちは、行く場所を失ってしまった。その休校を決めたフリースクールの東京開校準備を初期のころに手伝った縁で、すでに関係がなくなっていたにもかかわらず、対応の相談が久保氏のところに持ちこまれたのだ。
久保氏は、その3人の子どもたちを受け入れることを決める。といっても、閉校を決めたフリースクールを引き継ぐつもりはなかった。それ以前から、久保氏は自分の学校をつくる準備を進めていた。その学校の開校を早めて、行き場を失いかねない3人の子を受け入れることにしたのだ。
開校するにも、校舎がなければ始まらない。校庭の代わりになる公園や図書館など利用できる公的施設が近くにあり、何より3人の子どもたちが通える場所にあることが条件だった。当然、予算的にも限度はある。あちこち探して、ようやく見つけたのが東京の東高円寺にあった物件だった。そこと賃貸契約を結ぶにあたって問題になったのが、借りる主体、つまり開校する学校の運営主体だった。
「学校の運営体として、個人か会社、そしてNPOという3つを考えました。今は一般社団法人という選択もありますが、当時は一般的ではありませんでした。建物を借りるのに、個人では相手にされない、会社だと警戒されてしまうのが現実でした。しかし、NPOだと相手も話を聞いてくれる。学校をつくるといっても、公教育に対抗する気はなくて、最終的には公教育とも仲よく提案していける存在を目指していますから、NPOなら公教育とも話せる関係になりやすいと考え、NPOでやっていくことにしました」
設立してから数年して、認定NPOとなる。理由は、認定NPOのほうがより高い税制優遇が適用されるからだ。寄付してもらうにしても、認定NPOのほうが寄付者の受けられる優遇は大きい。それだけに基準審査は厳しくなるが、こちらを選択した。NPOの中でも認定NPOの数は、まだまだ少ない時代のことである。
最初の校舎についての印象を、20周年記念イベントで登壇した保護者の一人は「見学に行って、建物を見て、子どもを入学させるのをやめようと思いました」と語っていた。「畳もあるような部屋でしたからね」と、久保氏も笑う。学校らしからぬ建物だったようだ。しかし、その保護者は「やめようと思いましたが、学校方針についての話を聞いて、『ここしかない』と決めました」と語ってもいた。
開校までは、ある意味ドタバタだったといえるが、前述したように、以前から開校について久保氏は準備を進めていた。学校をつくるというのは、それまでの久保氏の経験から導きだされてきたことでもあったからだ。
「大学を卒業して入社した企業に13年間勤めましたが、そのうち6年半は人事を担当して、新卒者の採用とか研修もやりました。そこで感じていたのが、一流といわれる大学を卒業してたしかに頭はいいけれど、自由な思考ができない。そういう若者が多いことが気になっていました。その根本的な原因は学校教育にあるのではと、考えるようになりました。ずっと日本の教育がダメだったわけではなくて、ある時代においては成功モデルだったはずですが、時代が変わってきて、合わなくなってきている部分が目立ちはじめているのではと思っていました」
基本理念「自和自和」の意味するところ
TCSは、「自和自和」という基本理念を掲げている。同校の学校案内には、それを次のように説明している。久保氏が考える教育のあり方である。
「『自和自和(JIWAJIWA)』とは、『自分らしさを活かし、人や社会や自然との和(つながり)を楽しみ、ともに学び着実に成長する』という意味を表すことばです」
小学校では2020年度、中学校では2021年度から完全実施となっている現学習指導要領の「基本的な考え方」について、文部科学省のホームページは「自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」を育成すると説明している。
その背景には、今後の社会を「予測できない未来」だとし、「社会の変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、一人一人が自らの可能性を最大限に発揮し、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していくことが重要である」(中央教育審議会〈中教審〉教育課程企画特別部会資料 2015年11月)という考えがあるからだ。
中教審も文科省も「自分で考えられない子どもたち」ではなく「自分で考える子どもたち」の成長を支援しようとしている。それは、久保氏の考えに通じるものがある。
こうした方針が、現行の学習指導要領で初めて打ち出されたわけではない。文科省のホームページは、1996年の中央教育審議会(中教審)答申(21世紀を展望したわが国と教育の在り方について〈第一次答申〉)において提唱され、この考え方に立って2002年4月から順次実施されている学習指導要領から「知識や技能を単に教え込むことに偏りがちな教育から[生きる力]を育成する教育へとその基調転換」してきたと説明している。
2002年度から実施された学習指導要領は、いわゆる「ゆとり教育」の学習指導要領として知られている。しかし学力低下につながるとの大攻撃を受けることになり、あえなく実施前から「教え込む教育」に方向転換させられた。そして、「教え込む」教育が学校現場では強まっていく。「自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し」とうたっている現行の学習指導要領での学校教育も、掲げた「理想」の達成は難しく、ますます「自由な思考ができない若者」を増やしている。
久保氏と文科省は同じような問題認識に立っていた。違ったのは、文科省はつまずいてしまっているが、久保氏はTCSを創立して、「理想」を実践しているところだろうか。
開校から20年のあいだ、ずっと無報酬
といっても、学校経営は簡単ではない。まずは経済的負担が大きい。校舎となる建物を借りるにも、もちろん賃貸料を払わなければならない。学校教育法で認められた学校であれば国や自治体からの補助が出るが、そうでなければ「自前」でやるしかない。
「学校を始めるにあたって運営費を計算すると、どうしても毎年200万円くらいの赤字になる計算でした。その分は、私が負担することにしました。3年で経営を軌道に乗せ、それまでの600万は負担しようと決めました。実際には年間180万円くらいの持ち出しでした」
ただし実際は、4年目でも黒字というわけにはいかなかった。TCSはNPOなので、会社でいえば株主にあたる会員を集めての総会、いわば株主総会を開かなければならない。そこで4年目の経営計画を示したのだが、やはり年間100万円の赤字になるというものだった。
それに対して、会員である保護者から声が上がった。「ちゃんとした教育を実施していて、お金の使い方も健全にもかかわらず、赤字というのはおかしい」というのだ。それで経営責任が追及されたのかといえば、そうではない。
保護者からは、「赤字なのは単純に運営にかかる費用と学費が合っていないからで、学費を値上げすべきだ」という声が上がったのだ。それまで年間72万円だった学費を約100万円にすることが決まり、それで赤字にならない経営計画になった。値上げを保護者から要求するのも珍しい話だが、それだけTCSでの学びが評価されているということでもある。
ちなみに、久保氏は開校から20年のあいだ、ずっと無報酬でやってきている。別の会社も経営しており、自分の生活はそちらで賄っているからだという。「利益は学校改善やスタッフの賃金に使いたい」というのが久保氏の考えだ。
TCSを開校するとき、生徒数が18人になれば経営はトントンになるというのが久保氏の計算だった。その生徒数も、現在は50人に増えている。それなら久保氏が報酬をもらえるほどの収支になっているのではないだろうか。それを訊ねると、彼は笑いながら答えた。
「開校から10年目で生徒数も増えて手狭になったので、現在の中野区に引っ越しました。家賃もドーンと高くなりましたし、スタッフの数も増えました。それで収支は、ほぼトントンのままです」
TCSの教育は、久保氏だけが引っ張っているわけではない。久保氏の現在の名刺には、肩書として「創立者」とだけ記されている。理事でも理事長でも、そして校長でも同校では「教員スタッフ」と呼んでいる「教員」でもない。
初代校長・市川力氏との出会い
TCSの初代校長を務めたのは市川力氏である。その出会いも偶然だった。TCSが開校する2カ月前の6月のことで、久保氏が当時は小学年生だった息子と参加した山梨での田んぼ体験でのことだった。そこに、市川氏もたまたま参加していたのだ。
市川氏は教員ではなかったが、学習塾経営の経験があるなど教育へのかかわりは深い人物である。ただし、会った当時、そんな市川さんについての知識は、久保氏には皆無だった。
「そのときは、私の息子も一緒でした。もともと喋る子だった息子が、小学校に入ると無口になっていました。その息子が、市川に懐いて、楽しそうに堰を切ったように喋っている。市川という人は、こんなにいきいき子ども喋らせる人なのだと興味がわいた」
そこで久保氏は、開校目前のTCSの構想を市川氏に話した。しかし市川氏の反応は、「そうですか。がんばってください」と社交辞令的なものでしかなかった。
山梨から戻ってきた久保氏は市川氏の著書を読み、「実践をやってきただけでなく理論もしっかりしている」と確信する。そこで、「アドバイザーとして関わってほしい。校舎も決まったので見にきませんか」という手紙を書いた。それに応じて、市川氏は東高円寺の校舎にやってきて、そのまま校長就任も引き受けることになる。
かといって、TCSの教育内容を久保氏が市川氏に丸投げしたわけではない。TCSの授業の柱ともいえる存在が「探究テーマ」だが、「教科という切り口ではなく、私たちの人生そのものを探究する学びです。現地に赴く。人と出会う。手足を動かす。本物に触れる。徹底的にやり遂げる」と、学校案内には説明されている。
そうした中から、「学ぶことの意味を感じ、学ぶことの楽しさを満喫」することを目指している。それを子どもたちが身に付けつつあるのは、冒頭に紹介した夏休み中の研究成果にもよく表れている。
この探究テーマのカリキュラムをつくるのに当たって、久保氏と市川氏は侃々諤々の議論を闘わせた。探究テーマだけでなく、TCSのすべてのカリキュラムの基本が、2人の激論の中から生まれてきたものだ。2人の論争はあまりにも激しかったため、スタッフには2人の仲は悪いと思われているそうだ。それほど2人は真剣にTCSでの学びを思考し、つくりあげてきた。
とはいえ、2人がつくった学びの型を、現在の教員スタッフに押しつけているわけではない。久保氏は、「ある程度の型のようなものはありますが、やることの7割以上はスタッフ全員のディスカッションで決めていきます」という。子どもたちの成長は型にはまったものではないし、個々でも違う。だからTCSもスタッフも、それに対応していくために、新たな学びのかたちを生みだしていく必要がある。久保氏や市川氏に劣らない情熱をもって、TCSのスタッフも取り組んでいる。TCSでは、子どもたちもスタッフも日々学び、成長していることになる。
久保氏は現在、2校目の開校を計画している。第2のTCS、または分校のようなものをつくろうというのではない。久保氏は言った。
「TCSの考え方・やり方に、すべての子どもたちが合うわけではありません。TCSに合わない子たちでも学べる場をつくれたらいいなと考えています」
TCSには、いわゆる不登校だった子もいる。いろいろな理由で、既存の学校に合わなかった子もいる。既存の学校も含めて、いろいろな子に合う、いろいろな学びの場があれば、子どもたちの可能性はもっと広がるはずだ。
(写真:すべてTCS提供)