探究学習の中で感じていた「打たれ弱さ」
昨今、子どもたちの「自己肯定感の低さ」や「心の折れやすさ」などが教育現場で課題視されているが、青翔開智中学校・高等学校校長の織田澤博樹氏も以前から生徒たちの「打たれ弱さ」や「引っ込み思案なところ」が気になっていた。
例えば、同校は探究学習に注力していることもあり(青翔開智「デザイン思考」の導入成果が凄かった)、グループやクラス単位で活動する機会が多いが、その中で友達と意見が合わなかったりすると、気持ちが沈んでしまう生徒がいるのだという。
「土地柄もあるのか、そもそも本校には他者を尊重しすぎる受け身な子が多いと感じます。その中でも、気にしすぎてしまうタイプの子が落ち込んでしまうのかもしれません。生徒たちがパッシブ(受動的)とアグレッシブ(攻撃的)の中間であるアサーティブ(※1)な状態になるにはどうしたらいいのか、といったことも考えるようになりました」と、織田澤氏は話す。
※1 自他を尊重した自己表現や自己主張ができる状態を指す
そんな中、能楽師・世阿弥の「目前心後(もくぜんしんご)」(目を前に見て、心を後ろに置け)という哲学に触れる機会があった。いわゆる「離見の見(りけんのけん)」の教えだが、織田澤氏はこう解釈したという。
「これはしなやかな心で俯瞰して自分を見ることで、現代風にいえばレジリエンス(※2)とメタ認知(※3)が備わった状態であると感じたのです。また、この2つのスキルがあれば、生徒たちはアサーティブな状態に身を置けるのではと思いました」
※2 元々は「弾性」を表す物理用語だが、近年では「困難な状況でも立ち直れる力」といった意味合いで心理学やビジネスなど幅広い領域で用いられる
※3 心理学用語。自分の認知活動を客観的に捉えていること
この課題に学校で取り組むとすれば「道徳だ」と考えていた矢先の2020年春、力久聖也氏が同校に参画した。
力久氏は大学院時代、児童生徒の発達課題を踏まえた支援への実践的・論理的研究を行っており、応用行動分析学に基づくPBIS(※4)というアプローチを用いて「安心できる環境を形成するための実践」というテーマに取り組んでいた。「まずは先生の声がけなどで子どもたちが教室に居場所を感じられるような枠組みをつくり、最終的には子どもたちだけでその環境を保てるようにしていく。そんな実践研究です」と、力久氏は説明する。
※4 Positive Behavioral Interventions and Supports(ポジティブな行動を生み出すための介入と支援)。米国で開発された生徒指導プログラムで、すべての児童生徒が学業や行動において最大限に成果を出せるよう支援し、他者の行動に関する認識を強化させることを目的とする
力久氏と話す中で、織田澤氏は「レジリエンスとメタ認知を獲得するには、PBISのように安心してポジティブに意見が言い合える環境づくりが必要だ」と思ったという。そこで、これらの概念を盛り込んだ、科学的に有意な道徳のカリキュラム設計を力久氏に依頼。命を受けた力久氏は、自身が在籍していた立命館大学大学院教職研究科の荒木寿友教授の力も借りながら、1年かけて道徳をリニューアルした。
とはいえ、もちろん学習指導要領で挙げられている「自分自身」「人との関わり」「集団や社会との関わり」「生命や自然、崇高なものとの関わり」という4つの視点と22の内容項目は網羅した設計だ。そのうえで、心理学や脳科学に基づいたレジリエンス教育のほか、体験や交流事業、障害者や差別に関する人権問題を学ぶダイバーシティー教育などを盛り込み構成した。
教科書も、ただ読んで内容に沿って進める使い方はしない。「生徒たちの感情が動くトピックを取り出し、それを入り口にさらに理解が深まるような問いかけをして、別の問題も考えていく形を取りたい」と力久氏は話す。
ICTを活用した「PBIS」の授業とは?
実際、どのような授業を行っているのか。最初に始めたのはPBIS、ポジティブなクラス環境づくりだ。具体的にはまずアンケートフォームを生徒たちに配信し、望ましいと思う「授業中の行動」「授業外の行動」「仲間を大切にする行動」「自分を大切にする行動」についてそれぞれ考え、各自のiPadを使って書き込んでもらった。
そしてそれらを集約し、「Mentimeter」という投票ツールを使った投票により、学年共通の行動目標を決めたという。併せて、個人の行動目標も各自で決めさせた。
余談だが、この活動で気になった点があるという。「大学院での実践結果と同様、仲間を大切にする行動に比べ、自分を大切にする行動があまり挙がらなかった。ここは日本全体の課題なのかもしれません」と、力久氏は話す。
各目標は、毎週道徳の時間に振り返る。各自の「行動振り返りシート」のABCD欄に、自身ができていると思えばチェックを入れ、できていなければチェックしないといった形で自己評価をする。今後はその評価データを使い、行動の推移をグラフなどで可視化し、生徒たちに発信していく予定だ。
また、「仲間のよい行動紹介」という欄に記載があった場合は、名前が挙がった本人に「ある生徒があなたの行動に感謝していたよ」とフィードバックしていくという。こうした取り組みにより、「生徒たちが相互によい行動を促していく仕組みをつくりたい」と力久氏は話す。
生徒にも伝えているが、行動振り返りシートは担任や学年団の教員のみ閲覧できるようにしている。各生徒の頑張りや生徒同士の関係性などがわかるため、面談や生徒とのコミュニケーションに生かす狙いがある。ただし、競争が生まれることを防ぐため、生徒同士では閲覧できないようにしているそうだ。
すでにおわかりのとおり、道徳の授業はICTがフル活用されている。「基本的にGoogle Classroomを使い、ワークシートはPDFで配信。紙はほとんど使っていません」と、力久氏。同校は2014年の開校時から「1人1台端末」が実現しているが、ICT活用が日常の一部になっている様子がうかがえた。
体系的に学べる「レジリエンス教育」
目玉のレジリエンス教育も始まっている。科目の目標の1つに「レジリエンス教育を通してメタ認知的な視点を身に付け、適切な自己受容・他者受容につなげ自己肯定感を育む」ことを明確に掲げ、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲと学年ごとに内容を分けて3年間で体系的に学べる形にしている。
「学校生活や日常生活で感じている気持ちや考えが何によって形成されているのか。そして自分にも他者にも考え方のクセがあり、その中でどうポジティブに捉え行動していくか、いかに強みを生かして将来を決めていくか。そういったことを、自分・他者・未来という視点で段階的に考えを深めていきたい。『自己肯定感』や『マインドセット』など言葉の定義から科学的な理論まで教えますが、わかりやすさを心がけています」(力久氏)
例えば、導入ではレジリエンスについて「ある状況に対しての反応の仕方を自己コントロールし、困難や逆境からしなやかに立ち直る力」と定義し、ストレスを消失させる力ではなく「自分の人生は自分で変えることができる姿勢とスキル」と説明するが、一方通行の講義で終わらないようにしている。
生徒たちに「レジリエンスが強い人ってどんな人? 理由は?」と問いかける。すると、漫画の主人公やスポーツ選手、友達、自分自身などの名前が挙がり、「強い敵に立ち向かうから」「先生に当てられたときに頑張って説明しようとしていたから」など多彩な理由が返ってくるという。そしてレジリエンスを短い言葉とイラストで表現させるなど、生徒が自分なりに考えて説明できるよう工夫しているそうだ。
ときにはアクティビティーも取り入れる。ネガティブな感情が起きたときのアプローチ法を考えていく際には、科学的に有効だといわれている音楽鑑賞や日記などの方法を紹介するだけでなく、みんなで呼吸法やリズム運動なども行った。とくに不安感や不眠、緊張時に効果があるとされる「漸進的筋弛緩法」は、アニメに出てくる技のような名称であるためか食いつきがよく、盛り上がったという。
「生徒たちが日頃感じるストレスやモヤモヤする感情を科学的根拠に基づき説明しているからだと思いますが、皆うなずきながら集中して聞いてくれています」と、力久氏は手応えを感じている。織田澤氏もこう期待する。
「レジリエンスとメタ認知は一生使えるスキルです。さらにPBISの経験によって自分の力で環境をポジティブに変えていけるようになれば生徒たちはどこでもやっていけるでしょう。この道徳実践は本校の建学の精神の1つである『共成』(協調と自律)に通じると思い、実践を全学的に広めるためにも今年度から風紀委員会を『共成委員会』にリニューアルしました。この顧問も力久先生にお願いしており、『他者を受容し安心安全な青翔開智を目指す』という目的に沿った企画をやっていけたらと思っています」
力久氏も、「授業内容がイベント的なものにならないよう、共成委員会と連携して『生徒がつくる道徳の授業』なども実施していきたい」と、展望を語る。さらにもう1つ、今年度中に試験的に取り組んでいきたいことがあるという。
「ハワイなど海外で多く導入されている『Choose Love Movement』という実践があります。『勇気・感謝・ゆるし・思いやりを持って日々の選択を行うことで愛ある人を育て、平和な社会を築こうとする』という考え方に基づく実践なのですが、現在これを応用し、レジリエンス教育やPBISも含んだ包括的な『愛のプログラム』をつくっています。こちらも立命館大学大学院教職研究科の菱田準子教授に協力いただいていますが、中高一貫校の道徳でカリキュラムとして導入するのは、おそらく本校が日本初になります」(力久氏)
また新たな展開があるようで楽しみだが、力久氏はいずれも科学的根拠を大事にしており、アンケートや振り返りを通じてさまざまなデータを取っている。「数字は長期的に見ていきたい」と、力久氏。今後生徒たちの変化がエビデンスに基づく形でわかるようになれば、日本の子どもたちの「自己肯定感」という課題解決へのヒントも見えてくるかもしれない。
(文:編集チーム 佐藤ちひろ、写真と資料はすべて青翔開智中学校・高等学校提供)