個別最適な学びが求められている理由

自由進度学習という言葉をご存じでしょうか。これは、その名のとおり、授業の進度を学習者が自分で自由に決められる自己調整学習の1つの手法です。

一般的な学校の授業は、学ぶ内容もペースも一律に決められており、理解ができなくてもどんどん進んでいくし、反対に理解が早い子もすでにわかっている子も静かに先生の話を聞いていなくてはなりません。「平均に合わせた結果、誰にもあっていない授業になっている」とも言われます。

一方、自由進度学習は、教科書の内容をそれぞれの子どものペースで学習していくので、1時間で6時間分の学習を進めることもできれば、3時間分の学習を6時間かけてわかるまで繰り返し学ぶこともできます。

一斉授業が中心の公教育では、なかなか馴染みにくいと思われるかもしれませんが、実は、「既にいくつかの地方自治体や学校においては、教育課程の時程上の工夫を行い学校に裁量の余地のある時間を生み出したり、いわゆる単元内自由進度学習を取り入れたりする中で子供が自らの興味・関心等に応じて主体的に学ぶことができる時間を設ける取組が行われているほか、午前と午後といった区切りで学びのスタイルを変え、子供の実態にあった教育活動を実践する取組も行われるなど、様々な創意工夫ある実践が生み出されてきている」(文部科学省「子供たちが主体的に学べる多様な学びの実現に向けた検討タスクフォース 論点整理より」)のです。

文科省は、時代の変化に合わせて必要な資質を育むためにも、ICTを最大限活用し、これまで以上に「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実し、カリキュラム・マネジメントの取り組みをいっそう進めると言っています。

「個別最適な学び」とは、特別な支援が必要な子どもたちも含め、一人ひとりの理解状況や能力、適性に合わせて個別に最適化された学びを行うことを指す言葉ですが、自由進度学習は、これを実現するうえで注目すべき一つの手法と言ってもいいでしょう。

中曽根陽子(なかそね・ようこ)
教育ジャーナリスト/マザークエスト代表
小学館を出産で退職後、女性のネットワークを生かした編集企画会社を発足。「お母さんと子ども達の笑顔のために」をコンセプトに数多くの書籍をプロデュース。その後、数少ないお母さん目線に立つ教育ジャーナリストとして紙媒体からWeb連載まで幅広く執筆。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエーティブな力を育てる探究型の学びへのシフトを提唱。「子育ては人材育成のプロジェクト」であり、そのキーマンであるお母さんが幸せな子育てを探究する学びの場「マザークエスト」も運営している。著書に『1歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)、『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)などがある
(写真:中曽根氏提供)

この言葉が注目されるきっかけになったのは、新型コロナによる一斉休校でした。子どもたちの学びを止めないために、それ以前からあったGIGAスクール構想が一気に進み、1人1台の情報端末が配られ、ICTを活用した「個別最適化学習」が可能になりました。それに伴って、さまざまなICT教材や学習システム、教育クラウドが学校現場でも用いられるようになってきています。

教員の過重労働や教員不足が問題になっている中で、個別に最適化された学びを実現するためには、ICTの活用は欠かせません。ただ、教育現場でICTを効果的に活用するには、教員の役割も重要です。

そこで今回は、ICT教材の1つ「eboard」を生み出したNPO法人eboard代表理事の中村孝一氏と、自由進度学習を公教育の現場でも実践してきたHILLOCK初等部の蓑手章吾氏に話を聞きました。

「いつでも、どこでも、誰でも、無料で」学びを支えるICT教材

eboardは、「誰でも、どんな環境にあっても学ぶことをあきらめてほしくない」という思いから、中村さんが脱サラして2013年に立ち上げたNPO法人eboardが開発・運営する学習教材です。

日本におけるオンラインの映像授業の先駆けで、現在1万1000校以上で使われ、毎月20万〜30万人が利用しており、公立学校や個人は、無料で利用することができます。小中学校の学習指導要領に沿って作られており、小学1年生から中学3年生まで(現在高校分野も作成中)の学習内容が一通りカバーされています。

その特徴は、ネット環境があればどの端末からでもすぐに使えること。学び方や認知に凸凹がある子にも配慮した学習画面であること。一本平均7〜8分と短く、内容に集中できる講師の顔が見えないスタイルであること。字幕をつけていて、わかりやすいことなどが挙げられます。

実際公開されている動画を視聴すると、学校や塾の授業よりも、くだけた口調で親しみやすく、1つひとつていねいに解説されていました。学年や進度による制限がなく、どの学年の単元も好きな順序で学習できるのも特徴です。

小学1年生から中学3年生まで(現在高校分野も作成中)の学習内容を一通り学ぶことができる「eboard」
(写真:eboardホームページより)

ICT教材の中には、AIを活用して、受講者の学習状況に合わせて、自動的に次の問題を出してくるリコメンド機能を備えているものもありますが、eboardではあえてつけていません。

その理由を、「学びをあきらめないということが、われわれが大切にしているコンセプトですが、それは自ら学ぶ力があるという状態を指しています。逆にどんなに偏差値が高くても、人から言われないとできないなら、学習の能力としては低い状態です。自分からつかみにいくとか、自分のモチベーションをコントロールすることが大事なので、自由度を高くして、学習者がやりたいことをやりたい時にやれるようにしているのです」と中村さんは話します。

自由進度学習は「子ども自身がやることを決めること」が大事

以前、公立小学校でeboardを導入し、現在はオルタナティブスクール、HILLOCK初等部の自由進度学習の時間に使用している蓑手さんは、「eboardを使うことで、大人も子どもも学び方の概念が変わる」といいます。どういうことでしょう。

HILLOCKでも、最初は「習っていないからできない」とか、「難しいものはやらない」という子は多いそうですが、「習っていないことを獲得するために学ぶのだし、評価されるために勉強するのではない」ということを伝えていくうちに、学びに向かう姿勢が変わっていき、できないことにも失敗を恐れずどんどん挑戦をするようになるのだとか。

これは、「自分はやればできる!」と思うグロースマインドセットになったということなのでしょう。自由進度学習を進めるうえでは、こうした指導者の姿勢がとても大切なのです。

HILLOCKでは、子どもたちが自分で目当てを決めて、そこに向かって何をするかを自分で選びます。わかるところはスキップして先に進んでもいいし、大事だと思ったら戻ってもいい。さらに、映像授業とデジタルドリルを組み合わせ、授業で学んだことをどれだけ理解したかを確認しながら進めていくこともできる。

子どもたちが失敗を恐れずに挑戦していくことができる仕組みが、eboardの中にはあるようです。

「自分はいつでも、どこでも好きなタイミングで学習ができる自由度が好きでeboardを使っています。私自身はいつまでにこれだけをやらなければならないとは考えていませんが、自由進度学習を進めるうえでも、学習指導要領の範囲がコンテンツとしてそろっているので、それが保護者にとっても安心感につながっている」と蓑手さん。

アカウントを取ればそれぞれの学習記録が残り、誰がどこをどのくらいの時間をかけて進めているかを把握することもできます。

※グロースマインドセットとは、「自分の才能や能力は、経験や努力によって向上できる」という考え方のこと。反対に「自分の才能や能力は、努力をしても向上しない」という固定的な考え方をフィックスマインドセットという。アメリカ、スタンフォード大学のキャロルデュエック教授の研究によって能力に対する考え方が行動に影響することがわかっている

自由進度学習のプロセスは、探究学習にもつながる

学校の授業では、30〜40人相手に学習を進めなくてはいけないので1つのことを教えるのにどうしても時間がかかりますが、このようなICT教材を使うことで、教科学習の時間を短縮することができ、空いた時間を協働的な学びや探究的学びに使うことができます。

以前紹介したヒミツキチ森学園でもeboardを使っていますが、連携をしている葉山町の教育委員会もその様子を視察して「自由進度で子どもたちが自分で学習計画を立て、振り返りながら次の学習につなげていくプロセスは、公教育の探究学習を進めていくうえでも取り入れたい」と言っていました。

探究的な学びが重要視される中、それがなかなか簡単ではない現状を以前書きましたが、まさに自由進度で学ぶこと自体が、自ら学ぶ探究の入り口になっているのです。

中村さんも、「教科学習と探究学習を区切るのではなく、つながりの観点で捉えてほしい。eboardのコンテンツを探究の素材として使ってほしい」と言います。2人の話を聞いていて、大事なのは子どもたちの学びに向かう姿勢なのだと改めて気づきました。

教えてもらわなければわからないし、できるようにならないという受け身の姿勢と、わからないからこそ、知りたいと思い自分からつかみにいく姿勢。どちらのほうが学びが深まるかは自明の理です。

とはいえ、一斉授業が主流の公教育の現場で自由進度学習が広がっていくには、蓑手さんの言うように、学びに対する考え方を180度変えていくことが必要そうです。

どんな環境でも、学びのチャンスを届けたい

一方、今問題になっている不登校の児童生徒への適応は、すぐにでもできるのではないかと思いました。実際、特別支援級や通級の現場で使われている事例も多いそうです。

また、日本にはホームスクーリングを支えるプログラムが少ないと言われるけれど、不登校や行き渋りで授業を受けることができない子どもたちにも、ぜひ知ってほしいツールです。

学習記録が残らない形でなら、家庭での個人利用について無料で利用でき、さらに塾や習い事に通うのが経済的に難しいご家庭、発達障害や認知特性などからほかの教材での学習が困難なお子さんに限り、学習記録が残るアカウントも発行するという手厚さ。

これも、「誰でも、どんな環境にあっても学ぶことをあきらめてほしくない」という中村さんらの思いがあるからです。

「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実という文科省の資料には、2030年の社会と育成を目指す資質・能力について、以下のように書かれています。

社会の変化は加速度を増し、複雑で予測困難となってきており、社会の変化にいかに対処していくかという受け身の観点に立つのであれば、難しい時代になる。

しかし、このような時代だからこそ、子供たちは、変化を前向きに受け止め、現在では思いもつかない新しい未来の姿を構想し実現したりしていくことができる。(途中略)

 

そのような主体性を育むためには、与えられることを待つのではなく、自ら学習する自己調整学習を学校教育の中で実現していくことも必要ではないでしょうか。

ICT教材や自由進度学習について、いろいろな意見もあると思いますが、子どもたちの生きる力を育てるためには、どのような学び方がいいのかという視点で、それぞれの現場でも考えてもらえたらと思います。

(注記のない写真:つむぎ / PIXTA)