実際、教員も他のクラス運営に触れることで新しい発見があり、学び続けるきっかけになりました。年度の終わりになると、教員たちからの反発も減り、プラスな反応が増えていましたね。数年間で学校全体の様子もだいぶ落ち着き、楽しそうに登校する児童も増えました。有言実行で、子どものためになることをしっかりとやりきる校長の姿には、胸を打たれました」
次なる赴任校で感じた違和感と、不遇な“担任外し”
次の赴任校が決まったとき、若村さんの頭をよぎったのは「次の校長も、こんな人だろうか?」ということだった。ICT活用の後押しや、児童の学校生活の質向上など、校長の存在が学校運営に大きく影響することを身をもって感じていただけに、大きな不安があった。
そして、その不安は的中することになる。次の学校に着任した時期は新型コロナウイルスが猛威をふるっており、感染状況を鑑みて一斉休校や行事の中止・変更など手探りで学校やクラスを運営しなければならなかった。
「コロナ禍は各学校で少しずつ方針の違いが出ていました。そこで私は、運動会を実施した学校の事例を参考に資料を作成し、『こうすればうちも運動会を開催できるのでは』と校長に提案したのです。結果、その年は2学年のみの運動会を実施。競技種目の選定は、下の学年を考慮しながら上の学年が決めるなど、子どもたち主体の体制も工夫して、無事にやりとげることができました」
しかし、そんな児童主体の運動会も、コロナ禍が収束するとあっさり従来の運営に戻ってしまった。そして若村さんは校長から、「算数少人数(※)」担当への変更を言い渡される。「担任を持つこと」に何よりやりがいを感じていると公言してきたにもかかわらず、いわゆる「担任外し」にあったのだ。
(※)少人数での指導が効果的とされる算数の授業時のみ、児童を通常のクラスよりも少ない人数に分けて個別に指導する
「当時の校長はICTの導入にも消極的でした。私の資料やプレゼンが及ばなかった点もあったのでしょうが、とくに運動会の事例など、保護者の期待に忖度しすぎるあまり、前任校に比べて子どものためになりそうな変化も起こしにくい環境でした。その中で、私がある意味“干された”のは当然だったのかもしれません」
若村さんはその日に退職の意向を固め、家族にも理解を得たうえで臨任教員の道を選んだ。
校長への「逆質問」で、自分の教育観とのギャップを測る
若村さんの勤務エリアには、臨任教員としての勤務を望む人が募集のある学校を検索して、学校とコンタクトをとれるシステムがある。若村さんもこれを活用し、産休代替として勤務できる小学校を探してきた。校務分掌は通常の教員と変わらず、担任はもちろん、希望して学年主任を任された学校もあったという。待遇面で正規に及ばない部分はあるものの、業務内容で差がつくことはなかったようだ。
面接では「担任を持ちたい」という希望を伝えるだけでなく、若村さんはこれまでの「学校は校長次第で変わる」という経験を踏まえて、あることを実施しているそうだ。
「校長先生に、『どのような学校にしていきたいか』というビジョンや考えを直接聞くようにしています。とくに『校内研究』の内容は学校の方針を推察しやすいので、自分と学校の教育観が合っているかどうかのいい判断材料になります」
ほかにも、学校が現代化されているかの指標の1つとして「タブレットの活用状況」を確認したり、学校側が「こういうことができますか」「この実践をしてくれますか」と既存のやり方に過度にはめようとしてこないかなどを確認しており、若村さんは「こちらも学校を面接しているような感覚です」と話す。