これが給特法廃止論でも期待されている、業務削減等の効果の1つだ。同時に、校長は時間外に本当に必要な業務なのかどうか細かく精査、関与するようになる可能性もある。これは、前述の時間外業務を放任、追認してしまう姿勢とは真逆に進んだ場合のことを想定している。
例えば、「〇〇先生、最近時間外業務が多いけど、必要性の高いことかしら? 添削やコメント書きに30分以上もかける必要なんてないんじゃない? 授業準備だって、もう少し要領よく進められるはずよ。勤務時間内もどんな段取りで仕事を進めているのか、ちょっと説明してもらえない?」などと言ってくる校長も出てくるだろう。
こういうのが業務の精選や働き方改革につながってくる、というプラスの影響もあるかもしれないが、指導される側の教員のメンタルが落ち込むリスクもある。現状でも、初任者が指導役の教員(元校長だったりする)から過度に指導やプレッシャーを受けて、精神疾患を患ったり、離職したりするケースも報告されている。
印象論とはなるが、私がヒアリングする限りでは、教員の中には干渉されるのを嫌う人、細かな管理をされるのは嫌、任せてほしいと言う人は多い。
実際、目の前の子どもたちの状況をいちばん知っているのは、授業や学級担任をしている教員なのだから、どんな授業準備が必要かとか、どんなフィードバックを児童生徒にしたらよいのかなどは、校長ないし副校長・教頭が逐一指示をするよりも、個々の教員の裁量や自主性に任せたほうがよいケースも多いだろう。教職の専門性とはそういうところにあると思う。
また、そもそも教員が数十人いる職場で、校長も副校長・教頭も1人ずつしかいない場合も多い中、管理職の時間、労力だって有限だ。細かいことに関与する(マイクロ・マネジメントと呼ばれる)暇があれば、別のことに振り向けたほうがよい。
もちろん、教員があまりにも自分勝手になったり、他人の助言に耳を貸さないといった姿勢になったりするのは問題だが、教員には、授業や子どものケアについて創意工夫しながら、実践を通じてリフレクション(省察)し、改善していく姿勢が大切だ。そうした自律性や専門性を重視する意見が、中教審の議論では多かった。
ただし、こうした見立てには給特法廃止論からも有効な再反論がある。個々の教員の裁量や自由さを大事にすることと、残業代を出すことは、必ずしも両立しえないこととは言えない、というものだ。
校長は放置・放任でもなく、時間外業務を抑制しつつ業務の見直しなどを働きかけることは可能だし、程度の差はあれ、民間企業などでもマネージャー職はそのあたりのバランスに苦慮しながら実践している。
また、教員のモチベーションやメンタルヘルスを悪くするほどの校長の関わりが出てくるとすれば、それは校長の管理能力や適格性の問題として別途対応すべきであり(処分や研修等)、残業代を出さないほうがよい理由にはならない、との見方もあろう。

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー。主な著書に『校長先生、教頭先生、そのお悩み解決できます!』『先生を、死なせない。』(ともに教育開発研究所)、『教師崩壊』『教師と学校の失敗学』(ともにPHP)、『学校をおもしろくする思考法』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)
学校以外の業界にも視野を広げると、現行制度でも、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度が典型例だが、細かな指揮命令を受けず、個々の従業員の判断や自律性にゆだねたほうがよい仕事には、時間外勤務手当の制度は外されている(ただし深夜業の制限などの健康確保策は必要だし、不十分さが問題視されることも多い)。