新しい帳簿では、通帳の残高との差異こそ少しマシになっていたが、日付の記入がないなど、やはり不信感があった。そこで、こちらもすべての支出を洗い出して整理してみると、領収書がない支出がいくつも出てきたという。さらに、先にPTA役員にまとまった額の現金を渡し、あとから使った分の領収書を受け取る、というずさんな処理を何年も続けていたこともわかった。最終的に判明したのは、過去5年間で約5万円の使途不明金だった。
「金額も中途半端ですし、本当に領収書の管理不足だったのか、実は不正使用があったのかまではわかりませんでした。でも、当然看過することはできないので、過去5年分のすべての帳簿を作り直し、問題点を洗い出して保護者に報告と謝罪をしました。正直、保護者たちはあまり興味がないようでしたが、当然PTAからは非難されました」
本来ここで説明責任を果たすべきはずだった副校長は、不在にしていた。パワハラなど複数の問題で内部から追及を受け、年度の最後まで休職したあげく、その後退職したのだという。矢面に立つべき人が雲隠れし、問題にまったく関わっていなかった若林さんが後始末に奔走し、各所に頭を下げる羽目になったのだ。
「これで完全に心が折れました。教育とはそもそも『尻拭い』の要素が強いものですが、教え子や後輩、お世話になった先輩ならまだしも、悪意ある副校長の尻拭いにそこまでの時間を費やしたくありませんでした。副校長は退職しましたが、学校内には影響を色濃く受けているベテラン先生がまだ多くいるので、生徒と十分に向き合える環境ともいえません。何より、こうした状況では自分自身の成長が見込めないと思い、今年度限りで教員自体を退職することに決めました」
45歳で退職、給与や退職金に揺らぐも「もう耐えられない」
勤続年数がすでに20年超の若林さんは、あと5~10年働けば給与や退職金がさらに上がったはずだ。本人も「正直、そこは迷った」と言うが、生き生きと働けない環境でくすぶることに、もう耐えられなかったという。もう1年我慢して別の高校に異動することも考えたが、次の勤務校が必ずしも恵まれた環境とは限らないことを考えると、退職を踏み止まる理由にはならなかった。

「年齢的にも、教員を辞めるなら今がラストチャンスだと思いました。教員の経験とスキルを生かせる仕事がどれほどあるのかわかりませんが、50代、60代になってから仕事を探すとなると、なかなか採用されないと思うのです。45歳でもすでに厳しいでしょうが、もう辞め時だと思いました」
若林さんは自嘲気味に「たぶん、天職ではなかったと思うんです。教えるのもそんなに上手ではなかったと思いますし」と語る。しかし、前述のように、若林さんは熱意を持って生徒に向き合い、困っている生徒を救ってきた。いわゆる「教育困難校」での教育にやりがいを感じて20年以上一貫して取り組んできた人材が、一部の大人、しかも同じ教員に振り回されて教育界を去っていく現実を、私たちはどう受け止めるべきだろうか。
(文:高橋秀和、注記のない写真:Audtakorn / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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