最初は「当事者の声」を聞かず想像で作っていた

授業が始まり、教科書を開く。そこに書かれた文章を読む。何げない行為だと思うかもしれないが、ロービジョン(弱視)やディスレクシア(読み書き障害)など、文字や文章を「読む」ことに困難を抱えている子どももいる。そういった子どもたちでも読みやすいようにと開発されたのが、「UDデジタル教科書体」だ。

書体デザイナーとしてUDデジタル教科書体を手がけた、モリサワブランドコミュニケーション部広報宣伝課の高田裕美氏は、その背景ときっかけをこう語る。

UDデジタル教科書体の生みの親である高田裕美氏

「始まりは、鉄道会社からの依頼でした。電車内のモニター用に、お年寄りでも遠くからでも駅名を見間違えないようなUDフォントを作ってほしいという依頼だったのですが、『デザイナーの感覚だけでUDと称していいのだろうか』と思いました。そこで、ロービジョン研究の第一人者である慶応大学の中野泰志教授に相談させていただいたのです」

しかし、作ったフォントを見せたところ、中野氏はいいとも悪いとも言わず、「当事者の声は聞きましたか」と高田氏に尋ねた。

「その時、肝心の当事者の声を聞いていなかったことに気づきました。『お年寄りはこう見えているだろう』という想像で作っていたんです。それからは、中野教授のご紹介で、視覚障害のあるお子さんが通う特別支援学校や盲導犬の訓練所、触る絵本がある図書館など、さまざまな施設を訪ねて話を聞きました」

「これは学校では使えない」と言われた理由

その中で、ロービジョンの子が通う特別支援学校の教員やボランティアの人たちに「これは学校では使えませんね」と指摘されたという。

教科書に使われる一般的な教科書体は楷書がベースなので、筆の運びが強調されており線に強弱がある。ロービジョンの子どもにはその線の細い部分が見えにくいので、黒みが集まる部分だけが強調されてしまうという。一方、ゴシック体は教科書体や明朝体に比べて線の太さが均一で読みやすいが、文字の形状が手書き字形の教科書体と異なるので、「しんにょう」の形に戸惑ったり、「山」の画数が違って見えたりして混乱するそうだ。

「そのため、特別支援学校の先生たちは、学習指導要領に沿った形にゴシック体を手書きで修正し、文字や運筆を教えていました。私が進めていたUDフォントはゴシック体だったため、学校では使えないというわけです」

2008年に教科書バリアフリー法が施行され、全国で拡大教科書が配布されるようになったが、高田氏がUDフォントの開発を模索し始めた07年当時は高価な拡大教科書を購入する必要があった。そのため、ボランティアの人たちが、ロービジョンの子どもが読みやすく、かつ画数や運筆が覚えられるよう、手書きで拡大教科書を作っていたという。それでも見えにくいようで、子どもたちは教材に顔を近づけて勉強していた。

そんな教育現場の実態を目の当たりにした高田氏は、ロービジョンの子どもが読みやすい、拡大教科書向けのUDフォントを作ろうと決意。各教科書メーカーの教科書や書写を徹底的に調査・研究し、開発を進めていった。

「開発途中のUDフォントをディスレクシアのお子さんたちにも見てもらったところ、多くの方から見やすいとの感想をいただけました。また、視覚過敏のお子さんも、明朝体や教科書体のぐっと筆を押し付けたような部分が気になったり、はらいのとがった部分が自分に突き刺さるように感じたりすることもあるそうですが、開発中のUDフォントは、そういった発達障害のあるお子さんたちにもやさしく感じてもらえるのではと考えました」

「エビデンス」もある、読みやすく学びやすい文字とは?

当事者の声に耳を傾け、試行錯誤を重ねた高田氏。その間、在籍していたタイプバンクでは株式譲渡によるモリサワの子会社化など紆余曲折あったが、約8年もの開発期間を経てフォントが完成、ついに2016年にリリースされた。ICT教育やデジタル教科書を推進する動きが出始めたこと、実際に障害の有無を問わずデジタルデバイスでも読みやすいことなどから、「UDデジタル教科書体」と名付けられた。主に次のような特徴がある。

・従来の教科書体のような筆書きの楷書ではなく、硬筆やサインペンを意識し、手の動きを重視した教科書体

・書き方の方向や点、はらいの形状を保ちながら、ロービジョンやディスレクシアに配慮して太さの強弱を抑えている

・学習指導要領や書写の考え方に基づいた字体・字形を採用

・同じ部首や同系列の構成要素を持つ漢字の字形をルール化し、書体のデザインを統一

 

一般的なゴシック体と一般的な教科書体との違い
(画像:モリサワ提供)

読みやすいだけでなく、筆順や字形も理解しやすくなっている点が特徴だが、エビデンスが取れている点も大きな強みだ。ロービジョンの生徒や視覚支援学校の教員などの協力の下、前出の中野教授が行った調査では、4種類の教科書体で作成した国語と社会のサンプル教科書(紙)を見比べ、読書の際の見やすさを順位付けしてもらった結果、UDデジタル教科書体が最も見やすいと評価された。

慶応大学の中野教授による調査の結果
(図表:モリサワ提供)

大阪医科薬科大学LDセンターの奥村智人氏が、読み書きに困難がある26人の小学2〜6年生を対象にタブレット端末を使った調査でも、縦書き・横書きともに、4つの教科書体のうちUDデジタル教科書体が最も読みやすいという回答が得られた。また、33人の小学2~6年生を対象とした別の調査では、一般的な教科書体よりも読み速度が約9%改善。さらに、慣れ親しんでいる一般的な教科書体のほうが正答率が高くなる子はいたものの、平均正答率はUDデジタル教科書体のほうが高かった。

大阪医科薬科大学LDセンターの奥村智人氏による調査結果
(図表:モリサワ提供)

フォントを変えただけでは「UD」にはならない

UDデジタル教科書体は、4つのウェート(太さ)でリリースされたが、2017年のWindows10 Fall Creators Update以降のWindowsには、レギュラー(R)とボールド(B)の2種類が標準搭載され、学校現場で活用する教員が増えつつある。奈良県生駒市は、19年より市内の全小中学校で、UDデジタル教科書体を含むUDフォント55書体が使えるサブスクリプションサービスを導入している。しかし、フォントを変えればすべて解決するわけではない。

「ロービジョンのお子さんを教えている先生に、『UDデジタル教科書体だと漢字が潰れて見えるらしい』と言われたことがあります。しかし、よくよく聞くと、その先生はレギュラー(R)をWordの『Bボタン』で仮想的に太くしていました。この方法だと漢字が潰れて見えてしまうことがあるので、あらかじめ文字の空間が調整されたボールド(B)を書体名で指定していただければと思います。またロービジョンのお子さんは、教科書の本文はミディアム(M)がお勧めです。こうした使い方については、まだ浸透しているとはいえません」

UDデジタル教科書体の4つの太さと「Bボタン」の関係
(画像:モリサワ提供)

また、文字サイズや行間などほかの要素も大事だと高田氏は指摘する。

「例えばWindowsに標準搭載されているBIZ UDゴシックからUDデジタル教科書体に変えると、文字が小さくなったように感じます。これはUDデジタル教科書体の手書きの特性によるもので、必要に応じて文字を大きくしたほうがいい。ちなみにBIZ UDゴシックを使うときは、一つひとつの文字が大きいので、行間を広く取ったほうが読みやすいです」

このように、ただフォントを変えるだけで紙面がUDになるわけではなく、「読みやすさ」にはさまざまな要素があり、目的や場面、読み手の層などに応じて配慮することが重要だという。

「文字色と背景色が違うと、読みやすさも変わります。ロービジョンの人の中には、白い部分が広がって見える方もいます。その場合は、紙の白い部分を黒い紙で覆う、あるいはタブレット端末で白地を黒地にして文字を白字にすると見やすくなることも。先生が教材を作る場合、読み書きに困難がある子には、その子の意見を聞いてカスタマイズしていく必要があるでしょう」

モリサワでは、教員がUDデジタル教科書体を活用できるよう、同社のYouTubeチャンネル「UDフォントをもっと知ろう!」シリーズnoteなどで情報発信を行っており、ウェブサイト「FONT SWITCH PROJECT」では、教員と制作した教材も無償配布している。

大切なのは「選択肢が用意されていること」

より多くの子どもが読みやすい書体を作るため、現場に足を運び、情報収集を行ってきた高田氏は、ICT教育の可能性や現状についてこう語る。

「ICT機器を使うと文字や背景の色、行間、文字サイズなどをカスタマイズできるほか、自動の音声読み上げ機能やマーキング機能によって文字を目で追いやすくなるなど、紙ではできないことができるので、もっと活用されることを期待しています。GIGAスクール構想により、特別支援教育に携わる先生を中心に、ICTを積極的に取り入れる先生は増えてきたように思います」

ただ、すべてをICT化する必要はないという。フォントについても読みやすさは子どもによって異なるので「その場に応じて使い分けてほしい」と高田氏は話す。

「私の個人的な意見になりますが、デジタルかアナログかを含め、日本の社会にはみんな同じでないといけないような空気を感じることが多いです。大切なのは個性や特性に合わせた選択肢が用意され、選択できる環境が整備されていること。それぞれの子が伸びていくことを考えたら、伸びる時期も学び方も同じじゃなくていいと思うんです」

UDデジタル教科書体も、欧文シリーズや書き順を示せる筆順フォントなど、教員の教えやすさや教材の作りやすさを考慮した選択肢が用意されている。

「現在、教材を作るプロ向けのUD学参丸ゴシックを先生たちが使いやすいような形に開発中です。ロービジョンのお子さんはUDデジタル教科書体で長文を読むのはつらいと感じるケースもあるようです。そこで、文字を覚えるときには筆順や手書きの字形がわかりやすいUDデジタル教科書体を、長文を読むときには大きく見えるUD学参丸ゴシックをと、使い分けができるよう選択肢を増やしたいと思っています」

また、学校現場で得た知見をほかの分野に発信する必要性も感じているという。

「例えばデザイナーさんには特性に応じた組版の工夫の必要性などがあまり知られていないので、支援に関する情報を伝えていけたらと思っています。そのためには根拠が必要なので、認知脳科学なども突き詰めて学んでいきたいと考えています」

フォントの選択・活用を始め、それぞれの読みやすさに寄り添うUDの視点が教育現場に浸透すれば、これまで読むことの困難さを見過ごされてきた子どもたちの学びの可能性は広がるはずだ。

高田裕美(たかた・ゆみ)
モリサワ ブランドコミュニケーション部広報宣伝課
女子美術大学短期大学グラフィックデザイン科を卒業後、ビットマップフォントの草分けであるタイプバンクに入社。32年間、書体デザイナーとしてさまざまな分野の書体を手がける。2007年ごろから「BIZ UD明朝/ゴシック」「UDデジタル教科書体」のチーフデザイナーとして企画・制作に従事。17年モリサワに吸収合併後、書体の重要性や役割を普及すべく、教育現場と共に UDフォントを活用した教材配信、講演やワークショップ、教育系の雑誌や学会誌への執筆、取材対応など広く活動中。著書に『奇跡のフォント 教科書が読めない子どもを知って―UDデジタル教科書体 開発物語』(時事通信社)

(文:吉田渓、注記のない写真:尾形文繁撮影)