「ICTを活用した障害者支援」に尽力してきた医師が語る「学校教育に必要なこと」 多分野をつなぐ三宅琢「大事なのは交ぜること」

「テクノロジーを活用した障害者の支援」を始めた理由
「眼科医」としてキャリアをスタートし、早くからiPhoneやiPadなどを活用して視覚障害者や発達障害者の支援に取り組んできた三宅琢氏。さらには、労働者のヘルスケア教育を行う「産業医」、分野横断的な対話を通じて社会課題の解決を目指す「社会医」としても活動しており、そのフィールドは学校現場にも広がっている。

そんな珍しいキャリアが注目される三宅氏だが、「すべての活動はつながっている」と言う。その出発点は、高校時代にさかのぼる。
「同級生がある日、網膜色素変性症という進行性の難病のため『将来、失明する』と医師に告げられ、自ら命を絶ちました。私は眼科一家に生まれたので幼い頃から眼科医を目指してはいましたが、それ以来、この眼疾患を治したいと切実に思うようになりました」
その後、目標どおり眼科医になったが、時を経ても網膜色素変性症の治療法は確立されないまま。ちょっとした不調から眼科に行ったところ失明宣告され、患者が絶望するという状況は変わっていなかった。
「日本人の視覚障害の原因疾患の第2位は網膜色素変性症で、その数は少なくないのですが、当時は失明宣告とケアをつなげるサポートが今以上にありませんでした。一方、スマホやタブレット端末には、視覚障害者の利用を前提としたアクセシビリティー機能が備わっている。簡単に見たいものを拡大したりテキストを読み上げたりしてくれるのですが、こうした便利なデジタルツールを知らずに苦しんでいる“情報障害”というべき患者さんが多いことに気づきました。眼科外科医として病気は治せないにしても、テクノロジーを利用すれば患者さんを苦しみから救うケアはできるかもしれない。そう考え、『治らない患者さんだけを診る眼科医になろう』と思ったのです」
ちょうどその頃、三宅氏は産業医という職業に出合う。産業医は健康教育や病気予防など、働く人たちのケアを中心に行う仕事だ。これも「苦しみから救うケア」という理想の仕事に近いと感じた。
三宅氏がロールモデルとするのは、ユーモアによるユニークな治療で人々を癒やしてきたパッチ・アダムス。映画の主人公のモデルにもなった実在の医師で、ウェルビーイングの実践家として知られる。そんな彼の存在も大きく、三宅氏は転身を決意。2012年に起業し、産業医として活動しながら、視覚障害者にテクノロジーを活用したケアを行うようになっていく。

(写真:三宅琢氏提供)
そんな中、東京大学先端科学技術研究センター教授の中邑賢龍氏(現・シニアリサーチフェロー)から声がかかり、「異才発掘プロジェクトROCKET」の立ち上げに参加、学校教育における発達障害のある子への合理的配慮なども研究するようになる。また同じ頃、診療報酬改定でロービジョン検査判断料が新設されたことから、全国の眼科医からICT機器を活用したケアを教えてほしいとオファーが殺到した。