高校商業科がアントレプレナーシップ教育に有利な3つの点
大学教員でもあり経営コンサルタントなどの経験もある髙見啓一氏は、高校の商業科・商業高校におけるアントレプレナーシップ教育についての研究を続けている。
日本語では「起業家教育」といわれるこの分野だが、髙見氏の理想は、必ずしも全員が起業することを目指すものではない。身に付けてほしいのは「起業家精神(アントレプレナーシップ)」そのものだ。広義のアントレプレナーシップには、起業するための能力だけでなく、事業機会を認識し、他者と協働しながら、新たな価値を生み出すといった能力が含まれるという。
「メディアで目にする起業家というと、ピカピカ、キラキラしたスーパースターのイメージが強いですよね。もちろんそうしたトップクラスの天才も必要ですが、そこがクローズアップされすぎると、一般の人々に『自分には起業は無理だ』と感じさせてしまう可能性があります。私はもっと起業家の裾野を広げたいのです。例えば、企業や行政に勤めながら、起業家精神を発揮し、改革や新事業を起こせる人材も重要です。いわゆる『普通の子』にもその精神を身に付けてもらうことで、もっと多様な可能性が生まれると思っています」
そのための新たな取り組みを始めなくても、実は日本にはすでに教育のインフラは整っていると続ける髙見氏。それこそが、各地に設置されている高校の商業科だという。高校商業科でアントレプレナーシップ教育を行うことのメリットを、同氏は次のように説明する。
「利点の1つ目は、商業科は過疎地域も含めて全国に遍在しており、都市部以外に暮らす子どもにとっても身近であるということです。そのため、2つ目のメリットである『多様性』を実現することもできます。トップレベルの進学校に行くような子どもたちだけでなく、いろいろな背景を持つ多様な学力の子どもが学んでこそ、アントレプレナーシップの裾野は広がるのです。そして3つ目は、商業科の場合、学校がその土地に根差し、OB・OGの経営など地域コミュニティとの関係性をすでに持っていることです。これは、大学進学に意識を向けてきた普通科や進学校に勝る、商業科ならではの強みです」
近年では、普通科も含めた多くの学校で、地元企業や外部団体と連携した「探究学習」が行われるようになっている。だが商業科では、探究学習や地域連携が注目されるずっと前から、同様の学びに取り組んできた。
例えば、商業科の伝統ともいえる「学校デパート」は、昭和・平成から続いてきた。これは生徒が考案した商品や地域の特産品などを生徒自ら販売するイベントで、企画から仕入れ、会計報告までを実際に体験するものだ。地元企業や商店街と連携した地域活性化事業も多くあるほか、近年は外国人観光客の増加を反映し、観光系の取り組みも増えている。世相や時流と切り離すことのできない商業を学ぶため、時代に即した実践的なプロジェクトが行われてきたのだ。
高校時点での教育は効果大、可能性に気付けば未来も広がる
各校で行われるプロジェクト自体は、決して奇抜なものではない。例えば、北海道函館商業高校では市内の飲食店と協働したお弁当を開発・販売した。また、奈良県立商業高校では、地元図書館でのカフェ運営などにより、地域の居場所を提供している。共通点は、生徒自身が地域の課題やニーズに向き合い、地域の大人と関わり合いながら、ビジネスによる解決策を導き出したことだ。
昨今は大学でもベンチャー創設に力を入れているが、髙見氏は、より早い段階でのアントレプレナーシップ教育を推奨している。
「高校の商業科での取り組みは、近年の大学発ベンチャーの動きよりもずっと長い歴史があります。その分の蓄積があるし、高校のほうが地域格差も少ない。また最近では、若年期・思春期のアントレプレナーシップ教育の有効性を主張する研究も出てきています。早い時期に起業家精神を身に付ければ、未来の選択肢も広がり、その効果は大きくなりやすいと考えています」
髙見氏は長年の経験の中で、学びの効果が表れた実例を何度も目にしてきた。「自分は社長をやるタイプじゃない。でも起業する人を支えたい」と、大学に進学して税理士を目指すようになった卒業生もいれば、いったんは大企業に就職したものの「ここでは自らの起業家マインドが生かせない」とすぐに転職し、新たな職場でITインフラを大改革した卒業生もいる。
「地域密着の会社を起こしたいと考える生徒や、地元のベンチャーに就職した卒業生にも出会いました。アントレプレナーシップ教育を経験した生徒たちは、仲間や地域の大人との協働を通じ、組織の中で何ができるかを知っていきます。自分の適性ややりたいこともわかってくるので、進路選択やその先の生き方にも影響する。生徒本人も保護者も、商業科での豊かな経験や学びを通じて、将来の可能性に気が付くという経験をするようです」
髙見氏が語る「可能性に気付く」という点は、高校商業科のアントレプレナーシップ教育における重要なキーワードかもしれない。生徒が自分の力に気付くだけでなく、地元の人が地域資源の可能性に気付くということも起きている。
例えば岐阜県立岐阜商業高校では「株式会社GIFUSHO」を立ち上げ、長く地域振興のビジネスを行ってきた。同社の実績のひとつに地域の和菓子店と行った「鮎菓子」のアレンジがある。その名のとおり、鮎をかたどった岐阜県の郷土菓子で、求肥を包むカステラ生地は通常はこんがりとしたきつね色だ。だが岐阜商の生徒が「鮎菓子ってかわいい。色をつけたり、顔を変えたりしたらもっとかわいいのでは」と提案したのだ。こうして生まれた新しい郷土菓子は地元のメディアに紹介され、地域の販売会でも人気を博した。
「地元の大人たちはもちろんこのお菓子を昔から知っていましたが、『そうか、鮎菓子ってかわいいのか』と改めて気付かされたそうです。取り組みが高校生だけでなく、大人にも気付きを与えた。地域社会から教わるだけでなく、高校生からも、地域に新たな価値を提供することができたのです。地域連携の学びでは、相互にメリットがあることも非常に重要です」
「普通の子」こそ起業家精神を学び、他者と協力する力を
だが、髙見氏は課題もあると指摘する。まず挙げられるのは、商業科のこうしたインフラとしての価値を、行政や現場が十分に認識・活用できていないことだ。つまり国や県、教員もまた、商業科の「可能性に気付く」必要があるというわけだ。
「優れた資源がありながら、これまでの商業科は、簿記などの資格取得に偏った教育を行ってきました。普通科高校にいた先生が校長として商業科に赴任して、『この強みを生かさないなんてもったいない』と、改革に着手する例も見聞きします。さらに最近では普通科でも探究学習に力を入れてきていますから、商業科はいつの間にか『お株を奪われた』状態にもなりかねません。少子化に伴う高校の統廃合は全国的な問題ですが、その際には商業科などの専門学科がターゲットになることも多いのです。しかし本当に簡単になくしてよいものなのか、教育行政に関わる方々には商業科の価値を改めて考えてほしいのです。現場の先生方にも今一度、商業科の存在感を発揮しましょうと呼びかけ続けています」
アントレプレナーシップ教育に限らず、新たな学びの創造に必要なスキルを持つ教員が不足していることも課題だ。国は著名な起業家など、外部講師を招いた単発の出前授業などを推奨している。これは比較的手軽に実施できるが、それだけでは地元を巻き込んだリアルな取り組みには発展しない。
「とくに地域連携では、学校外の専門家らとのつながりが欠かせません。しかしこうした人脈や知見を持つ先生は限られており、同じ先生に負担が集中しがち。私が取材した先進校の多くは、コーディネーターとなる外部支援者とも連携しています。この点は継続的な支援が必要です」
そして、この人員不足と切り離せない最大の壁が予算である。お金をかければ、知見を持つ教員や外部人材を増やすこともできる。だが予算の点で公立高校は私立高校にかなわないし、過疎地の高校は都市部の高校に勝てない。先進校の台頭は望ましいことだが、一方で予算のある学校や都市部の学校だけでアントレプレナーシップ教育が深まれば、学びは二極化し、起業家はより遠い存在になる。この格差を防ぐためにも、髙見氏は全国の商業科に出向き、研究と支援を続けている。
「成功例が周りにたくさんあれば、起業家精神は若者にもっと広がっていくし、こうしたことが地域社会を豊かにすると考えます」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:msv / PIXTA)