繰り返される落雷事故
今年(2025年)4月10日の17時50分頃に、奈良県下の私立中学高等学校で落雷事故が発生した。学校の発表によれば、17時40分頃小雨が降り始めて、それが一度止んだ後、再び強くなり、その直後に落雷があったという。この事故で生徒6人が救急搬送され、うち3名は入院することになった。事故当時、雷注意報が発令されていた。
学校での落雷事故はこれが初めてではない。2014年には愛知県下の私立高等学校で、2016年には埼玉県下の公立高等学校で、そして昨年4月には宮崎県下の私立高等学校グラウンドで落雷事故が発生している。とくに宮崎県下の事故は、サッカーの練習試合中だった熊本の公立高校18人もの生徒が救急搬送されるという大規模な事故であった。
「なぜ事故を防げなかったのか」「危機管理はどうなっているのか」。繰り返される事故に学校の責任を問う声が高まっている。
学校教育の法化現象とスポーツ指導者の「常識」
学校に対する責任追及はやがて司法の場へと持ち込まれていく。東日本大震災などの大規模自然災害から、暴風や豪雨下での登下校中の事故、熱中症に至るまで、多くの事故が訴訟の場で争われている。
学校・教員との関係を、“愛”や“情熱”、“信頼”といった情緒的なものではなく、“権利”や“義務”という法的関係として捉えようとする保護者や市民の増加、いわゆる学校教育の「法化現象」の台頭である。
落雷事故もまた例外ではない。2006年の私立高等学校サッカー部落雷事故損害賠償請求訴訟において、教員らの過失が問われている(最高裁判所第二小法廷判決平成18年3月13日)。
事故は、今回と同様、雷注意報の発令下で発生している。遠雷が聞こえ、試合会場の南西方向の上空に暗雲が立ち込める中、生徒が落雷に遭遇、負傷し、重度の後遺障害が残った事案である。

淑徳大学総合福祉学部教授
立命館大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科公法専攻 博士課程単位取得退学。修士(法学)。日本女子大学教職教育開発センターを経て現職。専門は公教育制度論。日本教育行政学会理事、日本教育制度学会理事,日本スクール・コンプライアンス学会会長。教育委員会と連携し、教育裁判の分析を通じた学校の危機管理の改善に取り組んでいる。著書に『裁判例で学ぶ 学校のリスクマネジメントハンドブック』(時事通信社)、『四訂版 学校と法-「権利」と「公共性」の衝突-』(放送大学教育振興会)など
(写真:本人提供)
最高裁判所判決前の控訴審判決(高松高等裁判所判決平成16年10月29日)では、以下と考えられていた。
社会通念上、遠雷が聞こえていることなどから直ちに一切の社会的な活動を中止又は中断すべきことが当然に要請されているとまではいえない。平均的なスポーツ指導者においても、落雷事故発生の危険性の認識は薄い。雨が止み、空が明るくなり、雷鳴が遠のくにつれ、落雷事故発生の危険性は減弱するとの認識が一般的なものであった。
このことから、教員に過失は存在しないとする判決を下した。事故発生当時の一般市民、とくにスポーツ指導者の「常識」を重視した判断と言える。
しかし、最高裁判所は控訴審判決を覆し、教員の過失を認定した。それは次のような前提に立った判断である。
教育活動の一環として行われる部活動においては、生徒は教員の指導監督に従って行動する。教員はできる限り生徒の安全にかかわる事故の危険性を具体的に予見し、その予見に基づいて当該事故の発生を未然に防止する措置を執り、生徒を保護すべき注意義務を負う。
とくに注目したいのは、判決が控訴審判決で依拠したスポーツ関係者の「常識」を否定した点である。
科学的知見に基づく事故防止の重要性
先に触れたとおり、当時、スポーツ指導者の多くは、落雷事故発生の危険性に対する認識が薄かった。雨が止み、空が明るくなり、雷鳴が遠のくにつれ、落雷事故発生の危険性は減弱すると考えていた。
それにもかかわらず、判決はこの「常識」が落雷予防に関する文献等、当時の科学的知見に反するものであり、教員の指導監督に従って行動する生徒を保護すべき注意義務を免れさせる事情とはなり得ないと、一刀両断している。
最高裁判所判決は、常識に基づく危機管理から脱却をすること、そして科学的知見に基づく事故防止、生徒の安全確保を図ることを教育現場に求めているといえるだろう。
冒頭で触れた奈良県での落雷事故を受けて、文部科学省は「落雷事故の防止について(依頼)」を発出している(令和7年4月11日付け事務連絡)。通知には、「屋外での体育活動等において、指導者は、落雷の危険性を認識し、事前に気象情報を確認するとともに、天候の急変などの場合にはためらうことなく計画の変更・中止等の適切な措置を講ずること。特に、指導体制が変わった場合等にも対応に遺漏の無いよう十分留意すること」と記されている。
そして、落雷の兆候やそれに係る対応等として、「厚い黒雲が頭上に上がった際には、雷雲の接近に注意する」、「かすかでも雷鳴が聞こえる際には落雷の危険がある」、「落雷の危険がある場合には、すぐに安全な場所(鉄筋コンクリートの建物、自動車、バス、列車等の内部)に避難する」等を促している。
落雷の危険性を認識すること、事前に気象情報を確認すること、誰もが賛成する内容である。しかし、20年近くも前、最高裁判所が下した判決の内容と似たり寄ったりである。教育現場は、最高裁判所判決から何を学んだのか。文部科学省が改めて今回の通知を出さなければならなかったことに、落雷事故に対する危機管理の甘さが如実に表れている。
雷注意報が出たら「屋外での活動は一切中止」とすべし
では、学校・教員はどうすべきか。
検知器の設置等、さまざまな対応が検討されている。その中にあって最も効果的な方法は、気象庁が発令する「雷注意報」を基準とする方法である。雷注意報は、「落雷のほか、急な強い雨、竜巻等の突風、降ひょうといった積乱雲の発達に伴い発生する激しい気象現象による人や建物への被害が発生するおそれがあると予想したときに発表」されるものである(気象庁HP)。また落雷に関しては警報が存在せず、注意報が危険度MAXとなる。
雷注意報は、気象庁という専門機関が発令するものであり、最高裁判所判決が示唆する科学的知見として、教育現場が依拠すべき基準となり得る。こう指摘すると、「夏場を中心に雷注意報の発令頻度は高く、屋外での活動ができないではないか」という反論がきっと返ってくることであろう。
発令頻度を考えると、雷注意報を基準とするやり方は確かに「空振り」が多い。だが、ことは生徒の生命に関わる問題である。危機管理の肝要は「最悪の事態を想定する」ことにある。雷注意報が発令されたならば屋外での活動は一切中止とするべきだ。
発令の頻度が高いことを踏まえても、生徒の生命・身体の安全を確保するという観点に立ち、雷注意報の発令を判断基準に据え、躊躇なく活動を中止するという姿勢が求められているのではないだろうか。
(注記のない写真:Getty Images DrAbbate)