今起きている、「日本教育史上初の現象」とは?
――「みんなで同じことを同じペースで同じようなやり方で学ぶスタイル」から「個別化・協同化・プロジェクト化の融合」へと変わっていくべきだという、「学びの構造転換」を提唱されています。最近、まさに個別最適な学びや協働的な学びを目指して教育改革に取り組む学校や自治体が増えていますが、「学びの構造転換」はどれくらい進んだと思われますか。
2014年の拙書『教育の力』(講談社現代新書)にも、「学びの構造転換」の中・長期的ビジョンを描きましたが、個別化と協同化の融合が進み、プロジェクト化の充実に至るまでには、あと15~20年くらいかかるのではないかと思っています。
しかし、この10年ほどでその一歩は力強く踏み出されたと感じています。例えば自由進度学習などにチャレンジする先生が増えましたし、とくに自治体規模で「学びの構造転換」に取り組むところがいくつも出てきました。
――注目されている自治体をご紹介ください。
広島県は2014年と早い時期から「学びの変革」に着手しています。名古屋市も2019年度から個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実を推進する「ナゴヤ スクール イノベーション」に全市で取り組んでいて、プロジェクト型学習やイエナプランを参考にした独自の授業改革に挑戦する学校が出てきています。
加賀市や芦屋市も2023年度に新たな教育ビジョンを策定して学びの構造転換を進めているところです。富山市はイエナプラン的教育を市内の多くの学校で取り入れ始めており、生駒市も大きく動き始めています。
――公教育の本質は「自由の相互承認(※)」の実質化にあるということも繰り返し強調されてきましたが、生駒市の「第3次 生駒市教育大綱」には「自由の相互承認の感性を育む」といった言葉が記されましたね。
※自由に生きたいと願っている存在同士であることをお互いに認め合うこと
はい、生駒市の教育大綱づくりのときに教育委員会でお話しさせていただいたのがまさに「自由の相互承認」でした。
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実は岐阜市でも2020年改訂の教育大綱に「自由の相互承認の感度を育む」という言葉が記載されています。学びの多様化学校の先駆けとなった草潤中学校の設置なども含めて、岐阜市も改革に積極的な自治体だと思います。
また、岐阜といえば本巣市も教育改革に力を入れており、根尾学園という全校40人程の義務教育学校では異年齢の対話を大事にしたり、市内の子どもたちがみんなで市の「子どもの権利条例」の土台となる「こども憲章」を作ったりしてきました。
長野県の伊那小学校や愛知県の緒川小学校のように、何十年も前から「学びの個別化・共同化・プロジェクト化」に取り組んできた公立学校はあるのですが、そうした実践は先生方や学校単位の頑張りで何とか進められてきたケースが多いです。
そこを複数の自治体が率先して取り組み始めたというのは、おそらく日本教育史上初の現象です。さらにすばらしいことに、そうした自治体同士はだいたいつながりあっているんですよね。知を共有したり支え合ったりできるので、連携は本当に大事なこと。この動きがどこかの時点で閾値を超え、全国的な構造転換へと進んでいくことを期待しています。
改革のポイントは、「本質論」と「対話」
――先進的な自治体や学校を取材していると、キーパーソンがいらっしゃるケースが多いと感じます。
キーパーソンがいるところは大きく変わりますね。しかし、組織が教育の本質、また議論の作法を自覚していないと、そのキーパーソンが去った後にせっかくの取り組みが瓦解してしまいます。
これまでも教育をよりよく変えようとする動きが何度もありましたが、本質論なき教育改革、つまり「何のためにやるのか」という土台の議論を欠いていたので、時代に流されたり利害関係で物事が動いてしまったりしてうまくいきませんでした。そもそも何のための学校か、何のための公教育かという点を確認し、つねにそこに立ち戻る視点が大切です。
また、さまざまな自治体とご一緒して感じるのは、単純なトップダウンだけでは決してうまくいかないということ。自治体でも各学校でも、最上位の目的を一緒に共有し、そのために何ができるかという対話を重ねる文化や仕組みを作ることが、うまくいくポイントだと実感しています。
例えば、名古屋市は「ナゴヤ スクール イノベーション」を進める過程で、「ナゴヤ学びのコンパス」という学びの方針を定めました。私が検討会議の会長を務めさせていただいたのですが、たくさんの市民の方々や先生方、子どもたちと一緒に作りました。どんな社会を目指したいのかという最上位のところから対話をスタートし、実現したい市民の姿、目指したい子どもの姿、重視したい学びの姿についてみんなで考え合って決めたのです。
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今、この「学びのコンパス」に基づき何ができるだろうかという対話会が、校長会をはじめ各学校でも少しずつ広がりを見せているそうです。
私がアドバイザーを務めさせていただいている芦屋市の「Ashiya PEACE プロジェクト」も、「対話」を繰り返しながら進めることを大切にしています。指導主事たちも「よい授業とは何か」などのテーマで定期的に本質観取(※)をやっているとお聞きしています。
※対話を通じて物事の本質を洞察し、共通了解を見いだす哲学対話の手法
実践が増えている「自由進度学習」の課題とは?
――学校現場の実践については、どうご覧になっていますか。
現場レベルではまだまだ「学びの構造転換」のとば口に立ったばかり。例えば、自由進度学習に取り組む先生が増えましたが、課題もあると感じます。「子どもが自ら計画を立てて個別で学べばいい」と捉えている方もいるようですが、それはあくまで1つのスタイル。学び方や進度のバリエーションは、無数にあります。そこを理解していないと、いきなり子どもたちに委ねて混乱したり、委ねたふりをしてコントロールしようとしてうまくいかなくなったりといったことが起きます。
独立研究者の山口裕也さんも最近、「場は共にしていても、思考は共にしていない」自由進度学習の課題を指摘しています。本来なら子どもたちが単にバラバラにタスクをこなすのではなく、挑戦的な課題にみんなでチャレンジできるような場面づくりなども必要です。
ただし、協同の強制ではなく、必要なときに必要な力を誰かに借りることができ、自分も誰かの役に立てるという実感が持てるような「ゆるやかな協同性」で支えていくことが基本です。と同時に、山口さんの言葉を借りれば、「計画的に偶発させたペアやグループの編成」を意識することも大事です。先生にはそうした“場の設定力”が求められます。
このようなポイントやステップについては山口さんが論考にまとめていますが、こうした子どもに委ねていく学びの本質的な知見はまだ十分に蓄積されておらず検証もされていません。大学の教育学部でも、今は7割くらいの学生が「自由進度学習」という言葉を知っていると感じますが、実際に実践したり、理論を学んだりする機会はほとんどないのが実情です。教員養成や教員研修は、抜本的なアップデートが必要でしょう。
「対話ベース」や「生徒参加型」の校内研修に挑戦する学校も
――教員研修で希望を感じられた事例はありますか。
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哲学者/教育学者
熊本大学大学院教育学研究科・教育学部准教授。一般社団法人School Transformation Networking理事。教育とは何か、それはどうあれば「よい」と言いうるかという原理的テーマの探究を軸に、これからの教育のあり方を構想。公教育の本質は「自由の相互承認」の実質化にあるとし、具体的なあり方として「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」などを提唱。主な著書に『教育の力』(講談社新書)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『学問としての教育学』(日本評論社)、『親子で哲学対話』(大和書房)など
(写真:苫野氏提供)
私が以前ご一緒した福岡県の古賀市立小野小学校では、3年間、対話ベースの校内研修に取り組んだのですが、学校の文化が本当に変わりました。
まずは、先生同士でグループになり、なぜ先生になったのか、どんな学校を作りたいか、どんな子どもたちの姿を見たときに嬉しくなるかなど、“青臭い根っこの話”をします。そうやってお互いを知り、安心できる空間を作ったところから、学校の最上位目標をみんなで対話しながら考え、その最上位目標のために何ができるかについても一緒に考えました。そして、「私はこんな実践をしてみます」とそれぞれが挑戦を始め、次の校内研修でフィードバックし合う。これを繰り返しました。
すると、新しいことにチャレンジする先生がどんどん増え、お互いを認め合い、応援し合える文化ができていきました。何かあれば「そもそも」のところに立ち返る「問い合う文化」もできるので、チームとしてもすごくまとまりがいい。研究主任の先生が交代した今も、対話ベースの校内研修は文化になってしっかり続いているそうです。
このほか、今年1月に参加させていただいた熊本大学教育学部附属中学校の校内研修もすばらしかったです。先生と生徒がそれぞれ20人ずつ集まって、混ざり合いグループになって本質観取を行うという、これまでにない発想の研修でした。
「よい生徒会活動とは何か」というテーマで対話したのですが、先生と生徒が対等に答えを探し合っていく姿はまさに探究の仲間といった感じでした。本質観取は自分の考えや体験を持ち寄って対話が進むので、自然とお互いの深いところを開示し合うことになるんですよね。
そのため、よい議論ができたことはもちろん、最後に生徒たちが「先生がすごく優しくてびっくりした」「先生はこんなに考えてくれてたんだ」と発見があったようで、先生も「生徒がこんなに深いところまで考えていたのか」とおっしゃっていました。校内研修の生徒参加は最高だなと思いましたね。
「学年ごとの指導要領の弾力化」と「標準授業時数の撤廃」を
――現行学習指導要領の課題や、次期学習指導要領に期待したいことについてお聞かせください。
学習指導要領は、教科を体系的に教えるためのものだと考えられてきましたが、私は「自由」と「自由の相互承認」を実現するためのツールだと捉えています。そのため、子どもたちにどういう力を保障することが自由につながり、自由の相互承認の感度を育むことにつながるのかという観点から、学習指導要領の内容を改めて考え直さなければいけないのではないかと考えています。
カリキュラムオーバーロードなどの課題もありますが、方向性として「主体的・対話的で深い学び」はとてもよいコンセプトだったと思っています。それを実現するためには、「学年ごとの指導要領の弾力化」と「標準授業時数の撤廃(もしくは弾力化)」が必要です。個別最適な学びを掲げる以上、この2つの実施は当然のことだと思っており、次期学習指導要領に期待したいところです。
これが実現されると、自由進度学習もほぼ障壁がなくなるはずです。小学校なら3年生が5年生の内容を学んだり、5年生が3年生に戻って学び直したりすることもできますし、自分のペースで学ぶことができるでしょう。
――これからの教育を担う現場の先生方にメッセージをお願いいたします。
日頃から「そもそもこれって何のためでしたっけ?」を口癖にして学校の文化にしていただきたいです。人は問われると考えますので、「何のためだったっけ?」と考え始めます。これが浸透していくと「本質を問い合う文化」ができ、より本質的な教育実践ができる組織になっていくはずです。
また、対話も「そもそも」の部分をベースにすること。例えば「なぜこんなことをやらなければいけないのか?」という業務があった場合、「何のためか」という部分に立ち返ると何が必要かを合意しながら変えていけますし、本質的に意味がないと確認できれば業務を削減できます。よく先生方は対話する時間がないと言われますが、実は対話をする時間を作るほうが働き方改革には効果があるんですよね。「そもそも」を意識すると、風通しもよく、働きやすい職場になっていくと思います。
新任の方も新年度は慌ただしくあまり考える時間がないとは思いますが、表面的なことに追われると疲弊しますので、ちょっと立ち戻って「自分はどんなふうに子どもたちと関わりたいんだっけ?」といったご自身の「そもそも」を大事にしていただきたいなと思います。
(文:編集部 佐藤ちひろ、注記のない写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)