価値観が違う人と一緒に「みこし」を担ぐには

戯曲「東京ノート」などで知られる劇作家・演出家の平田オリザ氏には、いくつもの顔がある。

兵庫県豊岡市にある芸術文化観光専門職大学の学長もその1つだが、平田氏と教育の関わりは長く、30年ほど前から学校現場で演劇教育を行っている。演劇教育とは、はたしてどのようなものなのだろうか。

「学校で演劇というと学芸会のイメージが強いと思うのですが、今は様変わりしています。現在はワークショップが主流で、台本はあっても子どもたちがセリフを考えたり、台本から作って演じるような形になっています。ワークショップ型は、表現力や情操教育が目的というより、合意形成を図る、子どもが自己有用感を感じるといったことが狙いになっています」

平田オリザ(ひらた・おりざ)
劇作家・演出家、芸術文化観光専門職大学 学長
大学在学中に劇団「青年団」を旗揚げして以来、劇作家・演出家として活動。『東京ノート』で岸田國士戯曲賞、『月の岬』で読売演劇大賞優秀演出家賞・最優秀作品賞、『上野動物園再々々襲撃』で読売演劇大賞優秀作品賞、『その河をこえて、五月』で朝日舞台芸術賞グランプリ受賞など数々の受賞歴を持つ。その傍らで演劇的手法を用いたワークショップやコミュニケーション教育にも取り組み、2021年芸術文化観光専門職大学の初代学長に就任。豊岡市文化政策担当参与、宝塚市政策アドバイザー、枚方市文化芸術アドバイザーなども務める
(写真:平田氏提供)

こうした効果は、演劇教育が生み出したものなのだろうか。それとも演劇を通じて得られるものなのだろうか。

「もともと演劇が、そういうものだと言えるでしょう。どんな共同体にも文化人類学などでいうイニシエーション(通過儀礼)やお祭り、農村歌舞伎、神楽といったものがあります。それらは共同体を維持するための知恵であり、そういうものを持っている集団だけが生き残ってきたと言えます」

人々はこうしたイニシエーションを通じてコミュニケーションを図り、共同体としての一体感を高めてきたというわけだ。しかし、昔と今とでは共同体で求められるコミュニケーション能力が変化していると平田氏は指摘する。

「例えば、祭りでみこしを担ぐなら、その地域の共同体に入る際のイニシエーションであり、そこで求められるコミュニケーション能力は“同一性の高い共同体になじむ”というものでした。しかし、今の時代に求められているのは、“価値観が違う人たちと一緒にみこしを担げる能力”です。

早くから演劇教育を導入した地域の一つに香川県の小豆島がありますが、その背景にあったのが町長と教育長の経験です。幼稚園から高校まで一緒だった同級生の2人は、大学進学を機に島を出て初めて“自分のことを知らない人たち”と出会い、苦労したそうです。知り合いしかいない環境でずっと生きていくという選択肢もありますが、約7割の子が島から出る今となっては、そうもいきません。『自分たちと同じ苦労はさせたくない』という2人の思いから、他者理解のコミュニケーション教育として演劇教育を導入したのです」

自分が必要とされているという実感

では、具体的にどのような授業を行っているのだろうか。対象は小・中学生から高校生まで幅広く、学校向けでは教員研修や保護者向けの講演を組み合わせて行うことが多いという。もちろん、教材もオリジナルだ。

「学校や地域によって目的や課題は異なります。他者理解に重きを置きたい、その後の探究型授業に結びつけたいなどそれぞれですから、依頼を受けるとまず、最終的に何を目指しているかをお聞きして、学校の先生や教育委員会の担当者と一緒にカリキュラムを組んでいきます。私が主宰する劇団・青年団の団員や、NPO法人のメンバーが担当する部分もあります」

例えば埼玉県富士見市では、「子ども文化芸術大学」(教育委員会主催)と題し、市内全域から希望者を集めて10年ほど演劇教育の授業を実施しているが、年6回ある授業の1つを平田氏が担当している。実際、7月に行われたワークショップを訪れると、市内全域から小学4〜6年生の子どもが20名ほど集まってきていた。

まずは全員で輪になり、簡単なゲームを通じて互いに親しんだあと、6人程度のグループに分かれ、朝の教室のワンシーンを題材とした台本をもとに配役を決める。セリフの語尾に加えて、細かな設定は変えてもいいというルールで、「先生がやりたい!」「転校生は長野ではなくて東京から来たことにしよう」……など、グループで話し合う。

埼玉県富士見市で行われた「子ども文化芸術大学」のワークショップ

この発表と振り返りを行った後は、朝の教室のワンシーンという設定はそのままに、自分たちで台本をつくっていく。あらためて配役を決め直し、「先生が教室に入ってくるまで転校生の噂話をしているのはどうかな」「大阪からの転校生ということにしてセリフを関西弁にするのはどうだろう」……などと細かな設定やシチュエーションまで、子どもたちは次々にアイデアを出しながら物語をつくっていくのだ。

細かな設定やシチュエーションまで、子どもたちは次々にアイデアを出しながら自分たちで台本をつくっていく

3時間という時間もあっという間で、最後の発表は大いに盛り上がった。1回目の発表に比べて声も大きく細かな演技も入って、より劇らしくなっていたのはもちろんだが、何より子どもたちがいきいきとしていた。学校で行う場合も、続きの3コマ(時限)を使って、このような流れで行うことは多いという。

「演じることは他者理解に通じます。セリフを考えているうちに、『この人はなぜこんなところでこんなことを言うんだろう』とか『なぜこの人は黙っているんだろう』と自分の役や、ほかの人の役について自然と感じ取れるようになっていくからです。また、演劇では異なる意見があったときに折り合いをつける必要が出てきます。こうした合意形成を図ることも、他者理解に通じるでしょう。

そして、演劇教育はリーダーシップ教育でもあります。リーダーの資質とは人を引っ張っていくだけでなく、共同体で一番立場が弱い人の居場所を作ること。演劇教育を通じてその点に気づく子どももいます。従来型の社会科発表などでは、従来型のリーダーシップで推し進めることが可能ですが、演劇だとそれができません。1人が『やりたくない』と投げ出したら、お芝居が成り立ちませんから。1人でも抜けたら成り立たないということは『自分が必要とされている』という自己有用感にもつながります」

子どもよりも教員が変わる、それが大事

ただし、演劇教育をやったからといって、子どもたちが大きく変化するというわけではない、と平田氏は率直に述べる。

「ワークショップは魔法ではありませんから、1回やっただけでは子どもたちは変化しません。私は豊岡市内すべての小・中学校で演劇教育を行っており、明らかに子どもたちの自己肯定感が上がったというデータも出てはいますが、最も変わるのは先生なんです。演劇教育を通して、先生が『子どもたちはこんなことをやれるんだ』とか『子どもの発想ってすばらしいな』と感じることが、いちばん大事なのです。毎年訪れている学校の先生が『去年、授業をしていただいた後、子どもたちに“あの時、あんなに頑張れたじゃない!”という声がけをして1年間乗り切れました』と言われて、とても嬉しかったですね」

豊岡市における演劇ワークショップの様子。平田氏は豊岡市内すべての小・中学校で演劇教育を行っている
(写真:豊岡市民プラザ提供)

1回の演劇教育で変化するわけではないとはいえ、手応えも感じているようだ。

「豊岡高校という進学校の先生によると、演劇教育の後、明らかに生徒の発言力が上がったそうです。日本の子は海外の子よりも『こんなことを言ったら笑われるかな』と失敗を恐れる傾向が強いので、ただ合意形成しましょう、発言しましょうと言われても、周りと同調してしまいます。合意形成はリテラシーであり技術ですから、何もせずに身につくわけではありません。そこでフィクションの力を借りるのです。シチュエーションを決め、自分ではない役柄になると、価値観や意見が違う人と対話することができます。こうした経験をしたからこそ、豊岡高校の生徒たちも物おじせずに発言できるようになったのでしょう」

対象が小学生の場合は、非認知スキルの向上を目的とするプログラムが多いというが、高校生の場合は課題を設定してプレゼンテーションとセットにするなど探究的な学びと結びつける学校が多いようだ。また、こうした“フィクションの力”を使った学びは、さまざまな学習にも取り入れられるという。

「どんな授業でも、点と点をつないで物語を作ることはできます。例えば、算数で3+5を学ぶ際、『猫が3匹いるところに犬が5匹きました。全部で何匹ですか?』という問題があったとするでしょう。まずは3+5を学んだら、そのまま『ほかの答えはある?』と問いかけてみる。『猫は驚いて逃げたから犬が5匹』とか『逃げた猫を犬が追いかけて行ったから0匹』といった答えが出てくるかもしれない。そんなふうにつなげていくのもいいでしょう。

文部科学省も個別最適な学びと言っていますが、計算などの反復学習はアプリでやって、学校では学校でしかできないことをやればいい。学校でしかできないことは、協働性、多様性を学ぶこと。もちろん、今までのような学習も必要ですから、オールオアナッシングではなく、ICTが得意なこと、学校(人)が得意なことをやっていくといいのではないでしょうか」

“とことん話し合え”から“なんとかする”へ

これまで30年にわたって全国各地の学校でワークショップを行ってきた平田氏は、現在も年間40校ほど訪れている。中でも、兵庫県豊岡市では市内の小・中学校全校で演劇教育を行っており、自ら綿密な指導案を作成している。

「演劇人が学校に入っていくためには、演劇人が変わる必要があります。学校の授業で行いやすい形に変えたり、教員にわかりやすいボキャブラリーでしゃったり。そして、学習指導要領にひもづけて話すことも大切です」

こうして積み重ねた30年の間に、平田氏は学校現場の変化も感じている。とくに2020年実施の学習指導要領は、主体的・対話的で深い学びの実現を掲げており、演劇教育との親和性が高いという。

「私たちがずっと言ってきたことに、やっと時代が追いついてきたという感覚もあります。それは『バラバラの人間がバラバラなままでどうにかする力をつける必要がある』ということ。私がワークショップを始めた頃、学校現場では“とりあえずなんとかする”というのはネガティブに捉えられ、“とことん話し合え”が主流でした。

その話し合いの先に求められるのは“みんな同じ意見になること”。今もそれを求める学校もありますが、合意形成能力や折り合いをつける力も大事だと言われるようになってきています。人は同じ言葉を話しているつもりでも、その言葉に対するイメージは一人ひとり違うもの。ワークショップでは、人はそれぞれ自分のイメージで言葉を操作していることを、子どもたちに実感してもらうことから始めます」

少しずつではあるが、日本でも演劇教育が広がりつつある。ただ、それは国語や総合的な学習の時間、探究の時間を使って一部の学校で行われることがほとんどだ。海外では、多くの学校で演劇教育が取り入れられており、日本は後れをとっているという。

「OECD加盟国で演劇の科目がないのは日本を含む3カ国だけです。国語としてやる国もあれば、演劇という科目がある国もあります。韓国や台湾、シンガポールの高校でも行われており、アジアの先進国の中でも日本は後れをとっています。海外では1つの教室にいろいろな肌の子がいますから、多文化共生・多文化理解を目的とした演劇教育をやらざるをえないのです」

平田氏は、日本でも次期学習指導要領に演劇という言葉が何らかの形で入ることを期待しているという。グローバル化の進展で、多文化理解や多文化共生の必要性が高まっているのはもちろん、同一性の強い日本でも外国にルーツを持つ子どもが増えている。

「小学校で当たり前のように授業の中に演劇的なものがあるといいと思っています。とくに10年後の時点で先生が変わっていてくれないといけません。10年後には確実に、多文化理解・多文化共生のための教育が必要になるはず。だからこそ、今からやっておく必要があると考えています」

(文・吉田渓、編集部 細川めぐみ、注記のない写真:編集部撮影)