主体的な学びに必要なのは「自分で選ぶ力」

もともとユニバーサルデザインとは、米国の建築家ロナルド・メイスらが提唱したもので、万人が使うことを想定して設計することで多くの人がアクセスしやすいデザインになるという考え方だ。「学びのユニバーサルデザイン(Universal Design of Learning:以下、UDL)」も同様のアプローチだというが、UDLとはどんなものなのか。UDLの普及に努めてきたバーンズ亀山静子氏は、こう説明する。

バーンズ亀山静子(ばーんず・かめやま・しずこ)
米ニューヨーク州認定スクールサイコロジスト、特別支援教育士スーパーバイザー。早稲田大学大学院非常勤講師、東京家政大学大学院非常勤講師。『UDL 学びのユニバーサルデザイン クラス全員の学びを変える授業アプローチ』(東洋館出版社)のほか「UDLガイドライン」の翻訳も手がけるなど、日本におけるUDLの普及に努めている。北海道教育大学・未来の学び協創研究センター UDLラボ共同研究員

「UDLはメソッドではなくフレームワークです。障害の有無にかかわらず、すべての子が学びのエキスパートになるよう支援する概念フレームワークになります。従来の授業は、先生が知識を教え授けるものでした。UDLでは、教員は知識を授けるのではなく、自分の授業に『存在しうるバリア』を見つけ、それを取り除くべく授業をデザインしていくのです。バリアがなくなれば学習者は主体的に学ぶことができます」

インクルーシブ教育への関心はもとより、今UDLに注目が集まっているのもここに理由がある。2020年にスタートした新学習指導要領に基づき、ICTを最大限に活用しながら「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を図り、主体的・対話的で深い学びの実現による授業改善が求められているからだ。では実際UDLを取り入れると、授業はどう変化するのか。

「例えば、紙の教科書を使った授業では、ディスレクシアや視覚に障害がある人にはバリアが生じます。障害でなくても、外国語話者や読むより聞いたほうがわかりやすいという人や場合もあるかもしれません。そこで『デジタル教科書』『デバイスの音読機能』『キーボード入力』といったオプションや代替策を用意して使える状態にしておきます。大切なのは、先生がこれを使いなさいと指示するのではなく、本人が学びやすいものを選ぶこと。また自分に必要なものを安心して選べる状況をつくることが重要です」

先生は困っている子がいると、つい何かしてあげようと考えてしまいがちだが、あくまで一人ひとりが自分で選ぶことが大切だという。学習者である子ども自身が、自分で選ぶことができなければ、主体的な学びになりようがないからだ。

「ただ『選びなさい』と言うだけでは、やり方がわからない子もいます。ですから、まずは例を挙げながら選び方の基準や判断の仕方を教える必要があります。もちろん、間違えることはあるでしょう。そんなとき、教員が『どうだった?』と気づきを促すことや、『これを試してみない?』と提案するのはいい。ですが、あくまでUDLにおける教員の役割は子どもに伴走すること。教師は足場かけを用意しますが、それを必要に応じて使ったりやめたりするのは子ども自身です。ルーブリックなどで次のステップがどこか確認できるようにしておいて、本人が学習を振り返り、進めていけるように伴走します。学校は子どもが自分で判断、失敗、修正までできるよう練習する場といえるでしょう」

授業に潜むバリアに気づくための指針がある

しかし、授業のどこにバリアがあるのか、どんなオプションや代替策を用意すればいいのかがわからないという先生もいるだろう。

UDLでは、授業は「ゴール、教材、方法・手段、評価」という4つの要素から構成されていると捉え、これらをどうデザインするかを考えていく。

その際、「授業の何がバリアになりうるのか」を考えるときの指針になるのが、UDLの3原則でありUDLガイドラインだ。UDL3原則とは、脳科学の研究を基に作られたもので、UDLの基礎となっている。

UDL3原則
1.  インプットのためのほかの方法やオプションを提供する(「何を」教え、学ぶか)
2.  アウトプットのためのほかの方法やオプションを提供する(「どう」教え、学ぶか)
3.  やる気やモチベーションを維持するためのほかの方法やオプションを提供する(「なぜ」教え、学ぶか)

 

このUDL3原則を基に作られたのがUDLガイドラインだ。UDLガイドラインには9つのオプションが提示されており、1. なぜ学ぶのか、2. 何を学ぶのか、3. どのように学ぶのか、という3要素を「アクセスする→積み上げる→自分のものにする」という3段階で習熟できるようになっている。そのゴールはすべて、「子どもが学びのエキスパートになること」だ。

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出所:CASTのウェブサイトより

学びのエキスパートになるということは、「子ども自身が主体的に学習しながら、先生が提示したオプションに対し、『自分はこの方法でやっていいですか?』と提案できるようになることです」とバーンズ亀山氏は言う。

UDLガイドラインは発達心理学など、さまざまな研究結果をベースに作成されている。そのため、UDLガイドラインを使うことで授業の中にあるバリアに気づくことができるだけでなく、エビデンスに基づいたオプションや代替策を提示できるというわけだ。

障害の有無にかかわらず授業に柔軟性を

近年、日本でも共生社会の実現に向けたインクルーシブ教育システムの実現に注目が集まっている。それに付随して「合理的配慮」が求められるようになっているが、UDLは「どのような配慮をすべきか」を考える指針にもなりうるということなのか。

「合理的配慮とは障害者の権利として守られているもの。つまり、障害のある子ども(人)が、障害があることで教育が受けられないときに教育を受ける権利を法律として保障するものです。そのため、学校や先生には提供義務があります。義務を負っているのは先生と学校です。また先生が『この子にはこうしてあげたほうがいいだろう』と考えて行う類いのものではありません」

ではUDLとは、どう異なるのだろうか。

「例えば、視覚に障害がある子やディスレクシアの子、手を骨折した子に対し、キーボード入力や音声入力を許可することは合理的配慮に当たります。それが使えないと教育にアクセスできないからです。一方、『字が下手で、ほかの子に見られたくないから』という子に対してキーボードの使用を許可するのは合理的配慮とは言えませんよね。しかし、手書きしか許されないことで、その子は不安になったり、学習意欲が低下する可能性もある。キーボードを使いたい理由はそれぞれですが、大人でもパソコンやスマホ、筆記用具などをその時々で使い分けますよね。障害の有無にかかわらず、柔軟性を学習や教室に取り入れましょうというのがUDLなのです」

実際に先生が行う対応自体は同じでも、合理的配慮が児童生徒に付随する権利保障であるのに対し、UDLは授業そのものをデザインするための概念フレームワークであるという違いがある。

「ある特定の子どもを思い浮かべることは『こういう授業をしたら困る子がいる』と考えるきっかけになるかもしれません。一方、UDLは特定の子どものためにオプションや代替策を考えるというより、授業自体にバリアがないかを考えてデザインするもの。その指針となるのがUDLガイドラインです」

UDLガイドラインには9つの項目があるが、すべての項目があらゆる授業に当てはまるわけではない。その授業に必要な箇所をチェックするというやり方でもよいという。そして、バリアになりうる点が明らかになれば、オプションや代替策を用意する。

「オプションを果てしなく増やす必要はありません。大切なのは、これまでとは違うことを一つずつ取り入れ、柔軟性を教室に取り入れること。すると、子どもたちはいろいろなやり方があることに気づき、『この方法ならできます』と提案してきます。しっくりくる方法を自分で見つけられれば、子どもは主体的に学びの舵取りができるようになるのです」

立って勉強ができるスペースを設置するなど、さまざまな代替策、オプションが用意された米国の学校の授業の様子

重要なのは教員のマインドセットの転換

日本でも認知度が高まりつつあるUDLだが、間違った捉え方をされていることもあるようだ。

「自分で舵取りできるようにといっても、学ぶ内容も目標もすべて子どもが決めるわけではありません。授業は先生がデザインするものであり、単元で教える内容も変わりません。また、単元で学ぶべき目標は学習指導要領に沿って先生が決めますが、それと並行して子どもが自分の学習を決めることもあります。例えば、自分は途中で投げ出しがちだから、『諦めずに最後までやる』をゴールにする、といった具合です。このように、UDLはどのように学ぶかを子どもが選べるようにするものであり、決められた学習内容まで変わるわけではありません」

また、「日本は学習指導要領に縛られているからUDLは無理だ」という声も上がるそうだが、個別最適な学びの充実や主体的・対話的で深い学びの実現には、もはやUDLの観点が欠かせないといえるのではないだろうか。

そこで大切となるのは「知識を教える」から「伴走者」へとマインドセットを転換することだ。このマインドセットの転換ができていないうちは、UDLを取り入れた授業を見学してもあまり意味がないという。

「マインドセットが転換していないと、その授業がどんな意図でデザインされているのかが見えにくく、『このアプリを使っているんだな』といった手法に目が行きがち。すると手法だけをまねしたり、『うちでもこれを使っているからいつの間にかUDLをやっていたのだ』と思ってしまうことも。UDLは意図的に授業をデザインすることですから、『いつの間にかやっていた』はありえません。だからこそマインドセットの転換が必要なのです。ただ、先生たちは児童生徒にいかに興味を持ってもらうかをつねに考え、工夫していますから、マインドセットの転換さえできれば、その先はスムーズに進むはずです」

教員が教え、児童生徒が教わるという従来型の学びから、教員が伴走し、児童生徒が主体的に学ぶスタイルへ。そんな学びの転換期を迎える今、さらにUDLに対する注目が集まっていくことだろう。

(文:吉田渓、編集部 細川めぐみ、写真:すべてバーンズ亀山氏提供)