「2年前から準備してきたことが、期せずしてコロナ禍で生かされることになりました」

こう話す広島県教育委員会教育長の平川理恵氏は、昨年度末には、県立高校35校で「1人1台体制」を1年生から学年ごとに進めると決めていた。保護者負担によるBYOD(Bring Your Own Device)でデジタル機器を導入しようと考えていたのだ。

広島県では23の市町教育委員会が市町立学校(主に小・中学校)を管轄。県教育委員会が県立学校(主に高校、特別支援学校)を管轄するのに加えて、市町教育委員会に対して指導、助言などを行っている。この県が管轄する県立高校81校のうち35校について、BYODで導入したデジタル機器を教育現場で活用する取り組みを、今年4月から本格的にスタートする体制を整えていたのである。

BYODによる「1人1台体制」スタートした矢先の長期休校

その矢先の長期休校だった。そこで県教育委員会は、早急に各家庭のデジタル機器所有の有無、インターネット環境について調査。県立学校では「自由に使えるデジタル機器を持っていない生徒」が11.7%、「自宅に無制限のWi-Fi環境がない生徒」が12.5%という状況を把握し、対象となる生徒たちにはデジタル機器などを貸し出す施策を行ったという。

「オンライン教育の三種の神器といえるのがデジタル機器、通信接続、学習用クラウドサービスのアカウントです。とくに学習用クラウドサービスのアカウントについては4月の段階で全県立学校生に、そして市町村教育委員会の学校の全児童、生徒に付与することにしました。

現在活用しているグーグルの学習用クラウドサービスの導入については、昨年から導入を決定しており、教員研修で利用方法についても説明してきたため、混乱が起きることはありませんでした。コロナ禍でもいかに教育を継続するのか。まさに背に腹は代えられない状況の中で、スピード感を持って対応することができたと思います」

この学習用クラウドサービスについては、アンケートによる生徒の健康観察のほか、教員と生徒の連絡・相談、チャット機能などを応用した学習指導などで活用したという。休校中は、勉強に加えて生徒の不安やストレスなど心の問題も心配されたため、「独りじゃない」と思ってもらえることに高い効果を感じたという。

「学習用クラウドサービスを使って時間割を決め、1日5時間のオンライン授業をした学校もあります。そうしたデジタルツールに生徒はすぐに順応しますが、教員の中には慣れるまでに時間がかかる人もいます。そのため、広島県では昨年から若手教員を中心に推進教員を認定し、各県立学校での習熟レベル向上をカバーしています。いつ、また長期休校になるかもしれないなど、各学校長も危機感を持っており、積極的にデジタルツールを活用できる環境を整えようとしています」

子どもが楽しくなる「問いかけ」をつくり出す研修とは

クラウドサービスを使って共同編集する様子(広島県立油木〈ゆき〉高等学校)。各自の意見を付箋に書き込んで集約し、関連する意見を分類している

県教育委員会では4月に「学校教育情報化推進課」も創設。16人の指導主事を置き、各県立学校のデジタル環境の状況を把握し、学校間の情報の共有化、教員への提案や指導を行っている。

「教育にICTを導入することについては、さまざまな議論がありますが、まずはやってみることが大事です。海外の事例を見れば、リアルの授業も変わらざるをえない状況にあると考えます。リアルの授業が面白くないのに、ICTを使った授業が面白いはずがありません」

そこで今進めているのが、子どもが楽しくなる「主体的・対話的で深い学びをつくり出すため」の教員研修だ。この研修では定評のある「ブルーム分類学」を活用している。これは単に知識を問うようなものではなく、子どもの思考を高度化する「本質的な問い(エッセンシャルクエスチョン)」を教員がつくり出し、スキルを求める発問までをつくれるようにする考え方だ。

例えば、社会の授業ではミシンが登場する以前と以後の生活を比較し、ミシンの登場によって何が可能になり、どのような新しい仕事が生まれたのか。それらの変化を年表と合わせて調べることによって産業革命の意味を知るといった具合だ。

「生徒たちが本当にアクティブラーニングできるような教科横断型、プロジェクト型の学習を実現させたい。そのためにICTとカリキュラム作りの研修を統合して行っています。せっかくオンライン教育をしているのに、ノートテイキングだけの授業では意味がありません。教育を変えれば生徒たちの目も変わります。実際、まずは商業高校で新たな授業スタイルを提案したことで、生徒たちの意欲も高まっています。将来、地元を担う彼らにこそ、新たな教育を届けたいのです」

今、リアルな授業をも変えうるような影響力を持つオンライン教育だが、県教育委員会では国が進めるGIGAスクール構想の後押しもあり、さらに強化を図っていく方針だという。

「学校の通信接続環境が、まだ十分ではありません。今後はWi-Fi環境をさらに充実させ、学校のどの教室でも通信が接続できるようにしたいと考えています。また家庭の事情でデジタル機器を所有できない生徒についても、給付金を創設してサポートを行っています。すべての生徒がデジタル機器を所有できるまで待つのが理想かもしれませんが、とにかくトライ・アンド・エラーの中で、少しでも前進するしかありません。そうして前進していけば、その総量は次第に多くなっていき、最終的にすべての生徒に行き渡らせることができるのです」

全国では二の足を踏む自治体もある中で、いち早くオンライン教育の体制を整えつつある広島県教育委員会。その先頭に立ってきた平川氏はこう語る。

広島県教育委員会教育長 平川理恵(ひらかわ・りえ)
京都市生まれ。1991年同志社大学卒業後、(株)リクルートに入社。1998年南カリフォルニア大学経営学修士(MBA)取得。1999年留学仲介会社を起業。2010年全国で女性初の公立中学校民間人校長として横浜市立市ヶ尾中学校に着任。2015年横浜市立中川西中学校校長。文部科学省中央教育審議会の各委員を歴任し、新学習指導要領改訂作業に携わる。2018年4月から現職。内閣官房教育再生実行会議有識者。著書に『クリエイティブな校長になろう』(教育開発研究所)、『あなたの子どもが「自立」した大人になるために』(世界文化社)など

「デジタル機器を使えない生徒を出したくないのです。それは彼らが今後の人生を生きていくうえで大きなリスクになりうるからです。オンライン体制を整えていくには困難もあるかもしれませんが、なぜ必要なのか、地道に説得する機会を持つことも欠かせません。多くの教員は積極的であり、このコロナ禍の中で、教員の皆さんの頑張りもありオンライン教育が前進しました。これを機会に私たちは今後もオンラインによる新たな教育スタイルを広めていきたいと考えています」

今から2年前、広島県に来た時「この人、宇宙から来た!と思っていたと思う」と自分に対する周囲の評価について笑顔を交えて話す平川氏。だが、どの施策についても、なぜ必要かを丁寧に説明してきたという。中でも面白いのが、あのリクルートの創業者、江副浩正氏もやっていたというトイレの壁新聞だ。自分の率直な気持ちを伝える手書きの新聞を通じて、さまざまな人の意見が集まってくる。改革を進める仕掛けが、ここにもある。

(写真はすべて広島県教育委員会提供)