フロッピーディスクの時代、1989年から「ICT教育」を開始
1984年、中高一貫教育の男子校として開校した神奈川大学附属中・高等学校。当時は、厳しい受験指導や詰め込み教育が問題視される時代だった。そうした中で初代校長の大澤清克氏は、グローバルな視野を養う教育の必要性を感じ、「情報教育」「理数系教育」「英語教育」の3本を柱とする構想を打ち立てたという。その情報教育を託されたのが、87年に入職した小林道夫氏だ。
その頃はICT教育を行っている学校がまだまだ少なく、小林氏は、先行して情報教育に力を入れていた国立大の付属高校や研究会などを訪ね、勉強を重ねたという。そして89年に約50台のパソコンを配したコンピューター教室が設置され、同校のICT教育がスタート。小林氏は次のように振り返る。
「タイピングや表計算、プログラミングを中心とした授業を展開していましたが、当時はフロッピーディスクで起動やデータ保存を行っていた時代。転機となったのは、パソコンをリプレースした頃です」
プログラミングやコーディングの学びに限界を感じ、94年にAppleのMacintoshを導入。これを機に、現在の同校のテーマである「問題解決のためのICT活用と表現」という方向性が見えてきたという。
プログラム機能を持ったカード型プレゼンテーションソフトのHyperCardを使い、グループ活動や課題をまとめて発表するアクティブラーニングに力を入れるほか、AdobeのPhotoshopなど文字ベースではない表現が可能なソフトウェアも取り入れた。「とくに当時はインターネットがなかったため、創造性を育めるツールを選ぶことが非常に大切でした」と、小林氏は言う。
96年にはインターネットの活用を前提とした「情報教育の基本方針」を策定。中・高6年間を通したカリキュラムの実施、Webページの作成と情報発信、コンピューターを表現の道具として創造性の開発と個性の発揮を目指すこと、国内外での共同研究などを基本方針とした。
こうした方針の下、さまざまな活動が広がっていった。例えば98年からは、学習に利用できるWeb作品を日本語と英語で制作するコンテスト「ThinkQuest(現・全国中学高校Webコンテスト)」に毎年応募しており、何度も入賞を果たしている。
2010年からは早くもロボット教育をスタート。チームでセンサーロボットを作りプログラミングを行って競いながら成果発表をする問題解決型学習である。12年からは、宇宙エレベーターロボット研究も始まった。現在、同校では中3になると全員が、宇宙ステーションに人や物資を運ぶ宇宙エレベーターについて学び、地上とステーションを昇降するロボットを作り成果を競う競技会に参加する。
1人1台端末で生徒による「学習管理」が可能に、学力も向上
同校ではコロナ禍前の2018年に、中3全員にタブレット端末のSurface Goを導入。19年には中2〜高1の全員、22年には全生徒の1人1台端末の活用を可能にした。現在、基本的に教材は電子黒板に投影し、生徒はすべての授業でタブレット端末を活用。担任などからの連絡事項の確認、出欠確認、課題の配布や提出、教材配信などは、すべてアプリやクラウドを通して行っている。
中3と高1が2学年合同で行う「探究の時間」における変化を紹介しよう。この時間は、国際問題や宇宙など20以上のテーマの中から、生徒たちが自分の興味のあるゼミを選択し、4~5人のグループで探究活動を行う。中間発表や論文作成のためのリサーチや資料の共有にタブレット端末をフル活用するようになったのはもちろん、コロナ禍ではZoomの活用が一気に進んだという。
「生徒たち自身が研究テーマに合った専門家を探して直接コンタクトを取り、オンラインで話を聞くことができるようになったのです。以前は専門家の話を聞くとなると講演形式でしたので、時間もお金もかかり大変でした。しかし現在は、生徒たち自身が直接大学の研究室や研究機関とつながることができるようになりました」
また、生徒たちはICTツールを学びの武器にできただけでなく、教員を頼らなくなったという。1人1台端末の導入に当たって、教員にも生徒たちにも「目的は生徒自身が自律し、学習管理を行えるようにするため」という考えを事前にしっかりと共有したというが、「実際、何事も自分たちで進んで解決するようになりましたね。グループミーティングをはじめ研究の進め方も上手になったと思います」と小林氏は言う。
教材や連絡事項だけでなく、自身の成績データ、大学入試の情報や過去問データ、大学説明会の動画までクラウド経由でアクセスできるようにしたことで、生徒は必要な情報を必要なときに自ら取りにいけるし、学習の管理や振り返りも自分でできるようになった。質問も、校内で先生をわざわざ探さなくてもタブレット端末を介してすぐできる。
「逆に『先生がいないからできません』『宿題は聞いていません』と言えないんです。まだ検証はできていませんが、事前に教材配信や計画の伝達を行うことで、生徒たちはやるべきことが明確になり、自ら動けるようになっていると感じます。人に言われてやるより、自分で考えて行動するほうが楽しいですしね。また、限られた時間を上手に使ってスケジューリングできるようになったことが、学力向上にもつながっていると思います」
21年度の卒業生219人のうち、国立大学の現役合格者は65人と、前年度の47人から大きく伸長。そのうち3人は東京大学に合格した。小林氏は次のように分析する。
「進学実績は毎年異なるものですが、テストや成績がデータとして可視化されていつでも確認できるようになったため、しっかり勉強をしなければという意識は以前より強くなったと思います。また、宇宙エレベーターロボットなどICT教育に力を入れている点に引かれて入学してくる子も多く、ここ数年は理系希望者が増加傾向にあります」
ICT活用を広げ「働き方改革」にもつなげるため必要なことは?
ICT活用は、教員の働き方改革にも寄与している。現在、会議では紙は配らずに資料は共有サーバーに上げており、議事録もMicrosoftのデジタルノートアプリ「OneNote」でまとめている。
「これにより100人以上いる教員の情報共有がスムーズになりました。その分、教員もある程度、授業や指導など生徒と向き合う時間を増やせているようです。また採点アプリも導入しているので、答案をPDF化することで採点や集計が楽になっただけでなく、答案の紛失や改ざん防止などのリスク管理にも役立っています」
しかし、当然ながらパソコン操作を苦手とする教員もおり、当初からスムーズにICT活用がうまくいったわけではないという。
「今、多くの学校がGIGAスクール構想で苦労されていると思いますが、私も最初は何が必要で、それを年度ごとにどう充実化させていけばいいのか、ロードマップを描くことがすごく難しいと感じました。ただ確かなことは、いくら機器が整備されていても、先生が使ってくれなければダメだということ。学校全体で活用を広げるには、先生方の不安を払拭し、理解してもらうことが重要になります」
小林氏は、教員の負担と不安を減らすため、校内に専門の職員が常駐するICTサポートセンターをつくった。生徒と教員の情報端末は計1400台以上あるので、機器の管理やトラブル対応、アプリのアップデートなどの問題はすべてこのセンターが対応している。
また、MicrosoftのOfficeや授業支援クラウドシステムのロイロノート、学習管理システムのClassi、オンライン学習サービスのスタディサプリなど、基本ツールの授業活用の研修は頻繁に開催。「とくに生徒の1人1台端末の導入を始めた2018年からの3年間は年間5~8回ほど研修を行いましたが、教員全体のリテラシーが上がりました」と、小林氏。ただ、「ここまでは最低限できてほしい」というレベルを高くしすぎないよう注意した。
さらに「自由度を設けることも大切」だと小林氏は言う。教科により特性が異なり、教員によっても教え方は違うため、教員が自身で最適なものを選べるようアプリも豊富に用意したという。
22年春から高校で「情報Ⅰ」の授業が始まり、25年には大学入学共通テストの出題科目に「情報」が加わる予定だ。
「『情報Ⅰ』は本校でもすべての要素を網羅する形で教えていますが、おそらく入試で出される問題はもっと難しくなるはず。座学だけで理解することは難しく、とくに実際にプログラミングをしてみたり、ポスター作りなどのデザインを経験したりしないと解けない問題が出るのではないかと思っています。今後は授業を行ったうえで、本格的な対策を考える必要があると感じています」
しかし、同校は約30年前からクリエーティブツールを多数導入しており、創作実習にはアドバンテージがあるといえるだろう。行事や生徒会選挙でポスターやWebサイトを作ったり、学園祭ではプロジェクションマッピングを作って披露したりと、使いこなす生徒も少なくない。
生徒のクリエーティブ能力をさらに高めるために、22年度からは生徒の1人1台端末にAdobeのCreative Cloudを導入している。長年ICT教育に取り組んできた小林氏は、次のように強調する。
「何をするにもICTを使って表現できるかどうかで、やれることは大きく変わります。これは今後の話ではありません。今すでにもう、ICTを確実に扱うスキルと問題解決力を身に付けることは必須の時代になっているのです」
(文:酒井明子、写真:神奈川大学附属中・高等学校提供)