公教育の市場化と民営化が進み「教育格差」が拡大
教育研究者の鈴木大裕氏は、16歳で単身、アメリカの全寮制高校に留学。当時のアメリカの教育に衝撃と感銘を受け、そのまま現地で大学・大学院を修了し、日本に帰国して公立中学の英語教員となった。その後、アメリカの教育改革について学ぶため家族と共に再渡米し、教育哲学者・故マキシン・グリーン女史の助手や講師を務めるほか、東日本大震災の復興支援団体や教育アクティビストネットワークを立ち上げてきた。2016年から高知県の土佐町に移住、現在は教育を通した町おこしに、土佐町議の立場から取り組んでいる。

教育研究者/土佐町議会議員
16歳で単身渡米し、スタンフォード大学大学院修了後に千葉市で中学校の教員を6年半勤める。再渡米してコロンビア大学大学院博士課程で学び、人口4000人弱の高知県土佐町へ移住。2019年に町議会議員に立候補して以来、2期連続トップ当選。教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行っている。著書に『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)、『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)
(写真:本人提供)
アメリカの教育改革に憧れて再渡米までした鈴木氏だが、「新自由主義がアメリカの公教育の崩壊を招いた」と指摘する。
「アメリカで教育を受けてその教育を批判する人は珍しいとよく言われますが、アメリカへの愛があるからこそ。再渡米して教育改革の実態を知り、2人の子どもを現地の公立校に通わせる中、今のアメリカの教育は本来の姿ではないと感じるようになりました」
では、新自由主義的教育改革によって、アメリカの公教育はどう変わってしまったのか。
「公教育の市場化と民営化が進みました。教育改革を市場原理に委ねてビジネスのように学校を競争させるようになり、教育の序列化と貧弱化が起こったのです。すばらしい施設や教員を揃えているような私学顔負けの公立校があれば、教科書や備品もままならないような公立校もある。そんな公教育の二極化を引き起こしました。本来なら経済格差を是正すべき公教育が、逆に経済格差を再生産するエンジンと化してしまったのです」
公教育の市場化が本格化したきっかけは、2002年に制定された「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind=NCLB)」だという。「学力標準テスト」と「結果責任」という2つを軸にしたこの改革により、教育格差は拡大した。
「それまでは富裕層と貧困層の『教育機会の格差』の是正が課題だったのに、同法によっていかに『学習到達度の格差』を解消するかが問われるようになり、テストの成績が悪い学校は次々と閉鎖されていきました。そうした学校の多くは、貧困の問題を抱える家庭が多い地域にあります。教育的ニーズの高い子どもたちが廃校によって学校をたらい回しにされるようになってしまったのです」
教員ランキングという格付けが、ロサンゼルス・タイムズやニューヨーク・タイムズなどの主要紙で始まった影響も大きい。テストの点数をいかに上げるかが教員の指導力の指標となり、「何を教えるのか、どのように学ぶのかというカリキュラムの基準も学習到達度の基準にすり替わってしまった」と鈴木氏は話す。
「そうなると、貧困地域の成績がふるわない子どもを教えることが教員にとってリスクになります。本来なら教育的ニーズの高い子どもを任されるのは力量がある証しですが、そのような子どもが多いほど自分の給料が下がったり廃校になって働く場を失ったりするリスクは上がるため、ベテラン教員ほど郊外の裕福な地域に逃げるようになったのです。その結果、貧困地域では、踏みとどまって頑張ったものの教員ランキングの低下を受け自死を選ぶベテラン先生が出てくるほか、非正規免許しか持たない経験の浅い教員ばかりになってしまいました」
「学習スタンダード」が拡大、教員の労働環境格差も顕著に
教育的ニーズの高い地域の学校ほど、学校側は廃校や解雇を回避しようと、子どもたちの学力を上げるため、テスト対策に必死になる。政府と教育産業の癒着も相まってテスト至上主義は加速し、テストの数も雪だるま式に増えていったという。
「私はアメリカ在住時、ニューヨークの貧困地域であるハーレムの公立小学校に2人の子どもを通わせていたのでその様子を目の当たりにしましたが、テスト重視で部活動や課外活動も縮小の一途でした。一方、裕福な地域ではテスト至上主義とは無縁の充実した全人教育を行っていました。両親も教養があり、家庭での学習サポートが十分できるため子どもたちの成績はいい。つまり、テスト対策をする必要がないから、感性や批判的思考力、リーダーシップを養って文武両道を目指すような教育や課外活動ができるのです。このように教育は二極化してしまいました」
新自由主義の影響によって、「教育が商品になってしまった」と鈴木氏は嘆く。
「教育はお金を出せば買うことのできる商品に、学校と教員は教育という商品のサービス提供者に、子どもと保護者は消費者になってしまいました。教育委員会はお客様(消費者)のクレーム受付係です。結果として、アメリカの公立校はサービスに徹し、授業と生徒指導のマニュアル化によってクレームのリスクを減らすという対応が広がりました」
マニュアル化とは、いわゆる「学習スタンダード」や「ゼロトレランス※」と呼ばれるものだ。例えば挙手の角度やうなずき方なども細かくルール化されており、それが守れない子どもたちは、停学や退学を余儀なくされることになった。
※秩序の乱れが起きないよう、学校規律の逸脱を許さない厳格な生徒指導方針
「些細な規律も守れないと教育を受ける権利がはく奪されるため、子どもたちはいつ自分がそうなるかと恐れながら学校に通うようになりました。貧困地域の公立学校は、ファストフード店のように学校を増やす『マックチャーター』と呼ばれる公設民営学校チェーンにどんどん置き換わりましたが、とくにそうしたチェーンは効率化を図るため、学習スタンダードやゼロトレランスを採用しています。裕福な地域では教員もゆとりと裁量のある豊かな教育ができる一方、貧困地域ではマニュアル化で裁量もなくテスト対策で多忙化するという、教員の労働環境の格差も顕著になっていきました」
トランプ政権でどうなるアメリカ、日本が目指すべき教育は?
日本の公教育も、そんなアメリカの失敗を後追いし、危機的状況に陥っていると鈴木氏は指摘する。
「2007年から43年ぶりに『全国学力・学習状況調査』が復活しましたが、本来なら抽出式でいいはずなのに、全小中学校を対象とした悉皆調査(全数調査)が採用されました。その後、自治体別、学校別の成績も開示できるようになりました。結果、日本でも東京や大阪の都市部を中心に市場型の学校選択制が拡大しました。各公立校が生き残りを懸けて生徒を奪い合う市場的な状況が生まれてしまったのです。現行の学習指導要領でも、『何ができるようになるか』という学習到達度が重視されるようになったほか、テスト対策に明け暮れるような学校の『塾化』も進んでいて、日本もアメリカと似たような状況になっていると思います」
確かに、主体的・対話的で深い学びが推進されている一方で、テスト至上主義の教育観から抜け出せない、学習スタンダードで厳しく子どもたちを管理しているなどの現場はあり、アメリカの状況が他人事とは思えないところがある。
そんな中、アメリカでは自国第一主義を掲げる第2次トランプ政権の誕生によって、新たな混乱が生じている。教育省廃止や脱DEIなどが推進され、教育現場にもすでに大きな影響が出始めている。今後、アメリカの教育現場はどうなっていくのだろうか。
「落ちこぼれ防止法からの一連の流れを受け、各州の教職員組合は危機感を抱いてストライキを始め、それを保護者や生徒も支える形で2018年頃には全米へと新自由主義教育への反発が波及していきました。いわば民主主義の再生が進み、子どもや教員の権利の保障につながっていったのですが、トランプ大統領の再登場によってその流れはまた逆戻りとなるでしょう。保守派は自己責任を求めます。私がいただいたフルブライト奨学金もなくなると聞いていますが、構造的な不平等や格差が無視される社会になっていくのではないでしょうか。ただ、そうした抑圧に立ち向かうエネルギーがあるのも、アメリカの面白いところだと思います」
今後アメリカの変化がどのような形で日本の教育に影響を及ぼすのかはわからないが、日本でも今、教育格差は広がっている。さらに、教育改革や働き方改革が推進されているものの、不登校やいじめは増え続け、教員の精神疾患の増加や教員不足も深刻化しており課題が山積している。
鈴木氏は、大前提として「教員が尊敬される世の中にならなければ、真の教育改革はできない」と語る。そのうえで、現在検討が始まっている次期学習指導要領について、こう述べる。
「今の教員や子どもたちは忙しすぎます。教員が勤務時間内に翌日の授業準備ができ、休憩もしっかり取れるよう標準授業時数はもっと削減すべきでしょう。また、そもそも文科省が学習指導要領を法規のように扱ってきたことも、問題だと思います。学習指導要領には法的拘束力はなく、大綱的な基準でしかないはず。文科省が『絶対に守らなければいけないものではなく、あくまで基準』という認識を示すことで、現場は目の前の子どもたちに必要だと思われるものについて柔軟に対応できる裁量が生まれるのではないでしょうか。学びのスタイルも、教育現場の課題を踏まえれば、授業は午前中だけにして午後は1人ひとりの興味・関心に寄り添うなど、柔軟に変えたほうがよいと思います」
社会が目まぐるしく変わっていく中、日本はどのような公教育を目指すべきか。鈴木氏は次のように語る。
「私の原点となった母校のアメリカの高校では、あえて危険の中に放り込まれサバイブするキャンプなどもあって、人間らしい感性を育んでもらいました。卒業生には、スポーツ選手や軍人、政治家、アーティスト、コメディアンなどもいますが、学校が生徒1人ひとりのやりたいことや強みをとことん伸ばしてくれたからこその活躍だと思います。そうした教育は、公教育でもできるはず。AIの時代が到来するからこそ、自分の考えを人前で話す力、スポーツなどを通じたリーダーシップなど、人間らしい感性を大切にした教育が必要だと考えています。ICTについても、あくまでツールと捉えたうえで、単なるテスト対策ではない、豊かな学力観、教育観を持って活用すべきです」
(文:國貞文隆、注記のない写真:wavebreakmedia/PIXTA)