養護教諭の84%が「自腹経験あり」、リアルな実態
まず、にこさん自身の経験を聞いてみた。

養護教諭インフルエンサー
高校時代の友人の母親が養護教諭で、仕事と家庭のバランスや充実した様子に憧れを抱き自身も養護教諭を志す。大学では心理系を専攻し、公立学校7年、中学校に2年勤務したのち、2022年に退職。養護教諭のワークライフバランスに興味を持ち、コンサルタントの資格を取得。現在はInstagramを中心に総フォロワー1.9万人を持つインフルエンサーとして養護教諭の魅力を発信する
(画像は本人提供)
「私は倹約体質なので、『なるべく自己負担はしないぞ』と思って働いていました。初任の自治体は比較的予算があり、保健室の備品購入に充てる保健費が極端に少ないわけではありませんでした。また事務職員の裁量権も大きく、『保健費は必要経費だから』とほかの予算を削っても確保してもらえるなど、恵まれた環境でした」
しかし、そんなにこさんにも自己負担の経験はあった。
「体調不良の子どもをタクシーで病院に送った場合、行きは公費が出ますが、帰りは出ません。特に遠い病院の場合はタクシーだと高額になるので、電車を乗り継いで学校に戻りました」
救急搬送も同様で、救急車に同乗して病院に届けた後、帰りの交通費は自費なのだと言う。にこさんは、「多くの養護教諭は、これが『自腹だ』という意識すら薄れているのでは」 と、「見えない自腹」の常態化を指摘する。勤務校は比較的恵まれた環境だったにもかかわらず、当然のように一定の出費があったという事実は、この問題の根深さを物語っている。
にこさんが2025年7月からSNSで実施したアンケートからは、全国の養護教諭がどのような場面で自己負担をしているのか、具体的な実態が見えてくる。このアンケートには、にこさんのInstagramアカウントのフォロワーの養護教諭を中心に約1000人以上が回答し、その84%が「自腹を切った経験がある」と答えている。

また、東山書房の『健康教室 2025年5月号』に掲載された、今年2月28日〜3月10日のアンケート結果によれば、年間で仕事に使う私費の金額としては「年1万~3万円」が最多で39.9%、中には「年9万円以上」との回答もあった。

さらに、アンケートで挙げられた具体的な「自腹」事例は多岐にわたる。
修学旅行の負担大、学校医のお茶・急ぎ対応も自腹で
<宿泊行事や修学旅行での“見えない”負担>
最も多くの声が寄せられたのが、修学旅行や宿泊行事の引率にかかる費用だ。
「立て替えで先に支払い、手当の形で後から戻ってくるのですが、結局こちらの持ち出しが多くなるのはよくあることです。養護教諭は全学年の宿泊行事を引率するケースが多く、年間では担任教員より回数が多くなります。通常は、子どもが学校にいる時間の労働に対し給与をもらいますが、宿泊行事中は24時間ずっと気を張って過ごさなければなりません。さらに自腹まで切っているとなれば、心理的な負担も大きくなります」
引率中の見学先や行程に関連した自己負担もある。
「劇場やテーマパークに同行しても、体調不良の子どもの付き添いや救護室待機のため、入場料を支払っていながら外で待機していることもあります」。 チケット代は事前に団体料金で徴収・支払いがされるため、払い戻しは難しい。年間を通じて数回引率すれば、合計数万円の自己負担になるケースもざらだという。
<学校医や講師へのお茶出しなど“おもてなし”費用>
驚くべきことに、学校医や外部講師へのお茶出しや手みやげも、養護教諭が自己負担で行っているケースがある。「学校保健予算で購入できる物品が限定されていたり、取引業者のカタログに掲載されていないなど、事前に購入できない状況があるのかもしれません」と、にこさんは語る。
<緊急時やイレギュラー対応で“仕方なく”自腹購入>
なかでも切実なのが、緊急時や突発的な事態に対応するための自己負担だ。「経口補水液(OS-1)、ナプキンや替えの下着などを自腹で購入した」「子どもたちのために無償で準備した」「カタログ注文だと時間がかかるので、薬局で買った」 といった声が多数寄せられている。
「子どもの健康に関することは『今すぐ必要』という状況に陥ることも多いです。そこで、学校のシステムと緊急性との間で養護教諭が板挟みになってしまい、自己負担につながるのではないでしょうか」
<日常の消耗品や備品に及ぶ“ちりつも”の出費>
ほかにもアンケートからは、日常的に使う文房具や掲示物、保健室の整理収納用品を自己負担している様子が読み取れる。「整理収納用のカゴや画用紙などは、100円ショップで買った方が早いし安い」との声は多い。学校予算で購入できる物品に、ちょうど欲しいサイズや色・品質のものがなかったり、発注手続きに手間がかかる、などの理由からだ。
「勤務帰りに100円ショップでさっと見て買った方が早い、と思う感覚はわかります」
その他、尿検査を病院に提出するための自家用車ガソリン代、運動会で使う氷、応急手当ての授業で使う救急セット、体調不良の子どものための食事や飲み物など、多岐にわたる項目で自己負担が発生していることが明らかになった。

「自腹」が常態化してしまう学校現場の“構造的な課題”
これらの自己負担は、単に個人の善意や判断だけに起因するものとも限らない。背景には、学校現場が抱える構造的な課題がある。にこさんはまず、学校保健予算の少なさにも自腹の原因があると見ている。
「そもそも、学校の保健費は年数万円のケースが多いのではないでしょうか。その中から、せっけん、絆創膏など確実に減っていく消耗品を購入すると、それ以外の余白はそう多くありません」
さらに、物価が高騰して購入できる物品数が減ることで、養護教諭の自己負担が今以上に増えることも懸念される。
一方で「予算ギリギリでやりくりして、万が一年度末で不足したら……」というプレッシャーもあるようだ。
「またコロナ禍のような緊急事態が起きて、大きな支出がでたらどうしよう、という意識が出費を控えさせ、結果として本当に必要なものへの支出を躊躇させる要因となっている可能性があります」

学校での物品購入は、一般家庭での買い物とは大きく異なる。オンラインで買って翌日届くわけではないのだ。
「発注手続きや承認フローは煩雑で、多忙な中ではつい後回しになりがち。その結果、緊急時に必要な物品が間に合わず、自己負担につながってしまうのではないでしょうか」
また前述のように、指定のカタログからしか物品を購入できない点もネックだ。取扱品目やメーカーに限りがあるため、その範囲ではニーズを満たせないこともあると言う。
校内で「当たり前」とされている慣習が、自己負担を常態化させている現実もある。にこさんによると、保健費の使い道は学校ごとに違いがある。
「そのため、現任の養護教諭がその場を乗り切るために自己負担で購入すると、それが後任の養護教諭にも引き継がれてしまうのです。前例踏襲でこれが慣習として根付けば、途中で変えたいと思っても、養護教諭1人の一存ではなかなか変えられない。前任校では予算で買えたものが、異動先ではずっと養護教諭の私費で支払われていたと知って驚くこともあると思います」
自腹の慣習を変えられない、保健費アップを言い出しにくい原因の1つとして、養護教諭が各学校に1人しかいないことが多いこともある。
「予算の適切な使い方や、公費で買える物品に関する情報が共有されにくいのです。とくに予算要望の調整や申請方法については、経験値によるところが大きいと思います。若手の養護教諭はそのノウハウを身に付ける機会が少なく、ほかの学校の養護教諭と『〇〇の費用はどう申請すればよいですか?』と会話する時間もありません。孤独な状態で不安を抱えている養護教諭は多いのではないでしょうか」
自腹問題の根本にあるのは、養護教諭の「働き方」
にこさんは、「自腹問題は、お金の問題ではなく働き方の問題」 と指摘する。「かかった経費は職場で申請すればいいのでは?」と言うのは簡単だが、多忙な日々の中で、時間や労力をかけるよりも自分で買ってしまった方が早い、という現場の疲弊感が自己負担を助長していると言えよう。
さまざまな要因が複合的に作用し、教員の自己負担が増えることで働き方の負担感にもつながっている養護教諭の「自腹問題」。現状を変え、養護教諭が安心して働ける環境を作るためには何から始めればよいだろうか。
「まず、養護教諭自身が自腹問題を一人で抱え込まないことが重要です。1人でも2人でも相談できる人を校内に作る、地域やオンラインで同じ養護教諭のネットワークを作って情報交換することを勧めます。それができてきたら、お茶出しなどの慣習を見直して『思い切ってやめる』につなげていけるのではないでしょうか」
保健費不足の悩みには、保護者や子どもたちの声を活用することも有効だ。例えば、保護者から「熱中症対策のために、経口補水液や塩分タブレットを準備してほしい」などの具体的な要望があがれば、養護教諭も管理職や教育委員会などに申請しやすく、予算を動かす強い力になるという。こうした要望は「オンラインアンケートなどを活用して見える化もできます」とにこさんは語る。
また自治体レベルでは、共同調達など効率的でタイムリーな物品調達システムの構築も求められる。
「せっけんなど必須の消耗品については、学校ごとではなく自治体がまとめて購入・配布する方式を採用しているところもあります。これは、効率化と個々の学校の業務負担軽減につながる可能性があると思っています」
養護教諭の「自腹問題」は個人の負担にとどまらず、子どもたちの安全や健康管理、そして養護教諭自身の働き方にも直結する課題だ。
「必要な学校保健備品や消耗品を適切に確保する体制を整えるために、管理職と養護教諭が横並びのチームとなって、『子ども中心』で予算編成を考えてほしいです。その中で、過剰な業務を手放す流れができれば、学校全体の方針として、これまで自腹で続いてきた慣習的な業務も徐々に廃止されていくのではないでしょうか」
(文:長尾康子、注記のない写真:Fast&Slow/PIXTA)