「何もしない」「消費しない」寝そべり族はなぜ生まれたか

筆者が「躺平」という言葉を初めて目にしたのは2021年5月だった。筆者は頻繁に中国のSNSを見ているが、そこに突然、現れたのがこの言葉だった。「躺平」とはもともと「横たわる」「寝そべる」などの意味だったが、それが転じて「結婚しない」「最低限しか働かない」「消費しない」「何もしない」などの低意欲、低欲望のライフスタイルを指す言葉として登場した。

きっかけは同年4月。ある中国人が中国のコミュニティサイトに「寝そべり主義は正義だ」と書き込んだこと。この文章はすぐに削除されたものの、ネット上でバズり、肯定的に受け止められて、瞬く間に拡散された。

どうせ、がんばっても報われない(努力して勉強してもいい学校に入れないなど)なら、いっそのこと、何もしない方がよいではないか、と潜在的に考えていた人々がこの投稿に同調。「無気力でもいいんだ」と考えたのだ。

「自分も寝そべろう」「私ももう何もしない」と思う人が増え、大きな反響を呼んだ。あまりにも大勢の人がSNS上で「私も躺平する!」と書き込んだことから、その年の流行語になった。以来、3年以上が経つが、今もしばしば使われている。

衝動的に仕事を辞めてしまう「裸辞」

もう1つ、「裸辞」は2010年頃から使われ始めた言葉で、意味は「転職先を決めずに仕事を辞めること」。中国語で「裸」は「何もない」という意味で、以前、お金をかけない「裸婚」(ルオフン=何もなし婚、地味婚)という言葉が流行ったこともあった。

それと同じく、後先のことを何も考えずに仕事を辞めることをあらわす言葉として、最近、中国版Instagram と呼ばれるSNS「小紅書」(シャオホンシュー)などで再び注目され、若者の間で使われるようになっている。

「裸辞」は主に2種類に分けられる。1つは労働時間が長すぎたり、仕事のプレッシャーがあまりにも大きすぎたりして、それに耐えられないことから、すべてを投げ出して「裸辞」に至ること。もう1つは、職場環境がよすぎて(ホワイト企業すぎて)、逆に不安にかられ、目標を見失ってしまったことから退職に至るケースだ。

大手IT企業などでは過労死寸前まで働かされることがあるが、中小企業や一部の企業の中には、がんばらなくても十分やっていける企業もある。だが、がむしゃらに働いている同級生がどんどん出世していく姿などを見ると、「自分はこんな楽な企業に腰を落ち着けていていいのか」という気持ちになるようだ。多くの場合は1つ目の理由だが、衝動的に辞めてしまうという点では同じだ。

進学と就職にかかる大きすぎるプレッシャー

「躺平」と「裸辞」に共通している問題として、中国でしばしば議論になることの1つは、厳しすぎる受験戦争の反動ではないか、という点だ。

中島 恵(なかじま・けい)
1967年、山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経てフリージャーナリスト。中国、香港など主に東アジアの社会事情、ビジネス事情についてネットや書籍などに執筆している。主な著書に『中国人エリートは日本人をこう見る』『中国人の誤解 日本人の誤解』『なぜ中国人は財布を持たないのか』『日本の「中国人」社会』(いずれも日経BPマーケティング)、『「爆買い」後、彼らはどこに向かうのか』(プレジデント社)、『中国人のお金の使い道』(PHP研究所)、『中国人は見ている。』『いま中国人は中国をこう見る』『中国人が日本を買う理由』(いずれも日本経済新聞出版)などがある
(写真:中島恵氏提供)

よく知られているように、中国では「高考」に向けて幼い頃から受験勉強が始まる。生まれたばかりの赤ちゃんの枕元に「高考まであと6540日」などと書いた紙を置いて写真を撮るのが定番で、つまり、それほど幼い頃から高考に向けて、厳しい戦いが始まっているという自虐的な意味である。

保護者からのプレッシャーを長年受けながら厳しい受験を勝ち抜き、ようやく大学に合格。しかし、そこでも競争はなくならず、さらによりよい就職を目指して頑張らなければならない、というのが中国の若者が歩む道だ。

先日、広東省に住む筆者の知人が、SNSに子どもの答案用紙の写真を載せていたのに目が留まった。そこには、「クラスの中でどの生徒が蹴落としたいライバルですか」と先生のコメントが書いてあり、知人の子どもが「陳〇〇さんと、王〇〇さん」と書いていたことに、筆者はとても驚かされた。

ある程度の競争はモチベーションアップのためにもよいことだと思うし、人口が多い中国で競争がつきものなのも承知している。個人的に「ライバルは〇〇さん」と自覚することもあるだろう。だが、学校の答案にまでライバルの名前を明記し、闘争心を煽るという教育のやり方に違和感を覚えた。

ここまでして、一心不乱に勉強した結果、一流の大学に合格し、有名企業に就職できる人もいる。だが、それはごく一握りで、ほとんどの若者は、必死でがんばってもいい大学に進学できず、よい仕事にも就けない。親の期待に応えられなかったことにより、自己嫌悪に陥る。そこで、自分は何の価値もない人間なのだ、と感じてしまうのだ。

「一人っ子」として甘やかされてきた若者たち

中国の若者にとって、夢や希望は「将来、〇〇(職業)になりたい」や「〇〇になって、世の中の人の役に立ちたい」ということではなく、「一流大学に合格すること」や「有名企業に就職すること」自体になってしまっている。その結果、それが叶わなかったときの反動や失望、絶望が非常に大きくなる。

そこには、一人っ子で甘やかされて育ってきたことも関係しているだろう。中国が一人っ子政策を実施したのは1979年以降。2016年からは、すべての夫婦が第2子を持つことが認められ、現在は3人目まで認められているが、Z世代の若者の多くは一人っ子だ。

両親だけでなく、父方、母方の双方の祖父母からの期待も一身に背負って、大事に育てられてきた。小学校だけでなく、中学校に通う際にも、保護者やお手伝いさんがカバンを持ってくれるような、甘やかされた環境にいる若者も多かった。

そのため、自分にとって厳しい状況を受け止め、我慢することよりも、「割に合わない」「嫌いな仕事を振られた」と感じたら、すぐに仕事を辞めてしまうという行動に出やすいのではないだろうか。

むろん、我慢することが必ずしもよいことだというわけではない。だが、都市部では、保護者と一緒に生活している若者が多いため、もしいきなり退職しても、翌日から生活が成り立たなくなるわけではなく、当面の生活には困らない。本当に経済的に苦しいギリギリの生活をしていたら、「躺平」や「裸辞」はやりたくてもできない。

そう考えると、これらの言葉の流行は、厳しすぎる受験戦争の反動であるのと同時に、ある意味で中国全体が豊かになったことの現れ、とみなすこともできるのではないかと感じている。

(注記のない写真:Jcomp/Getty Images)