「親権」のルール、どう変わる?

これまで、離婚後は父母のいずれかを子の親権者とする単独親権制がとられてきたが、「離婚後共同親権」が実現すれば、離婚後も子に関する多くの意思決定について、父母双方の同意が必要となる。

離婚後共同親権制度の導入の理由は、離婚後も父母双方が養育に関与することが子の福祉に資するとの理念に基づく。確かにそれは理想であり、離婚後も良好な関係を維持できる家庭ではよいかもしれない。

しかし、離婚に至った父母の関係は著しく悪化しているのが通例だ。父母の話し合いが困難なのに、子にとって重要な意思決定について円滑に合意できるのか。多くの反対意見や懸念が表明されたものの、十分な議論が尽くされないまま改正法は成立してしまった。

そこで、法律の内容と問題点について、主に子どもの視点から考えてみたい。

まず、改正法ではどのような場合に共同親権となるのか。改正民法819条は、離婚後共同親権とするか単独親権とするかは、父母の協議により決定するとしつつ、協議が整わない場合は裁判所が決定すると規定する。

つまり、両親が合意した場合だけでなく、当事者や子が望まない場合も共同親権が強制される可能性があり、子どもの意見聴取の機会も保障されていない

改正法は、「父又は母が子の心身に害悪を及ぼすおそれがあると認められるとき」または、「父母の一方が他の一方から身体に対する暴力その他の心身に有害な影響を及ぼす言動を受けるおそれの有無(略)、協議が調わない理由その他の事情を考慮して、父母が共同して親権を行うことが困難であると認められるとき」は単独親権にしなければならないと規定する。

しかし、密室で起きるDVや虐待、モラハラや精神的虐待の事例を確実に裁判所が認定し、共同親権から除外できるか、懸念が残る。親から子に性的虐待がある事案など、客観的証拠がない場合がほとんどだ。子どもの声を丁寧に聞き取れないまま、表面的な判断で共同親権になる危険性もある。

さらに、日本の離婚の圧倒的多数を占める協議離婚では、力関係の差から、共同親権に同意を余儀なくされる事案が増えるのではないか、懸念される。

不明瞭な「急迫」「日常の行為」が子どもに与える影響

では、共同親権となった場合、どのような問題が起きてくると考えられるだろうか。

民法上、親権には、教育、監護、居所指定、財産管理、法定代理等の権限が含まれるとされている(民法820~824条等)。よって、ひとたび離婚後共同親権となった場合、教育、進学、医療、居所の指定など、子どもにとって重要な事項は父母双方の同意なくして決定できないことになる。

両親の意見が合わない場合は裁判所が決定する、と改正法は規定する。しかし、家庭裁判所は深刻な人手不足で、子に関する事件の裁判所の平均審理期間は現状約1年である。子は進学や住所変更、入院手術などを望んでも、両親のどちらかが反対すれば、身動きが取れず、結果として機会を奪われることになろう。影響は甚大だ。

改正法は、共同親権となった場合でも、子の利益のために「急迫の事情」がある場合や「監護及び教育に関する日常の行為」については単独での親権行使が可能だと規定する(改正法824条2)。しかし、例外規定が定める「急迫」「日常の行為」は不明瞭な概念だ。

国会答弁では、「日常の行為」とは、食事や子の習い事の選択、アルバイトの許可、子の心身に重大な影響を与えないような治療やワクチン接種など、と説明された。

一方、幼稚園や学校の選択、進学・就職の選択、特別支援学級への進級等の決定、生命に関わる医療行為、子の住居の決定、就職の許可などのように、子に対して重大な影響を与え得るものについては、日常の行為に該当しないという。居住に関しては、学区が変わらない近隣への転居でも「日常の行為」に該当しないという。

スマホの契約、未成年者の法律行為の取消、パスポート取得も基本的に双方の親の関与が必要だとする。こうして見ると、子にとって重要な決定はほぼ、「日常」の範疇から漏れる。同時に、「日常の行為」であればいずれの親も単独親権行使ができる規定のため、習い事などをせっかく決めても他方の親が勝手に取り消すこともできるという問題もある。

一方、「急迫」をめぐっては、国会審議で曖昧な答弁が続いた。「急迫」の例として、医療については緊急手術や人工妊娠中絶、進学については願書提出直前や期限のある入学手続き、居所についてはDVや虐待からの避難が挙げられたが、いずれも極限事例だ。

また、DVからの避難は「急迫」だというが、被害者が立証の負担を負うことになる。さらに、転勤、再婚などの事情による子を連れた転居も「急迫」にならないとすれば、離婚後の生活は成り立たない。

学校で予想される混乱、子どもは夢を諦めざるをえない場合も?

このままでは、病院や学校、自治体等の関係先も慎重になって、両親の同意や裁判所の許可がない限り、受け入れなくなる可能性がある。子どもの大切な進学や進路は、土壇場で決めればいい類のものではないし、緊急入院以外の難病やがん等の手術が必要なこともある。

裁判所の判断を待っていては手遅れになる場合も多く、子どもは進路や夢、治療を諦めざるをえないだろう。受験の出願の前日になれば「急迫」かもしれないが、それまで子は不安な状況に置かれ、長期的な計画も立てられない。子どもの自由は大幅に制約されることになる。

学校ではさまざまな混乱が予想される。

進路選択、支援の必要な子どもへの対応(特別支援学校か特別支援学級かなどの選択、障害のある子への合理的配慮など)、不登校児童への対応も、「日常」の行為であれば、どちらの親も単独で決めることができるし、「日常」でなければ双方の親の承諾が必要となる。しかし、何が「日常」かはいまだ曖昧だ。学校への提出物も、「日常」か否か神経を使うことになるだろう。

両親の意見が合わなくても子どものために早急に決めるべきことは多々あり、適切な対応がないまま放置され傷つくのは子どもだ。例えば、子どものパスポート発給には両親の同意が必要とされるため、海外への修学旅行に行けない子どもが出てくる可能性もある。

進路面談などに別居親が同席したいと言った場合、どうするか。同居親がDVなどの被害者で恐怖しているなら、同席は当然のことながらすべきではなく、学校は調整を余儀なくされるだろう。

各種給付が受けられず「子どもの貧困」が進む懸念

共同親権となった場合、これまでひとり親に出されていた各種給付が受給できなくなることも懸念される。

例えば、高等学校の就学支援金は、保護者の収入に基づいて受給資格が認定されるが、「保護者=親権者」とされるため、共同親権下では両親の収入に基づいて判定が行われるという。DVなどで別居親に学費などの負担を求めることが困難と認められる場合は例外的に親権者一人で判定するとの答弁があったが、DVなどの立証責任は同居親が負うことになる。

伊藤和子(いとう・かずこ)
ミモザの森法律事務所 代表弁護士
1994年弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件、環境訴訟など、国内外の人権問題に関わって活動。2006年、国境を越えて世界の人権問題に対処する日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウ(Human Rights Now)の発足に関わり、以後事務局長として国内外の深刻な人権問題の解決を求め、日々活動。2021年より副理事長。弁護士活動では、女性の権利をはじめとする法的問題の解決や、企業法務を専門分野として活動。日弁連両性の平等に関する委員会委員長、東京弁護士会両性の平等に関する委員会委員長を歴任。ジェンダー法学会理事、国際人権法学会理事、法学博士。著書に『人権は国境を越えて』(岩波ジュニア新書)など
(写真:本人提供)

しかし、そもそもDVの場合は共同親権にしてはならないと法は規定しており、そこからこぼれ落ちてしまった被害者、例えば「DVの証拠が示せなかった」「協議離婚で共同親権を余儀なくされた」「モラハラなどの被害に遭ってきた」といった被害者が立証責任を負うのは酷だ。DVはなかったという推定を覆す強力な証拠を提示できる例はまれだろう。その結果として、苦しむのは子どもである。

このほか、親の資力などが要件となっている各省庁の支援策については、各法令を所管する各府省庁が個別に検討する事柄だとして、法務省は国会で責任ある答弁をしないままだった。やむなく共同親権にした揚げ句、別居親が子の学費負担などに協力しない場合、ひとり親家庭は一層の窮地に立たされかねない

このように共同親権制度を導入した結果、子どもやひとり親家庭の支援を受けられない事態が必然的に生じ、子どもがさらに貧困に陥る懸念がある。子の福祉という制度趣旨に基づき、給付減となる事態が起きぬよう、制度や運用の改革は必須だ。

何より、この制度は過去20年以上にわたって築き上げてきたDVや虐待の被害者保護と安全のための諸制度(保護命令、避難者支援、被害者の住所秘匿等)を後退させる危険が大きい

DVや精神的虐待などの被害に遭いながら子を養育している者に最も必要なことは、その場から逃げることだ。しかし、逃げたことが「急迫」であったかどうか裁判所によって判断されるという現実は、ただでさえおびえている被害者の足をすくませてしまうだろう。法律上「急迫」の事情がなければお前は逃げられない、逃げたら誘拐犯だなどと、暴力をふるう配偶者に脅され、逃げられない心理状態に陥ることも考えられる。

さらに、証拠がないためにDV・虐待として認定されずに共同親権と決定された場合、加害者が被害者の居所や子どもの学校をつねに知ることができ、子に関係する重要な決定にも加害者が関与できる、という最悪のシナリオとなる。これまで確立した被害者保護は全面的に後退し、被害者は離婚後も加害者の支配から逃れられなくなる。

離婚に至る家族では多くの場合、力関係を背景とする加害・被害の関係がある。この法律が、子どもや被害者に深刻な悪影響を及ぼし、加害者に新たな「凶器」を与えるリスクは甚大だ。

「子どもの利益」と「子どもの意見」の尊重を

以上のような深刻な懸念をどう払拭できるのか。法律の運用に当たっては、両当事者の同意がないのに裁判所が共同親権を決定することがないよう徹底すべきであり、協議離婚でも共同親権を選択するリスクを周知徹底する必要がある。

共同親権を選択したことで発生する子どもの被害を防ぐため、「日常」「急迫」の要件をもっと広く認め、かつ明確なガイドラインを定めること、高葛藤事案では必ず監護権者を指定し、共同から単独への親権者変更を柔軟に認めることが求められる。

今後、共同親権導入によって、子どもの虐待が放置され、貧困が進めば、教育現場への影響は避けられない。日々刻々と成長する子どもに適時に適切な対応ができなければ、子の成長発達の権利は著しく阻害されるだろう。

改正法は、親権行使について、子どもの健全な成長発達を目的とし、子どもの利益のために行使しなければならないと定め (817条の12)ており 、この点は誰も否定できない。

学校現場の負担が大きいことは想像にかたくないが、子どもの利益と子どもの意見を何より尊重し、親権の濫用的行使に厳しく対応し、1人ひとりの子どもが両親の選択のゆえに制度の犠牲になることがないよう、明確な対応方針で臨んでいただきたい。

(注記のない写真:Ystudio/PIXTA)