メディアリテラシー教育を無意識のうちに軽視してきた日本

「今や小学生のころから、インターネットなどのメディアに日々長時間触れている子どもは、少なくありません。この実情を考えれば、子どもにメディアリテラシー教育を始めるのは早ければ早いほどいいといえます」

そう話すのは、令和メディア研究所を主宰するジャーナリストの下村健一氏だ。

実際、内閣府が2021年2月に公表した「令和2年度 青少年のインターネット利用環境実態調査」の速報結果によると、平日1日のインターネット利用時間について、「2時間以上」と答えた小学生の割合は過半数を占める。「1時間以上2時間未満」と答えた割合は23.9%、「2時間以上3時間未満」が21.6%、「3時間以上」は33.5%もいた。中学生になると1日に5時間以上インターネットを利用すると答えた人が20.7%、高校生では35.9%と最多数派に。インターネットの平均利用時間は年齢とともに増加傾向にある。

下村氏は自らを時に「情報スタビライザー」と称し、メディアの安全な活用と「情報の傾き」を正すことの重要性を日々発信している。断片的な情報に踊らされない方法を記したエッセイ『想像力のスイッチを入れよう』は、小学校の国語の教科書にも掲載されている。

下村健一(しもむら・けんいち)
令和メディア研究所主宰、「インターネットメディア協会(JIMA)」メディアリテラシー担当。ジャーナリスト、執筆から企業研修まで、幅広い年代のメディア・情報教育に携わる。TBS報道局アナウンサーを経て、フリーキャスターとして「筑紫哲也NEWS23」「サタデーずばッと」等に出演。内閣審議官、東京大学客員助教授、慶應義塾大学特別招聘教授、関西大学特任教授を歴任し、現在は白鴎大学で特任教授を務める。著書に国語の教科書(光村図書)と同タイトルの『想像力のスイッチを入れよう』(講談社)や『窓をひろげて考えよう ~体験!メディアリテラシー』(かもがわ出版)、『マスコミは何を伝えないか――メディア社会の賢い生き方』(岩波書店)などがある
(写真:本人提供)

現在、小・中学校ではGIGAスクール構想によって「1人1台端末」が配備され、本格的な活用が始まっている。これについて下村氏は「火の怖さを教えずに花火を配ってはいけない。点火の仕方だけ覚えて、危うい使い方をしていないか」と危惧する。「ただし、怖さばかり強調するのも違う。それでは、人類にプラスとなる情報社会を展開していけない。交通事故が怖いからといって、車を使うなという規制は間違っていますよね。それと同じで、すばらしいインターネットという道具を、情報の“交通安全”を身に付けて事故なく乗りこなす教育が必要だと考えています」

歴史背景から見ても、メディアリテラシー教育を日本社会は無意識のうちに軽視する選択をしてきたのだという。戦時中も、復興から高度経済成長へと突き進んだ戦後も、国民が一丸となる必要があった。世界に伍する国となるため、大量生産・大量消費社会に適した人材を、画一的な教育で育成した。それが日本を「政府による言論統制も不要なほどの同調圧力が要所要所で働く国にした」と下村氏は話す。

「それは、時代の要請に応えるという目的にはかなっていたのでしょう。でも、時代は変わった。内なる同調圧力で情報を疑わない社会から、そろそろ脱却しなければなりません。日本でのメディアリテラシー教育の進展はとてもゆっくりですが、事態はもはや瀬戸際。トランプ政権下やコロナ禍に飛び交う膨大なフェイクニュースに、メディアリテラシーの必要性を実感した人も多いはずです。教育によって社会の分断を防ぐことができるかどうか、すでにギリギリのところです」

急激なメディア環境の変化と、それに対応できない人々のあり方に、下村氏は危機感を募らせる。メディアリテラシーの不足によって、実際にはどんな問題が起こるのだろうか。

「例えば中高年の場合、新聞やテレビなど、従来のマスメディアと同じような感覚でフェイクニュースを鵜呑みにしてしまうことがあります。当然精査された情報だと思ってしまう、メディアへの信頼があるがゆえの問題ですね。対して大学生などの若者は、メディアへの姿勢がもっと冷ややか。物心ついた頃からインターネットがあり、情報が玉石混淆であることは知っています。ただ、彼らは情報の信憑性をあまり気にせず、面白いと思えば拡散してしまう。うそか本当かわからないことを広めることに、リスクをあまり感じていないのです」

つまり、若者の情報拡散は、価値のある正しい情報だと信じているから行うのではなく、そもそも情報を発信しているという自覚がないままに行われているということだ。彼らのその判断に真偽は重要ではないので、この情報はうそだとか、ファクトチェックが重要だなどと言っても響かない。その前に、まずはメディアとの付き合い方を知るメディアリテラシー教育が必要になってくるという。

「情報」を理解すれば、フェイクニュースは小学生にもわかる

では、メディアリテラシー教育にはどう取り組めばいいのか。下村氏は「まず情報の受信力を高めることが重要」だと話す。

「そもそも『情報』とは編集と構成が加えられたもので、発信者の意図が混入することは不可避です。これを正しく理解しておかないと、不確かな情報に踊らされたり、必要以上に疑ったり、信じたいことだけを信じてしまったりということになりかねません」

さらに下村氏は、受信力を高める最良の方法として「自分で発信してみること」を勧める。情報を生み出す側の視点がわかれば、自分が受信するときの眼力も変わるからだ。小さな子どもにはなかなか理解させにくいことでもあるが、下村氏は小学校低学年の子どもには、紙芝居を使った授業がわかりやすいという。

動物たちが描かれた4枚の紙芝居を自由に並べて、子どもたちにお話を作ってもらう。結果として出来上がるものは、全員同じ素材を使っているのに、順番もストーリーもバラバラになるわけだが、これにより編集作業で内容が変わること、伝え手によって描き方が異なることを、子どもたちは体験的に理解できるという。

紙芝居を並べ替えてお話を作る作業は、まさに別のニュースの写真を組み合わせてフェイクニュースを捏造する工程とも同じだ。

大学生にこの「受信力と発信力」の説明をする際には、下村氏は「受信した情報を広めることも発信の1つ。発信には責任が伴う」とクギを刺す。そうした講義を受けた学生からは「もっと早く教えてほしかった」「先生のせいで怖くてリツイートできなくなっちゃった」という感想が多く寄せられるそうだ。だがそうした責任感こそが、安易な拡散や、相手を傷つけるような不用意な発信を防ぐことにもつながる。

朝の会や帰りの会、家庭でもできるメディアリテラシー教育

メディアと人々の今日の接し方について、下村氏は「混乱があるのは当たり前」だと語る。

「人類のコミュニケーションは、第1に言葉を獲得し、次に文字を発明して進化してきました。現代のインターネットの登場は、そうしたコミュニケーションの第3段階に入る新たな大転機です。情報量も流通速度も前代未聞。誰も経験したことのない状況なのです」

情報のあふれる時代を正しく生きるには、ファクトチェックとメディアリテラシーという2つの方策がある。下村氏はそれらを「解熱剤と予防接種」に例える。いずれも欠かせない両輪として行われるものだが、メディアリテラシーの知識を身に付けることで、誤った情報に触れた際にも「発熱」を防ぐことができるというわけだ。

「これまでの日本では、メディアリテラシー教育について『そんなことは当たり前のことじゃないか』と言われることが多かった。ではその当たり前がどこまで実践できていたかといえば、子どもたちだけでなく、親世代も迷走しているのが現状です」

だからこそ、下村氏は伝え方に心を砕いている。子どもたちにもわかりやすいよう、「ソウカナ」という合言葉を作った。これは「即断するな」「鵜呑みにするな」「偏るな」「(スポットライトの)中だけ見るな」の頭文字で、真偽不明の情報に出合ったときにいったん立ち止まることを促すものだ。

1:[ ソ ] 即断しない... いったん止める習慣づけ
2:[ ウ ] 鵜呑みにしない...意見印象を峻別する力
3:[ カ ] 偏らない..ほかの見方、考え方もありうると思いつく力
4:[ ナ ] 中だけ見ない...スポットライトの外側に隠れているかもしれない情報を、想像し見いだす力

「早すぎるメディアリテラシー教育が子どもの純真さを奪う」などという反対意見に対しては「あなたはサンタクロースがいないと知って、クリスマスがつまらなくなりましたか?」と問う。

情報を疑えと言うと、中にはひねくれた子どもになってしまうのではないかと心配する大人もいるが、視野を広げてさまざまな情報を見ようということ。例えば、テレビドラマでも、台本どおりに役者が演じていることを知ったとしても、その面白さが色あせたりすることはないのと同じだ。

真偽を気にせず情報を拡散する学生には「通りすがりの人にもらったおにぎりを友達と一緒に食べますか?」と尋ねる。これは知らない人が発信している情報をどう扱うかということだ。

こうした例え話で、情報に対する具体的な姿勢を意識することが大事だという。これまでメディアリテラシー教育は、必要性が叫ばれながらも適した教材が少なく、なかなか広まってこなかった。だが下村氏は「特別な教材で特別な授業をする必要はない」と話す。学校では朝の会や帰りの会、家庭でも日常の会話の中で、「ソウカナ」の視点で身近なニュースについて話すことでも十分だと言う。

「教員も含め、メディアリテラシー教育を受けていない大人世代がすべきことは、情報に真摯に向き合う横顔を見せて、子どもたちと一緒に謙虚に学んでいくことです。理想は、みんなが柔軟に情報を受け取るのが当たり前になること。この正解なき時代に、唯一の正解を突き止めようと力まずに、“ゆるふわ”で情報を受け取ろうと僕は言っています。どの情報にも真実はあるし、間違いもある、そもそもわからないことが多くあります。本当かうそか、白か黒かではなく、情報の受け取り方もグラデーションがいい。そして不確かな情報に出合ったらいったん立ち止まる。この力を持つだけでも、世界はずいぶん安定感を取り戻すことができるはずです」

(文:鈴木絢子、注記のない写真:dotshock / PIXTA)