「ノートが使いにくい人がいる」ことに気付かなかった
GIGAスクール構想により1人1台端末を使った学びが当たり前となりつつある中でも、紙のノートと鉛筆を使って書く学びは健在だ。しかし、身近な文房具の1つであるノートを「使いたいけれど使いづらい」と感じる人たちがいる。そんな声を基に開発されたのが、OGUNOというノートブランドから展開されている「まほらノート」だ。
発売後から反響を呼び、大阪製ブランド製品の「ベストプロダクト」に選ばれるほか、「グッドデザイン賞・ベスト100」や日本文具大賞の「デザイン部門優秀賞」を受賞している。いったいどのようなノートなのか。
このノートの生みの親である大栗紙工 取締役の大栗佳代子氏は、開発のきっかけについてこう話す。
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大栗紙工 取締役
大学卒業後中学校音楽教諭として勤務。結婚を機に退職。2002年に大栗紙工に入社。総務・経理を中心とした業務に就く。2019年に発達障害当事者の方との出会いがあり、当事者の方のノートに関するお困りごとを解消できるノートづくりを始める。以降、企画・広報の仕事にも従事している
「あるセミナーに参加した時、『ノートを作っている会社の者です』と自己紹介したところ、講師の先生が『普通のノートが使いにくいという人がいるから、話を聞いてくれないかな』とおっしゃったのです。その先生は、発達障害の当事者の自助グループを支援している方でした。『普通のノートが使いにくい』とはどういうことなのか気になり、そのグループの方にお話をうかがえるようお願いしました」
大栗紙工は、大手文具メーカーのOEM(相手先ブランド製造)として大学ノートを中心に年間約1800万冊のノートを製造している。「作っているノートが売れていたため、使いにくいと感じる方がいらっしゃることに気づいていなかった」と大栗氏は明かす。紹介してもらった発達障害の当事者が語ってくれたノートの使いにくさは、初めて知ることばかりだった。
「視覚過敏のある方にとって白い紙のノートは、光の反射が眩しく感じて字が書きにくかったり読みにくかったりするそうです。また、多くの人は脳が必要な情報を取捨選択して受け取りますが、目の前の情報を全部受け取ってしまう特性をお持ちの方は、ノート上部の日付欄や糸綴ノートの端にちょっと出ている糸も気になってしまうとのこと。ノートの表紙に施されている絵やデザインもしんどいそうです」
大栗氏は以前から、OEMとして長年培ってきた技術を生かして自社製品に挑戦したいという気持ちがあったという。なかなか踏み出せないでいた中、こうしたニーズとの出合いが背中を押した。
発達障害の当事者「約100人の声」を反映
「困っている方々がいるなら作ってみよう」と、まずは当事者約100人の協力を得てどのようなノートが欲しいかアンケートを実施。集まった意見を基にサンプルを作り、当事者に見てもらってフィードバックを受け、改良を重ねていった。
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「当事者の方々とやり取りをする中で、『ノートに字を書いていると、どこを書いていたかわからなくなる。見失わない工夫をしてほしい』という声もいただきました。そこで、①紙の色、②シンプルなデザイン、③書いているところを見失わない工夫、という3つの要素は絶対に入れようということになりました」
ニーズが強かったこの3つの要素が、まさに「まほらノート」の特徴となっている。①の紙の色は、目に優しいレモン、ラベンダー、ミントの3種類に決定。②のデザインについては、表紙のイラストや日付欄をなくしてシンプルにした。③の「書いているところを見失わない工夫」は社内でアイデアを出し合い、太い線と細い線を交互に引く「太・細交互横罫」と、1行ごとにあみかけを薄く施した「あみかけ横罫」を採用した。
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国産の色上質紙を使っている点も大きなポイントだ。コストはかかるが、一般的なノートより10%ほど厚い紙なので、筆圧が強くても裏写りしにくい。また、表面が滑らかなので力を入れなくても書きやすく、消しやすいのだ。
「私たちは技術がある一方、発注書に沿ってきちっと作ることを続けてきたので、企画力がありませんでした。そのため、とにかく当事者の声を聞いて改良を重ねました。企画力がなかったからこそ、当事者の声を直接聞きながら進めるインクルーシブデザインができたのかもしれません」
「ノートが取れるようになり勉強が楽しくなった」
しかし、今までにないノートなだけに、製造においては時間と手間もかかっている。
「一般的なノートを作る際も、線にムラが出ないよう、人の目でインクの出具合を点検しながら印刷を行いますが、とくに『まほらノート』のあみかけ横罫タイプは1ページの約半分があみかけなので、こまめに点検しながら印刷スピードを調整する必要があります。そのため、一般的なノートの3倍の印刷時間がかかります」
こうした試行錯誤を約8カ月重ね、「まほらノート」は完成した。ちなみに“まほら”とは“まほろば”のもとになった言葉だ。「住みやすい場所」といった意味があり、「使い心地のいいノート」という思いを込めて名付けたという。
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OEMとしてノートを製造してきた同社は販路を持っていなかったため、自社でECサイトを立ち上げて2020年2月から販売をスタート。文具店を回り、卸会社を紹介してもらうなどして販路を拡大していった。早い段階から売れ行きはよく、喜びの声も届くようになる。
「『今まではノートが取れなかったけど、スムーズに書けるようになった』という声をたくさんいただきました。『ノートが取れるようになったことで勉強が楽しくなった』『このノートを使って初めて、白いノートは眩しかったのだと気づいた』『ノートに書く際は力が入ってしまうけれど、まほらは書きやすく消しゴムで消しやすいので授業中に何度も手をマッサージする必要がない』といった声もいただいています」
小学生の保護者の要望を受けて「学習帳」も開発
「まほらノート」の発売直後から「小学生でも使えるマス目の学習帳を作ってほしい」という保護者たちの要望も多かったため、学習帳の開発も進めることになった。しかし、実現には3年かかったという。
「弊社は学習帳を作ったことがなかったため、サンプルを作っては放課後デイサービスに通う発達障害のお子さんたちに試してもらったのですが、あまり反応がよくなくて。一般的な学習帳はマス目の真ん中に十字の線が入っていますが、線が苦手な方にとって書きやすいマス目とはどんなものなのか、長らく答えが見つかりませんでした」
しかしある時、マス目の真ん中に点を1つ打ってみたら、それだけで上下左右がわかりやすくなることに気づいた。当事者の子どもたちに試してもらうと「時間をかけずに書ける」「力を入れずに書ける」と好評で、ようやく2023年12月に「まほらゆったりつかう学習帳」として発売することができたという。
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「まほらゆったりつかう学習帳」は、1列おきにあみかけを施した「方眼ノートタイプ」(10マスと15マス)と、読みがなスペースにあみかけを施した「かんじノートタイプ」をリリース。「まほらノート」と同じく国産の色上質紙を使い、3色の展開となっている。通級や支援級の児童生徒を中心に使われているという。
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大学との「産学連携研究」も進行
「まほらノート」を使った研究も行われている。立命館大学 産業社会学部 教授の川﨑聡大氏を中心とした研究チームによる「背外側前頭前野や自律神経活動に及ぼす背景色・フォントの影響―学習活動に付随する精神的疲労軽減に向けた予備的検討―」だ。
「学習面における特性への配慮はさまざまありますが、実は推奨されている環境調整にはエビデンスがあるものは少ないんです。そこで、背景色とフォントの影響にフォーカスして検証したいと考え、大栗紙工さんにお願いして『まほらノート』のレモン色を背景色として使わせていただきました」と、川﨑氏は話す。
川﨑氏らは、「ツールによってディスレクシアの認知機能障害を直接なかったことにすることはできないが、読みによって生じるストレスの軽減には役立つのではないか」(川﨑氏)という仮説の下、実験を行っている。具体的には、読解におけるフォントと背景色の違いによって、背外側前頭前野と自律神経の働きがどう変化するかを調査した。その結果、フォントよりも背景色に有意な差が認められたという。
「『まほらノート』の色を再現した背景色では、ストレス対処で反応しやすい前頭前野の領域の活性化が低く、読んでいるときの負担が少ない可能性が示唆されました。この実験では定型発達の成人を対象としているため、そこは考慮する必要がありますが、その後の研究結果を踏まえると、広く発達障害によって生じる読みの負担感を軽くするほか、感覚の過敏性に対しても応用が期待されるのではないかと考えています」
この研究の詳細は、すでに昨年度の日本ストレスマネジメント学会にて報告され、今年度中には海外誌への投稿が予定されている。また、大栗紙工との産学連携研究としては、川﨑氏と大阪医科薬科大学との共同研究において、同大LDセンターに通う児童を対象とした実践研究も基礎研究と並行して展開されており、こちらも分析を進めているという。学びのツールを選ぶ際のヒントとなるエビデンスが示されることを期待したい。
子どもたちの「学習したい気持ち」がそがれないように
「まほらゆったりつかう学習帳」と「まほらノート」は合わせて約14万冊も売れるヒット商品となったが、「ペイ・フォワードまほらノートプロジェクト」という寄付の仕組みも継続している。まずは必要な人に届けようと2011年11月から始めた取り組みだ。
これは、表紙にイラストが箔押しされた「ペイ・フォワードまほらノート」を1冊購入してもらうと、通常版の「まほらノート」が2冊、発達障害を中心とした障害のある人にプレゼントされるというもの。これまで放課後デイサービスや学校の支援級などに4200冊が届けられたという。
一方で、大栗氏の元には「子どもに合うノートを必死に探して『まほらノート』にたどりついたのに、学校から『みんなと同じノートを使ってください』と言われた」「通常学級では使わせてもらえない」といった声も保護者から多く寄せられているという。こうした声は、2024年の4月に合理的配慮が法律で義務化された後も届いている。
「もちろん先生方は授業のために準備をなさるわけですから、1人だけ違うものを使うというのはやりにくいのも理解できます。ただ、私たちはノートでしんどさが軽減されたり、快適に変わったりすることがあることを知ることができましたので、お子さんの学習したい気持ちがそがれないような方向に教育が進んでいくといいなと思っています」
ツールの選び方で、学びが劇的に変わることがある。違う選択肢があることを知るだけで、子どもの学びの可能性は大きく広がることだろう。
(文:吉田渓、編集部 佐藤ちひろ、写真:大栗紙工提供)